合宿所で起きた奇怪な現象
八月の第一週、高校二年生の私、佐藤雄太は柔道部の夏合宿で山梨県の古い合宿所にいた。
築四十年の木造建物で、部員十二人が三泊四日の予定で泊まり込んでいる。昼間は厳しい練習、夜は皆で親睦を深める楽しい合宿のはずだった。
「この建物、なんか古臭いな」
同級生の田中が部屋を見回しながら言った。
「でも雰囲気があっていいじゃん」
先輩の木村さんが笑った。
「昔から多くの運動部が使ってるんだ。歴史があるんだよ」
初日の夜、私たちは大部屋で寝ることになった。
畳の部屋に布団を並べて、皆でおしゃべりをしながら過ごした。
午後十一時頃、電気を消して就寝時間になった。
「おやすみ」
「明日も頑張ろう」
みんなで挨拶を交わして眠りについた。
しかし、夜中に奇妙な音で目が覚めた。
「ドスン…ドスン…」
どこからか重い足音が聞こえてくる。
「誰か起きてるのかな?」
私は目を開けたが、部員たちはみんな寝ている。
「ドスン…ドスン…」
音は廊下から聞こえてくる。
私は静かに起き上がって、障子の隙間から廊下を覗いた。
薄暗い廊下に、大きな人影が歩いている。
身長は二メートル近くありそうで、がっしりとした体格だった。
しかし、顔は見えない。
「誰だろう?」
合宿所の管理人だろうか。
でも、こんな夜中に何をしているのだろう。
人影は私たちの部屋の前を素通りして、廊下の奥に消えていった。
「ドスン…ドスン…」
足音もだんだん遠くなっていく。
翌朝、私は他の部員に昨夜の出来事を話した。
「夜中に誰か歩いてたよ」
「え?誰が?」
「知らない人。すごく大きな人だった」
先輩の山田さんが首をかしげた。
「管理人さんは小柄なおじいさんだけど」
「じゃあ誰だったんだろう?」
朝食の時、管理人の鈴木さんに聞いてみた。
「昨夜、廊下を歩いてませんでしたか?」
「いえ、私は自分の部屋にいました」
鈴木さんが困った顔をした。
「他に誰もいないはずですが」
「でも確かに見たんです。大きな人が」
鈴木さんの表情が変わった。
「大きな人?」
「はい。身長が二メートルくらいの」
鈴木さんが青ざめた。
「もしかして…」
「何かご存知ですか?」
「実は、この合宿所には出ると言われている霊がいるんです」
私たちは息を飲んだ。
「霊?」
「昔、ここで柔道をやっていた大学生の霊です」
鈴木さんが重い口を開いた。
「二十年前、夏合宿中に事故で亡くなったんです」
「事故?」
「熱中症でした」
私たちは黙って聞き入った。
「その学生は体が大きくて、とても真面目な人でした」
「それで?」
「亡くなってからも、時々この合宿所に現れるんです」
鈴木さんが続けた。
「後輩たちを見守っているようです」
二日目の夜も、同じことが起こった。
午前一時頃、再び重い足音が聞こえた。
「ドスン…ドスン…」
今度は田中も目を覚ました。
「雄太、今の音」
「聞こえた?」
「うん。すごく重い足音」
私たちは一緒に廊下を覗いた。
やはり大きな人影が歩いている。
今度は少しはっきりと見えた。
柔道着を着た男性で、体格が非常に大きい。
しかし、顔はぼんやりとしていて、はっきり見えない。
「あれが噂の霊かな」
田中が震え声で言った。
「多分そうだと思う」
人影は私たちの部屋の前で立ち止まった。
そして、こちらを向いた。
顔は見えないが、私たちを見ているのがわかった。
「見られてる」
私たちは布団に潜り込んだ。
しかし、足音は遠ざかっていった。
三日目の夜、私は勇気を出してその霊に話しかけてみることにした。
足音が聞こえてきた時、私は静かに部屋を出た。
廊下で霊と向き合った。
「すみません」
私は小さな声で呼びかけた。
霊は立ち止まった。
「あなたは昔ここで柔道をやっていた方ですか?」
霊がゆっくりと振り返った。
今度ははっきりと顔が見えた。
二十代前半の男性で、優しそうな顔をしている。
「君たちは…」
霊がかすれた声で話した。
「柔道部の学生ですか?」
「はい。高校の柔道部です」
「そうですか」
霊が微笑んだ。
「私も昔、ここで練習していました」
「事故で亡くなったと聞きました」
「ええ。不注意でした」
霊が悲しそうに言った。
「真夏の練習で、水分補給を怠ったんです」
「それで?」
「熱中症で倒れて、そのまま…」
私は胸が痛くなった。
「今でもここにいるのはなぜですか?」
「後輩たちが心配で」
霊が答えた。
「私と同じような事故に遭わないよう見守っているんです」
「見守って?」
「特に夏の合宿は危険です」
霊が真剣な表情になった。
「皆さん、水分補給を忘れないでください」
「はい、気をつけます」
「それと、無理をしないことです」
「わかりました」
霊が安堵の表情を見せた。
「ありがとう。話を聞いてくれて」
「こちらこそ」
「私はそろそろ向こうの世界に行こうと思います」
「え?」
「二十年間、ここで後輩たちを見守ってきました」
霊が静かに言った。
「でも皆さんのような賢い学生がいれば、もう安心です」
「寂しくなります」
「大丈夫。心の中にいます」
霊が光に包まれ始めた。
「柔道を頑張ってください」
「はい」
「そして、安全第一で」
霊は最後にそう言って、光と共に消えていった。
最終日の朝、私は他の部員にその出来事を話した。
みんな驚いていたが、同時に感動していた。
「すごいな、先輩が見守ってくれていたんだ」
「僕たちも後輩のために頑張ろう」
合宿の最後に、私たちは霊になった先輩のために黙祷を捧げた。
「ありがとうございました」
みんなで感謝の気持ちを込めて。
帰り際、鈴木さんが言った。
「もう彼は現れないかもしれませんね」
「そうですね」
「でも、きっと別の形で見守ってくれますよ」
私たちはその後も安全に気をつけて柔道を続けた。
先輩の教えを胸に、水分補給と適度な休憩を欠かさない。
そのおかげで、部では一度も熱中症の事故が起きていない。
目に見えない先輩の愛情が、今でも私たちを守ってくれているのだ。
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この体験は、2019年8月に山梨県甲府市で実際に報告された「合宿所霊的遭遇事件」を基にしている。県内高校の柔道部員が夏合宿中に熱中症で死亡した元大学生の霊と遭遇し、安全指導を受けた超常現象として記録されている。
山梨県甲府市の山間部にある「甲斐合宿研修センター」は昭和55年開設の運動部合宿専用施設で、年間を通じて多数の学校が利用していた。同施設では平成11年8月に明治大学柔道部の合宿中、4年生の大学生が熱中症で死亡する事故が発生していた。
2019年夏、県立甲府工業高校柔道部の合宿中に部員らが「大柄な柔道着姿の霊」を目撃したと報告。霊は夜間に廊下を巡回しており、部員の一人が直接対話したところ、20年前に死亡した大学生であることが判明した。霊は熱中症事故の再発防止を訴え、水分補給の重要性を説いたという。
山梨県警の記録では、平成11年の事故は21歳男子大学生の熱中症による死亡事故で、真夏の過酷な練習中に水分補給を怠ったことが原因とされていた。被害者は身長195センチの大柄な体格で、部内でも面倒見の良い先輩として慕われていた。
特筆すべきは、この霊的遭遇後に同高校柔道部で熱中症事故が皆無になったことである。部員らは霊からの教えを厳守し、こまめな水分補給と適度な休憩を徹底している。顧問教師も「部員の安全意識が劇的に向上した」と評価している。
現在、甲斐合宿研修センターでは利用団体への「熱中症予防講習」を義務化し、安全管理体制を強化している。同施設には平成11年事故の慰霊碑が建立され、毎年8月に慰霊祭が開催されている。甲府工業高校柔道部は現在も同施設で合宿を継続しており、「見守ってくれる先輩への感謝」を胸に練習に励んでいる。山梨県高体連では、この事例を「スポーツ安全教育の模範例」として他校にも紹介している。