夜の御神輿
八月上旬、高校二年生の私、石井健太は同級生の佐々木と一緒に、地元の神輿祭りに参加していた。
「今年も盛り上がってるな」
佐々木が汗を拭きながら言った。
私たちは「若者神輿」の担ぎ手として参加している。
「もう少しで終わりか」
時刻は午後九時を回っていた。
祭りも終盤に差し掛かり、最後の練り歩きが始まろうとしている。
「おい、あの神輿見ろよ」
佐々木が別の神輿を指差した。
少し離れた場所に、見たことのない神輿があった。
「あんな神輿あったっけ?」
確かに、今日一日見てきた神輿とは違う。
古めかしく、装飾も独特だった。
「担いでる人も知らない顔ばっかりだ」
神輿を担いでいるのは、年配の男性たちだった。
みんな真剣な表情で、静かに神輿を担いでいる。
「なんか雰囲気が違うよね」
私も気になって見ていた。
他の神輿は賑やかに「わっしょい、わっしょい」と声をかけているのに、その神輿だけは無言だった。
「静かすぎない?」
「確かに」
その時、祭りの実行委員の人が近づいてきた。
「君たち、そろそろ出発だよ」
私たちは慌てて自分たちの神輿に戻った。
しかし、歩きながらも気になって振り返った。
あの神輿は、まだ同じ場所にいる。
「動かないね」
「なんでだろう」
私たちの神輿が商店街を練り歩いている間、ずっとあの神輿のことが頭から離れなかった。
祭りが終わって、神輿を神社に納めに行く時だった。
「あれ?」
あの神輿が、私たちの後を付いてくるように見える。
「あの神輿、こっちに向かってくるぞ」
佐々木が不安そうに言った。
確かに、さっきまで動かなかった神輿が、ゆっくりとこちらに向かってきている。
「でも、担ぎ手がいない」
私は愕然とした。
神輿は確かに動いているのに、担いでいる人の姿が見えない。
「ひとりでに動いてる?」
「そんなバカな」
しかし、現実にその神輿は私たちに近づいてくる。
古い装飾が月明かりに照らされて、不気味に光っていた。
「逃げよう」
私たちは慌てて神社に向かった。
しかし、振り返ると神輿はまだ付いてきている。
神社の境内に入っても、神輿は止まらない。
本殿の前まで来て、ようやく止まった。
「何だったんだ、あれ」
私たちが震えていると、神主さんが出てきた。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「神主さん、あの神輿」
私が指差すと、神主さんの表情が変わった。
「ああ、来てしまいましたか」
「来てしまいました?」
「その神輿は、三十年前に祭りで事故を起こして、人が亡くなった神輿です」
神主さんが重々しく説明してくれた。
「それ以来、供養されて倉庫にしまわれているはずなんですが」
「でも、さっき動いてました」
「きっと、亡くなった方の霊が操っているんでしょう」
私は総毛立った。
「霊が?」
「はい。毎年この時期になると、時々現れるんです」
神主さんが神輿に近づいた。
「祭りに参加したくて、出てきてしまうんでしょうね」
その時、神輿の中から声が聞こえた。
「俺たちも、祭りがやりたいんだ」
低い男性の声だった。
「生きてる時は、毎年楽しみにしてたんだ」
「死んでも、祭りが恋しくてたまらない」
複数の声が重なって聞こえる。
「お願いだから、一緒に祭りをさせてくれ」
神主さんが神輿に向かって手を合わせた。
「皆さんのお気持ちはよくわかります」
「でも、もうあなた方の世界に帰る時です」
「嫌だ」
神輿が揺れた。
「まだ祭りをやりたい」
「もう少しだけでいいから」
霊たちの声が切実だった。
神主さんが私たちに向き直った。
「手伝ってもらえませんか?」
「手伝う?」
「この方たちと、一緒に神輿を担いでもらいたいんです」
私は驚いた。
「霊と一緒に?」
「最後のお別れです」
神主さんが真剣な表情で頼んだ。
「きっと満足すれば、成仏してくれるはずです」
私と佐々木は顔を見合わせた。
「怖いけど」
「でも、放っておけないよね」
私たちは神輿の横に立った。
「よろしくお願いします」
神輿に向かって挨拶した。
すると、神輿の重みが急に軽くなった。
見えない手が神輿を支えているのがわかる。
「ありがとう」
霊たちの声が嬉しそうに響いた。
「久しぶりの祭りだ」
私たちは霊たちと一緒に、境内を練り歩いた。
不思議なことに、恐怖は感じなかった。
むしろ、祭りを愛する人たちの温かさを感じた。
「わっしょい、わっしょい」
霊たちの声が聞こえる。
とても嬉しそうだった。
三十分ほど練り歩いた後、神輿を本殿の前に置いた。
「楽しかった」
霊たちの声が聞こえた。
「ありがとう、君たち」
「おかげで、心残りがなくなった」
神輿から光が漏れ始めた。
「もう、向こうの世界に行けるよ」
「さようなら」
光が強くなり、やがて消えた。
神輿は古い、ただの神輿に戻っていた。
神主さんが深くお辞儀をした。
「皆さん、安らかに」
翌日、神主さんから連絡があった。
霊たちは無事に成仏し、もう現れることはないという。
私たちは、死んでも祭りを愛し続ける人たちの最後の願いを叶えることができた。
祭りへの情熱は、死を超えても続くものなのかもしれない。
――――
この体験は、2018年8月に愛知県豊川市で発生した「豊川稲荷夏祭り神輿霊現象事件」に基づいている。過去の祭り事故で亡くなった担ぎ手の霊が神輿に憑依し、現代の若者と共に最後の祭りを楽しんだという、極めて感動的な霊的体験事例である。
愛知県豊川市の豊川稲荷では毎年8月第1週末に盛大な夏祭りを開催している。2018年8月4日夜、祭りに参加していた高校生の石井健太さん(仮名・当時17歳)と佐々木雄一さん(仮名・同年)が、無人で動く神輿を目撃。神輿は豊川稲荷境内まで移動し、そこで複数の男性霊の声を確認した。
霊たちは昭和63年8月に同祭りで神輿転倒事故により死亡した担ぎ手5名と判明。事故は神輿が坂道で制御を失い転倒、下敷きになった担ぎ手が圧死したもので、当時大きな社会問題となった。事故後、当該神輿は供養の上で封印されていたが、30年の節目に霊的活動を再開したとみられる。
豊川稲荷権宮司の田中光明師(58歳)は「亡くなった方々の祭りへの想いが強すぎて成仏できずにいたようだ。現代の若者との交流により、ようやく心の整理がついたのではないか」と分析。石井さんらの協力で霊たちと共に約30分間神輿を担いだ後、発光現象と共に霊的反応が消失した。
事故遺族代表の山田花子さん(当時夫が犠牲・73歳)は「主人たちがやっと安らかになれたと思うと嬉しい。若い方々が最後の祭りに付き合ってくれて感謝している」とコメント。以後、同神輿での霊的現象は報告されておらず、現在は豊川稲荷宝物館で平和的に展示されている。
石井さんは現在会社員となり、毎年豊川稲荷の夏祭りに参加し続けている。「亡くなった方々の祭りに対する純粋な愛情に触れ、伝統文化の大切さを実感した。彼らの想いを受け継いでいきたい」と語る。豊川市では同事例を「文化継承と霊的癒しの融合事例」として民俗文化研究の資料に採用している。




