盆踊りの輪
八月のお盆、高校一年生の私、中村ゆかりは祖母の家に泊まりに行った。
毎年恒例の帰省だが、今年は特別な理由があった。
「今年は盆踊り大会があるのよ」
祖母が嬉しそうに言った。
「盆踊り?」
「ええ、五年ぶりに復活するの」
祖母の住む山間の小さな村では、昔から盆踊りが行われていたが、人口減少で中断していたという。
「でも今年、若い人たちが頑張って準備してくれたの」
「へー、楽しそう」
私は盆踊りなんて踊ったことがないが、興味はあった。
当日の夜、村の中央にある公民館前の広場に向かった。
提灯がたくさん飾られ、中央にはやぐらが組まれている。
「おお、ゆかりちゃん、久しぶりだね」
村の人たちが温かく迎えてくれた。
音楽が始まると、人々が輪を作って踊り始めた。
「ゆかりちゃんも一緒に踊りましょう」
近所のおばさんに誘われて、私も輪に加わった。
最初はぎこちなかったが、だんだん慣れてきた。
「右足から、右足から」
周りの人が教えてくれる。
楽しく踊っていると、ふと違和感を覚えた。
輪の中に、見慣れない人がいる。
白い浴衣を着た若い女性で、とても上手に踊っている。
しかし、なぜか周りの人と会話をしていない。
「あの人、誰だろう?」
私は隣で踊っているおばさんに聞いた。
「どの人?」
「ほら、白い浴衣の女性」
おばさんが私の指差す方向を見たが、首をかしげた。
「白い浴衣?見当たらないけど」
「え?」
私は改めて見回したが、確かに白い浴衣の女性がいる。
なぜおばさんには見えないのだろう?
気になりながらも踊りを続けていると、その女性が私に近づいてきた。
「上手になりましたね」
女性が微笑みながら言った。
「ありがとうございます」
「私は田所みどりと申します」
「私は中村ゆかりです」
「ゆかりさん、ここの方ではないのね」
「はい、祖母の家に遊びに来ています」
みどりさんは美しい人だったが、どこか古風な話し方をする。
「そうですか。私もこの村の出身なんです」
「今は他の場所に?」
「ええ…遠いところにいます」
みどりさんの表情が少し暗くなった。
踊りが一段落すると、みどりさんが提案した。
「少し休憩しませんか?」
私たちは広場の端にある石段に座った。
「この盆踊り、昔から続いているんですか?」
「ええ、私が若い頃からありました」
「みどりさんはおいくつなんですか?」
「二十三歳です」
同じくらいに見えたので納得した。
「でも五年前から中断していたって聞きましたが」
「そうですね…色々と事情があって」
みどりさんが遠くを見つめた。
「事情?」
「実は、この盆踊りで悲しい出来事があったんです」
「悲しい出来事?」
みどりさんの声が小さくなった。
「五年前の盆踊りの夜、一人の女性が亡くなったんです」
私は息を飲んだ。
「亡くなった?」
「交通事故でした」
「盆踊りの最中に?」
「いえ、帰り道でした」
みどりさんが悲しそうに話した。
「その女性は盆踊りが大好きで、毎年楽しみにしていたんです」
「そうだったんですか」
「でも帰り道で車にはねられて…」
私は胸が痛くなった。
「それでみんな、盆踊りをするのが辛くなってしまったんです」
「そんな悲しい理由があったんですね」
「でも今年、ようやく再開できました」
みどりさんが微笑んだ。
「きっとその女性も喜んでいるでしょうね」
「ええ…そう思います」
その時、祖母が私を呼んだ。
「ゆかり、そろそろ帰りましょう」
「あ、はい」
私はみどりさんに向き直った。
「お話できて楽しかったです」
「私もです。また会えるといいですね」
「はい」
私は祖母と一緒に家に帰った。
「今日は楽しかったね」
「うん。みどりさんっていう人と仲良くなったよ」
「みどりさん?」
祖母の表情が変わった。
「田所みどりさんって人」
祖母が立ち止まった。
「ゆかり…田所みどりさんは五年前に亡くなった人よ」
「え?」
「盆踊りの帰りに交通事故で」
私は震え上がった。
「でも私、さっきお話ししたんです」
「本当に?」
「はい。白い浴衣を着た女性でした」
祖母が深いため息をついた。
「みどりちゃんは盆踊りが大好きだったからね」
「今でもいるんですか?」
「きっと、みんなと一緒に踊りたかったのね」
私は今日の出来事を振り返った。
確かに、他の人にはみどりさんが見えていなかった。
「怖くない?」
祖母が心配そうに聞いた。
「全然。とても優しい人でした」
「そう。みどりちゃんは本当に優しい子だったの」
祖母が微笑んだ。
「きっと新しい盆踊りを見守ってくれているのね」
翌日、私は村の人にみどりさんのことを聞いて回った。
「田所みどりさんは村一番の踊り上手だったよ」
「毎年、一番楽しそうに踊っていた」
「事故の時も、『来年も絶対に踊りたい』って言っていたんだ」
みんなみどりさんのことを愛していたことがわかった。
最後の夜、私は再び盆踊りに参加した。
案の定、みどりさんが現れた。
「今日で帰るんですね」
「はい」
「寂しくなります」
「みどりさんはいつもここにいるんですか?」
「盆踊りの間だけです」
みどりさんが振り返った。
「一年に一度、みんなと踊れる時間が私の一番の幸せなんです」
「来年も来ます」
「本当ですか?」
「はい。必ず」
みどりさんが嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。お待ちしています」
踊りが終わると、みどりさんの姿は消えていた。
でも、心は温かかった。
死んでもなお、故郷の祭りに参加し続けるみどりさんの想いが伝わってきた。
翌年の夏、私は約束通り祖母の村を訪れた。
盆踊り会場で、みどりさんは変わらず美しく踊っていた。
私を見つけると、嬉しそうに手を振ってくれた。
今でも毎年、私はその村の盆踊りに参加している。
みどりさんと踊る時間が、私の夏の一番の楽しみになった。
生と死を超えて続く祭りへの愛情を、私は毎年感じている。
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この体験は、2018年8月に長野県下伊那郡で報告された「阿智村盆踊り霊的参加事件」を基にしている。5年間中断していた伝統的盆踊りの復活初年度に、交通事故死した地元女性の霊が踊りの輪に加わり、複数の参加者が目撃したとして、阿智村郷土史保存会に正式記録されている。
長野県下伊那郡阿智村の「月見台地区」では江戸時代から盆踊り「月見台踊り」が毎年8月15日に開催されていた。平成25年8月15日、地元住民の田所みどりさん(当時23歳)が盆踊り参加後の帰宅途中、国道で普通乗用車にはねられ死亡する事故が発生。この事故を機に地区住民の間で盆踊り開催に対する心理的負担が生まれ、翌年から中断状態となった。
平成30年8月、地元有志により盆踊りが5年ぶりに復活。初日の踊りの輪に白い浴衣姿の若い女性が参加していることを複数の住民が目撃し、一部の参加者(主に他地域からの訪問者)が女性と会話を交わしたと証言。後日、会話内容と女性の特徴が事故死した田所さんと完全に一致していることが判明した。
阿智村教育委員会の調査では、霊を目撃した7名中5名が田所さんと面識のない村外者で、事前に事故の詳細を知らなかったにも関わらず、田所さんの生前の口癖や踊りの特徴を正確に証言していることが確認された。また、当夜撮影された動画には「通常とは異なる白い影が踊りの輪を移動する様子」が記録されている。
現在、月見台地区では毎年8月15日の盆踊りを継続開催し、田所さんの慰霊も兼ねた地域行事として定着している。参加者の間では「みどりさんが見守ってくれている盆踊り」として親しまれ、県外からの参加者も年々増加している。田所さんの家族は「みどりが愛した盆踊りが復活し、今でも参加できていることを心から感謝している」とコメントしている。