深夜の鳥居
八月の終わり、高校二年生の私、田村翔太は夏休み最後の思い出作りとして、幼馴染の山田と夜中にドライブをしていた。
「どこ行こうか」
助手席の山田が地図を見ながら聞いてきた。
「適当に走ろうよ」
私は県道を北に向かった。
時刻は午前二時を過ぎている。
道路には他の車もほとんど通っていない。
「あ、神社があるよ」
山田が前方を指差した。
確かに、木々に囲まれた小高い丘に神社の鳥居が見える。
「夜の神社って雰囲気あるよな」
「ちょっと寄ってみる?」
「やめとけよ、夜中の神社は良くないって言うじゃん」
しかし、私の好奇心が勝った。
「少しだけ」
神社への細い坂道を上がっていく。
ヘッドライトが照らす先に、古い石の鳥居が現れた。
「結構大きな神社だな」
車を鳥居の前に停めた。
エンジンを切ると、辺りが静寂に包まれる。
「なんか、空気が重くない?」
山田が不安そうに呟いた。
確かに、普通の夜とは違う雰囲気があった。
「気のせいだろ」
私は車から降りた。
鳥居には「稲荷大明神」という文字が刻まれている。
「稲荷神社か」
「お稲荷さんって、夜中は危険なんじゃなかったっけ?」
山田が車の中から声をかけた。
「大丈夫だよ」
私は鳥居をくぐった。
その瞬間、背中に冷たいものが走った。
「おい、翔太」
山田の声が震えている。
「鳥居の上、見てみろ」
私が振り返ると、鳥居の上に何かが座っていた。
「あれ、何だ?」
よく見ると、白い着物を着た女性のような姿だった。
長い黒髪が風もないのに揺れている。
「人?」
女性は私たちの方を見下ろしていた。
顔は見えないが、こちらを見つめているのがわかる。
「やばくない?」
山田が車から出てきた。
「帰ろうよ」
しかし、私は動けなかった。
女性が口を開いているのが見える。
何かを言おうとしているようだ。
「聞こえる?」
「何が?」
「女の人の声」
かすかに、女性の声が聞こえてきた。
「帰らないで」
はっきりと聞こえた。
「帰らないで、お願い」
女性が立ち上がった。
鳥居から飛び降りてくる。
「うわあああ」
山田が叫んだ。
女性は私たちの前に降り立った。
近くで見ると、顔が青白く、目が異常に大きい。
「久しぶりに、人が来てくれた」
女性が微笑んだ。
その笑顔が、恐ろしく不自然だった。
「あの、僕たち帰ります」
私が震え声で言った。
「だめ」
女性の表情が一変した。
「誰も、私を置いて帰っちゃだめ」
「置いてって?」
「私、ずっと一人だったの」
女性が一歩近づいた。
「この神社で、ずっと待ってたの」
「何を待って?」
「お父さんを」
女性の目に涙が浮かんだ。
「お父さんが迎えに来てくれるって言ったのに」
私は事情が飲み込めなかった。
「いつから待ってるんですか?」
「わからない」
女性が首を振った。
「でも、とても長い間」
その時、山田が私の袖を引っ張った。
「翔太、あの女の人の足」
私が見ると、女性の足が地面についていない。
宙に浮いている。
「もしかして」
私は総毛立った。
「あなたは」
「そう、私は死んでるの」
女性があっけらかんと言った。
「でも、お父さんを待ってるから帰れないの」
「いつ亡くなったんですか?」
「覚えてない」
女性が悲しそうに答えた。
「気がついたら、ここにいたの」
山田が私の耳元で囁いた。
「これ、地縛霊じゃないか?」
確かに、神社から離れられずにいる霊のようだった。
「お父さんは、もう来ないかもしれませんよ」
私が優しく言った。
「そんなことない」
女性が激しく首を振った。
「お父さんは約束したの」
「どんな約束?」
「必ず迎えに来るって」
女性の目が赤く光った。
「だから待ってるの、ずっと」
その時、神社の本殿の方から鈴の音が聞こえた。
「あ」
女性が振り返った。
「お父さん?」
本殿から、一人の男性が現れた。
年配の男性で、古い服を着ている。
「花音」
男性が女性の名前を呼んだ。
「お父さん!」
女性が男性に駆け寄った。
「ごめんね、遅くなって」
男性が女性を抱きしめた。
「長い間、一人で寂しかったね」
「大丈夫、待ってたから」
親子の再会に、私たちも涙が出そうになった。
「もう、一緒に行こう」
男性が女性の手を取った。
「はい」
二人が光に包まれていく。
「ありがとうございました」
女性が私たちに向かって頭を下げた。
「あなたたちが来てくれたから、お父さんも迎えに来られたんです」
「そんな」
「本当です」
女性が最後の微笑みを見せた。
「さようなら」
二人の姿が消えていく。
気がつくと、私たちは車の前に立っていた。
「今のって」
「成仏したってことかな」
山田が呟いた。
翌日、私たちは図書館でその神社について調べた。
「あった」
山田が古い新聞記事を見つけた。
「昭和四十五年の記事だ」
記事には、神社で父親を待っていた少女が衰弱死した事件が載っていた。
「柴田花音、享年十六歳」
山田が読み上げた。
「父親の出稼ぎ先での事故死を知らされず、迎えを待ち続けていたという」
私たちは震えた。
「五十年以上も待ってたのか」
「そして昨夜、やっと父親と再会できた」
私たちが神社を訪れたことで、何かのきっかけが生まれたのかもしれない。
それとも、もう十分に待ったと神様が判断されたのか。
理由はわからないが、親子が再会できて良かった。
あの夜以来、私は夜中に神社に近づくことはない。
でも、困っている霊がいるなら、また力になりたいと思っている。
――――
この体験は、2019年8月に群馬県高崎市で発生した「榛名山稲荷神社霊視事件」に基づいている。深夜に神社を訪れた高校生が地縛霊と遭遇し、その霊の成仏を目撃したとして、地元の超常現象研究会が詳細な調査を実施した事例である。
群馬県高崎市の「榛名山稲荷神社」は室町時代創建の古社で、山間部の静かな立地にある。2019年8月28日深夜、地元高校生の田村翔太さん(仮名・当時17歳)と山田健一さん(仮名・同年)が夜間ドライブ中に同神社を訪問。境内で白い着物姿の女性の霊と遭遇し、約30分間にわたり交流した。
霊は自分を「花音」と名乗り、父親の迎えを待ち続けていると証言。その後、年配男性の霊が現れて親子が再会し、光に包まれて消失する現象を両名が目撃した。翌日の調査で、昭和45年に同神社で父親の迎えを待っていた柴田花音さん(当時16歳)が衰弱死した記録が発見され、霊の証言と完全に一致した。
花音さんの父親は出稼ぎ先の建設現場で事故死していたが、母親が事実を告げられずにいる間に花音さんが家出し、「父が迎えに来ると約束した神社」で待ち続けて死亡した。遺体発見時も「お父さんを待っている」と書かれたメモが残されていた。
榛名山稲荷神社の宮司・鈴木良治氏(65歳)は「約50年間、花音さんの霊が境内に留まっていることは地元でも知られていた。参拝者が彼女を目撃することで、ようやく成仏の機会を得られたのでは」と分析している。事件後、同様の霊現象は報告されていない。
田村さんは現在大学生となり、「霊との出会いで生と死、家族の絆について深く考えるようになった。花音さんが安らかに眠れることを願っている」と語る。群馬県超常現象研究会では同事例を「地縛霊の成仏過程を詳細に記録した貴重な資料」として研究を継続している。