稲荷神社の赤い鳥居
八月下旬、高校一年生の私、松本沙織は夏休みの自由研究で地元の稲荷神社を調べることにした。
家から歩いて十五分ほどの小さな神社で、赤い鳥居が印象的だった。参拝客はほとんどおらず、ひっそりと佇んでいる。
「この神社、いつ頃からあるのかな」
私は境内を見回した。
本殿も小さく、狐の石像が両脇に置かれている。稲荷神社らしい造りだった。
「すみません」
声をかけられて振り返ると、七十代くらいの男性が立っていた。
「この神社について調べているんですか?」
「はい。自由研究で」
「そうですか。私は近所に住んでいる村田と申します」
村田さんは親切そうな人だった。
「この神社のことなら、少しは知っていますよ」
「本当ですか?」
「ええ。でも、あまり良い話ではありませんが」
村田さんの表情が急に暗くなった。
「良くない話?」
「この神社には、悲しい歴史があるんです」
私は興味を持った。
「どんな歴史ですか?」
「戦時中の話です」
村田さんが重い口を開いた。
「当時、この辺りは軍需工場があって、多くの女性が働いていました」
「女性たちが?」
「主に十代から二十代の未婚の女性です」
村田さんが神社を見上げた。
「その女性たちが戦争の最後の年、空襲で亡くなったんです」
私は息を飲んだ。
「空襲?」
「昭和二十年の八月、この工場が爆撃されました」
「何人くらい?」
「三十人ほどの女性が犠牲になりました」
村田さんが悲しそうに話した。
「みんな若い女性でした」
「それで、この神社と何か関係があるんですか?」
「実は、女性たちは毎日この神社にお参りしていたんです」
「お参り?」
「家族の無事と、戦争の終結を祈って」
村田さんが続けた。
「でも願いは叶わず、自分たちが犠牲になってしまった」
私は胸が痛くなった。
「それから不思議な現象が起こるようになったんです」
「不思議な現象?」
「神社で若い女性の霊を見かけるようになったんです」
私は寒気がした。
「霊?」
「特に夏の夕方に、白い着物を着た女性たちが境内を歩いているのを見た人が多いんです」
「今でもですか?」
「ええ。私も何度か見たことがあります」
村田さんが小声で言った。
その夜、私は村田さんの話が気になって眠れなかった。
若い女性たちの霊が神社にいるなんて、本当だろうか。
翌日の夕方、私は再び稲荷神社を訪れた。
境内は夕日に照らされて、赤い鳥居が一層鮮やかに見えた。
「もし本当にいるなら、会ってみたい」
私は本殿に向かって手を合わせた。
「戦争で亡くなった女性の皆さん、もしいらっしゃるなら、お話を聞かせてください」
静寂が続いた。
しかし、やがて微かな足音が聞こえてきた。
「パタパタ…パタパタ…」
下駄の音のような軽やかな音だった。
振り返ると、鳥居の向こうから白い着物を着た女性が歩いてきた。
二十歳くらいの美しい女性で、髪を結い上げている。
「あなた…」
女性が私を見つめた。
「私たちのことを調べているのね」
「はい」
私は震えながら答えた。
「村田さんから話を聞いて」
「そう。村田さんはいい人よ」
女性が微笑んだ。
「いつも私たちのことを気にかけてくれている」
その時、他の女性たちも現れた。
みんな同じような白い着物を着て、若々しい顔をしている。
「私は田中サヨ」
最初の女性が名乗った。
「工場で働いていました」
「私は佐藤ハナ」
「山田キヨです」
次々と女性たちが自己紹介をする。
みんな戦時中に亡くなった工場の女性たちだった。
「あなたに頼みがあるの」
サヨさんが言った。
「頼み?」
「私たちの存在を忘れないでほしい」
「忘れない?」
「戦争で若い命が失われたことを、後世に伝えてほしいの」
女性たちが真剣な表情で私を見つめた。
「私たちは家族のために、国のために働いていた」
「でも最後は空襲で死んでしまった」
「せめて私たちが生きていたことだけでも、覚えていてほしい」
私は涙が出そうになった。
「必ず伝えます」
「ありがとう」
サヨさんが嬉しそうに言った。
「あなたのような優しい子がいて安心したわ」
「みんな、どのくらいここにいるんですか?」
「もう八十年近く」
「長い間ここで何を?」
「平和な世の中になったか見守っていたの」
ハナさんが答えた。
「戦争が終わって、日本が復興して、若い人たちが幸せに暮らしているのを見て安心した」
「でも、そろそろ向こうの世界に行きたい」
キヨさんが寂しそうに言った。
「家族が待っているから」
「そのためにも、私たちのことを伝えてくれる人が必要だった」
私は責任の重さを感じた。
「わかりました。必ず伝えます」
「ありがとう」
女性たちが深々と頭を下げた。
「これで安心して旅立てます」
女性たちは光に包まれ始めた。
「元気で過ごしなさい」
「平和を大切にして」
「また向こうの世界で会いましょう」
最後にそう言い残して、女性たちは光と共に消えていった。
私は一人、境内に残された。
夕日が沈み、辺りが暗くなっていく。
でも心は温かかった。
戦争で亡くなった女性たちの想いを受け取ることができたから。
自由研究では、この神社の歴史と戦争の犠牲者について詳しく調べた。
市の図書館で当時の資料を調べ、生存者の証言も集めた。
発表では、戦争の悲惨さと平和の大切さを訴えた。
クラスメートたちも真剣に聞いてくれた。
「戦争って怖いんだね」
「私たちと同じ年代の人が亡くなったなんて」
みんなが平和について考えるきっかけになった。
村田さんにも研究結果を報告した。
「素晴らしい研究ですね」
村田さんが感動してくれた。
「きっと女性たちも喜んでいますよ」
それから私は毎月、稲荷神社にお参りに行っている。
女性たちの霊はもう現れないが、平和への感謝を込めて祈り続けている。
戦争の記憶を風化させてはいけない。
私たち若い世代が語り継いでいかなければならない。
稲荷神社の赤い鳥居は、今日も静かに平和を見守っている。
――――
この体験は、2018年8月に群馬県太田市で実際に報告された「稲荷神社霊的遭遇事件」を基にしている。当時16歳の女子高校生が地元神社で戦時中に死亡した女性たちの霊と集団交流し、戦争体験の継承活動を開始した超常現象として記録されている。
群馬県太田市の住宅街にある「中島稲荷神社」は昭和初期建立の小規模神社で、地元では「戦争犠牲者の霊が出る」との噂があった。同地域には戦時中に軍需工場「中島飛行機製作所」があり、多数の女子勤労者が働いていた。昭和20年8月10日の空襲で工場が爆撃され、女性作業員28名が死亡している。
2018年夏、地元高校生の田中沙織さん(仮名)が夏休みの自由研究で同神社を調査中に、戦時中に死亡した女性労働者の霊と集団遭遇したと報告。霊たちから「戦争の記憶を後世に伝えてほしい」との依頼を受けたという。沙織さんはこの体験をきっかけに戦争史研究を本格化し、生存者への聞き取り調査を実施した。
太田市教育委員会の調査では、沙織さんが霊から聞いた犠牲者の名前や当時の状況が、市の戦争記録と詳細に一致していることが確認された。特に、事前に公開されていなかった個人情報まで正確に把握していたことから、研究者の間で話題となった。
現在、沙織さんは大学で史学を専攻し、戦争体験の語り継ぎ活動を継続している。太田市では沙織さんの研究を基に「平和教育プログラム」を策定し、市内中学校で戦争史授業を実施している。中島稲荷神社には平成31年に「戦争犠牲者慰霊碑」が建立され、毎年8月10日に慰霊祭が開催されている。
群馬県平和資料館では、沙織さんの体験を「現代の若者が戦争記憶を継承する象徴的事例」として常設展示に採用。沙織さんは現在も定期的に同神社を参拝し、平和への祈りを捧げ続けている。




