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怖い話  作者: 健二
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四十三メートルの誤差

 

 八月十六日、送り火の夜。

 京都の大学で民俗学を専攻する私・奥井志織おくい しおりとゼミ仲間の伊吹悠斗いぶき ゆうとは、清滝トンネルの「長さが毎晩伸び縮みする」怪談を検証しに来ていた。


 午前一時。虫も鳴かない山道に、湿った土と排気ガスの臭いが混じる。レンタカーのヘッドライトがトンネル坑口に貼られた黄色い標識を照らした──


 清滝トンネル 延長376m


 「国の公式データは昼間に測った数字。夜は419メートルになるって言うやろ」

 伊吹が笑う。助手席にはレーザー距離計、ドライブレコーダー、温湿度計。民俗学というよりオカルト巡礼の装備だ。私は助手席のノートを開き、ゼミ指導教官がくれたコピーを確認した。


 〈昭和55年8月・落盤地点は坑口からちょうど200 m地点。死者4名のうち3名が行方不明のまま土砂に埋没〉


 死んだ場所を境に、長さが“折れ曲がる”のではないか──これが私たちの仮説だった。


      ◆


 走行開始。メーターゼロ、レーザー距離計オン。私たちは窓を開け、トンネル固有の温度変化を体で覚える方法を試した。坑口から50 mごとに体感温度をメモするのだ。


 50 m :27.4℃ 湿度91%

 100 m :27.0℃ 湿度92%

 150 m :26.8℃ 湿度94%


 舗装は濡れていた。前日の雨は上がっているのに、路面だけが黒く光る。 


 200 m地点に差しかかった瞬間、運転する伊吹が急ブレーキを踏んだ。ヘッドライトの輪の中、真っ白な人影がうずくまっている。


 「おい、子どもか?」


 視界の中央に、女の子がいた。白いワンピース、肩までの髪。トンネル壁面に爪を立てるようにしてしゃがみ込み、背中が小刻みに震えている。流行の心霊番組みたいだ、と口が乾くのを感じた。


 「大丈夫?」

 窓を開けて声をかけると、少女はこちらを見ないまま、掌で壁を叩いた。べちゃ。水滴の多い音。ライトが照らす壁には無数の手形が浮いていた。どれも手首から先しかない。赤土と黒カビが混ざった滲みがじわじわ広がり、今も増えている。


 「志織、距離計」

 思わず計測ボタンを押す。レーザーが示した数値は『241m』。計測位置は間違いなく、標識から200mしか走っていないはずだ。


 ──四十一メートルの誤差。


 伊吹は嫌な笑いを漏らし、ハイビームに切り替えた。少女の姿が掻き消え、奥の闇に編み込まれたように溶けた。代わりに見えたのは、トンネル天井から垂れ下がる太い亀裂。土砂やコンクリ片が車体を打ち、リアガラスにひびが入った。


 その瞬間、カーナビの画面が砂嵐になった。GPSが位置を喪失し、代わりに黒字のタイマーだけが回り始める。00:00からいきなり「00:03:43」──3分43秒。


 3時43分? いや、タイマー表示だ。だが“43”という数字に胸が凍った。清滝トンネルの「伸びる長さ」、日中測量値との差がちょうど「43メートル」なのだ。


      ◆


 私たちは進むしかなかった。バックミラー越し、坑口は真っ黒に塞がれ、出口の光も見えない。伊吹が低ギアに落とし、アクセルを踏むたびに車体前方へ水が跳ねる。タイヤが路面を掴まず、まるで川底を走っているようだった。


 250 m :24.1℃

 300 m :23.0℃


 温度が急降下する。エアコンは切ってあるのに、吐く息が白くなり、フロントガラスが凍り付く。ワイパーを動かすと氷膜が剥がれ、外の景色が歪む。路面の左右に、ヘルメット姿の作業員が並んでいた。反射ベストの白線が点線のように続く。しかし胸から下が無い。上半身だけが水面に浮かぶ断面図のように、地面と平行に漂っている。


 急にエンジン回転数が跳ね上がった。伊吹が叫ぶ。「ギア抜けてる!クラッチ効かん!」

 私はハンドブレーキを引こうとしたが、レバーは外側に折れていた。吹き出す鉄粉の匂い。ルームライトが勝手に点き、人感センサーが作動した合図の“ピッ”という電子音がこだました。


 車内へ冷気が流れ込む。後部座席のドアが半開きになっている。ミラーを見る。誰かが乗っている──髪から雫を垂らし、膝の無い脚をぶら下げた作業服の男が。


 「閉めて!」

 振り返るとシートは空だ。しかし濡れたヘルメットが転がっていた。社名ロゴは消え、代わりに赤いペンキで“4”の字が殴り書きされている。


 「あと……何メートル?」

 伊吹の声が震える。距離計は『375m』。もう夜間測定の公称値に達している。なのに出口の光が見えない。メーターは増え続け、『418』『419』──


 420m。ついに昼間データと比べて44mも長い。伊吹がハンドルを切った。前方、濃霧の奥に赤いランタンの列が浮かんだ。作業灯かと思ったが違う。ランタンの内側で燃えているのは炎ではなく、ドロリと揺れる血の塊だった。ねばついた赤光が車体を照らし、温度計は一気に「21.0℃」まで下がる。露点温度を越え、車内に白い霧が立った。


 「志織、バックだ!戻るぞ!」

 伊吹がシフトをリバースへ叩き込む。しかし後輪が浮いていた。車体後方が何者かに持ち上げられている。リアカメラは映らず、ただ暗闇に濡れた掌が張り付く音がする。


 その時、助手席の窓ガラスが割れた。外から伸びた腕が私のリュックを掴む。指は五本とも関節が逆向きに折れているのに、握力は万力のようだった。肩ベルトが締まり、上半身が窓へ引き寄せられる。


 「やめて!助けて!」

 無意識にスマホを取り出し、フラッシュで連写した。真っ白な閃光の中、一コマだけ異様に鮮明な画像が焼き付いた。トンネル壁面に貼り付いた少女、その背後にヘルメットの作業員、さらに背後は真っ赤な土砂──顔の判別さえ難しいほど潰れた肉塊が山のように折り重なり、全員がこちらを向いている。


 落盤で埋まったままの“行方不明者3体”。そして、子連れの観光客と言われた未確認の犠牲者。誰も供養を受けぬまま、トンネルの長さを夜毎に伸ばしているのだ。


      ◆


 ふと、ナビのタイマーが「00:04:19」で止まった。4分19秒。


 その瞬間、車体が路面へ落ちた。持ち上げていた腕が消えたのだ。ブレーキを踏みしめる。ヘッドライトの先に出口のアーチが現れ、山肌の雑木林が濡れて見えた。時刻は午前2時46分──3・11と同じ分秒に似た、不吉な数字。


 外へ飛び出す。後続車はない。振り返ると、トンネル坑口は漆黒で、壁にはまだ少女の手形が動いていた。べちゃ、べちゃ、と。


 伊吹がハザードを焚き、エンジンを切った。二人でガタガタ震えながら距離計を確認する。走行距離は『437m』。昼間の公称値にプラス61メートル。仮に戻って測り直しても、この数字を証明するものはない。


 だが、助手席に転がるヘルメットが物証だった。表面の赤い“4”の数字は乾ききらず、ぽたりと血が垂れた。


      ◆


 翌日、大学に報告書を提出すると、指導教官は青ざめながらも苦笑した。

 「夜間の清滝トンネルは昨年から通行止めだよ。落石防止の夜間工事でね。君ら、立入禁止のバリケードを見なかったのか?」


 そんなものはなかった。国交省道路情報も「全面通行可」だった。 


 帰り際、教授がぽつりと言った。

 「バリケードそのものが、まだ戻ってないんだろうね。四十三メートルの“向こう側”から……」


 清滝トンネルは今日も昼間は376m。

 だが送り火の夜になると、亡くなった者たちが測量杭をずらし、誰かを埋め込むための“余白”を広げる。


 その長さは年々、1メートルずつ延びているという。

 来年の夏、あなたが通るとき──もしメーターの距離がぴたりと43メートル増えたなら、アクセルを踏む前に耳を澄ませてほしい。


 背後で、土砂を掻き分ける手の音がしないかどうか。


【了】


【舞台と実話】

京都市右京区──清滝きよたきトンネル

・昭和55年(1980)工事中に落盤事故で死者4名。

・竣工後「昼と夜でトンネルの長さが違う(376 m と419 m)」という国交省測量値の誤差が報じられた。

・2018年8月16日未明、京都府警に“歩行者をはねた”という通報があり、駆け付けたところ車も人も見つからず、路面に濡れた手形だけが残っていた(地元紙・京都日報夕刊より)。

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