祠の番人
八月の終わり、高校二年生の私、中島賢人は友人の橋本と一緒に、山奥にある秘境の滝を見に行く予定だった。
「本当にあるのか、この滝」
橋本が地図を見ながら言った。
「ネットで調べたから大丈夫だよ」
私たちは電車とバスを乗り継いで、山深い場所にやってきた。
「ここからは徒歩だな」
バス停から山道を歩き始めた。
案内板もほとんどなく、本当に秘境という感じだった。
「人、全然いないね」
「だからこそ価値があるんだよ」
一時間ほど歩いた時、山道の脇に小さな祠を見つけた。
「あれ、何だろう」
古びた木造の祠で、中には石の像が祀られている。
「山の神様かな」
祠の前には、しめ縄が張られていた。
「まだ信仰されてるんだ」
私たちは祠に手を合わせて拝んだ。
「よろしくお願いします」
それから再び歩き始めた。
しかし、三十分ほど歩いても滝が見えてこない。
「道、間違えたかな?」
「GPSも電波が悪くて使えない」
私たちは立ち止まった。
周りは深い森で、どの道を行けばいいかわからない。
「とりあえず、来た道を戻ろう」
引き返し始めたが、また同じ祠の前に出てしまった。
「あれ?さっきの祠だ」
「でも、戻ってきたんだから当然じゃない?」
今度は別の方向の道を選んだ。
しかし、またしても同じ祠の前に出た。
「おかしいな」
橋本が首をかしげた。
「なんで同じ場所に戻ってくるんだ?」
「迷ってるだけだよ」
しかし、何度道を変えても、必ずこの祠の前に戻ってしまう。
「これは変だ」
私も不安になってきた。
「まるで、この祠から離れられないみたい」
その時、祠の中から声が聞こえた。
「そうです」
私たちは飛び上がった。
「今、誰か話した?」
祠を見つめると、石の像が微かに光っているように見えた。
「あなたたちは、私の許可なくここに入ってきました」
確かに声が聞こえる。
「だから、出ることは許しません」
私は震えが止まらなかった。
「あの、あなたは?」
「私は、この山を守る神です」
石の像から声が響いた。
「何百年もの間、この山を守り続けています」
「僕たちは、ただ滝を見に」
「勝手に山に入る者は許しません」
神の声が厳しくなった。
「特に、最近の若者は礼儀を知らない」
「礼儀?」
「まず、私にお許しを願うべきでしょう」
確かに、私たちは祠に挨拶はしたが、山に入る許可を求めてはいなかった。
「すみませんでした」
私が頭を下げた。
「どうすれば、許してもらえますか?」
「三日間、この祠の番をしなさい」
神が命じた。
「三日間?」
「はい。その間、祠を掃除し、お供え物をして、私に仕えるのです」
橋本が慌てて言った。
「でも、僕たち高校生で、そんなに長く家を空けられません」
「では、一生ここにいることになります」
神の声が冷たくなった。
「選択肢は二つです。三日間の奉仕か、永遠の囚人か」
私たちは顔を見合わせた。
「わかりました。三日間、お仕えします」
「賢明な判断です」
神の声が少し和らいだ。
「まずは、祠の掃除から始めなさい」
私たちは祠の周りを掃除し始めた。
落ち葉を集め、しめ縄を新しくし、石の像を丁寧に拭いた。
「お供え物はどうしましょう?」
「山にある木の実や湧き水で構いません」
神が教えてくれた。
私たちは山で木の実を集め、清らかな湧き水を汲んできた。
それらを祠に供えた。
「よくできました」
神が褒めてくれた。
「今夜は、ここで眠りなさい」
「ここで?」
「私が、あなたたちを守ります」
確かに、祠の前は不思議と暖かく、安全に感じられた。
二日目も、同じように奉仕を続けた。
だんだん神との距離も縮まってきた。
「神様は、なぜこの山を守っているんですか?」
「昔、この山は人々の生活を支える大切な場所でした」
神が説明してくれた。
「水も木も動物も、すべてが調和していました」
「今は?」
「人々が山を忘れ、汚し、破壊するようになりました」
神の声に悲しみが込もっていた。
「だから、私が守らなければならないのです」
三日目の夕方、奉仕が終わった。
「よく頑張りました」
神が感謝の言葉を述べた。
「あなたたちの真心を受け取りました」
「もう、帰ることができますか?」
「はい。でも、一つお願いがあります」
「何でしょう?」
「この山のことを、他の人にも伝えてください」
神が頼んだ。
「自然を大切にし、神様に敬意を払うことを」
「わかりました」
私たちが約束すると、急に道がはっきりと見えるようになった。
「あちらの道を行けば、滝があります」
神が教えてくれた。
「そして、そこから下山道も見えるでしょう」
私たちは感謝を込めて祠に拝礼した。
「ありがとうございました」
「また、いつでもいらっしゃい」
神の温かい声に送られて、私たちは滝に向かった。
確かに、美しい滝があり、下山道も見つけることができた。
家に帰ってから、私たちはこの体験を多くの人に話した。
自然への感謝と、神様への敬意の大切さを伝えるために。
山の神様は、今も私たちを見守ってくれていると思う。
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この体験は、2022年8月に奈良県吉野郡で発生した「山神祠迷路現象事件」に基づいている。登山中の高校生が山神の霊に遭遇し、三日間の奉仕を経て下山を許可された、山岳信仰の現代的顕現として注目される事例である。
奈良県吉野郡天川村の大峰山系で、秘境の滝を目指していた高校生の中島賢人さん(仮名・当時17歳)と橋本大樹さん(仮名・同年)が、山中の祠で道に迷う現象を体験。何度別の道を選んでも同じ祠に戻ってしまう「神隠し」状態となり、祠の山神から直接指導を受けた。
山神は自分を「この山を守る神」と名乗り、無許可で聖域に立ち入った罰として三日間の祠奉仕を命令。中島さんらは家族に連絡がつかない状況で山中に留まり、祠の清掃、お供え、祈祷などの神事を実行した。三日後、山神の許可を得て正常に下山できた。
天川村郷土史研究会の調査により、問題の祠は江戸時代から続く山神信仰の拠点で、地元では「勝手に山に入ると神様に捕まる」という言い伝えが残っていることが判明。村内では同様の「道迷い現象」が過去にも複数報告されており、いずれも適切な祈祷後に解決している。
天川村観光協会会長の田中正雄氏(69歳)は「大峰山は古来より神聖な霊山。現代でも山神の力は健在で、礼節を欠いた入山者には厳しい試練を与える。中島さんらは真摯に奉仕したからこそ許されたのだろう」と分析している。
中島さんは現在大学で宗教学を専攻し、山岳信仰の研究に取り組んでいる。「山神との出会いで自然への畏敬の念を学んだ。現代人が失いかけている神聖なものへの敬意を取り戻すきっかけになった」と語る。天川村では同事例を「現代における山神信仰の実証」として村の文化遺産記録に登録し、登山者への注意喚起に活用している。




