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怖い話  作者: 健二
☆★★★
38/42

震灯(しんとう)

       

 二〇二四年十二月の神戸は、クリスマスを前にしてもどこか湿っていた。私は照明デザイナーの浅井。来月、震災メモリアルとして旧県庁舎本館をプロジェクションマッピングで彩る企画に呼ばれ、深夜、建物内部の3Dスキャンを行っていた。同行は電飾業者の若いエンジニア・吉岡だけ。


 午前一時。昭和初期の石壁はヒビが蜘蛛の巣のように走り、階段の手すりは真鍮が黒変している。ヘルメットに固定したLiDARを回すと、点群の隙間に“灰色の霧”が乗った。削除しても再描画しても浮く。吉岡が「埃っすよ」と笑ったが、私は震災遺構で見た焼け石膏の色を思い出していた。


 スキャナを議場の天井裏へ上げる。はりが軋んだ。95年1月17日午前5時46分——阪神・淡路大震災で最も揺れの大きかった時刻を示す掛時計が、今も止まったままだ。埃を拭うと短針が震え、1目盛だけ進んで静止した。



 私はヘッドホンで環境ノイズを確認する。すると誰もいない議場の床下から、ゆっくりと拍手が湧いた。式典ではなく、客席に散らばった人間が互いを鼓舞するような不揃いの拍手——被災直後、倒壊家屋の下から聞こえた「生きている合図」と同じリズムだ。


 思わず吉岡を見ると、彼はスマホを構え耳を塞いでいた。ディスプレイには“緊急地震速報”と赤い帯。ただし発信元が「2025/01/17 05:46 兵庫県南部 M7.4 最大震度6強」と未来の日付を示している。通信は圏外。受信できるはずがない。


 同時に、床材がネジを軋ませて隆起した。点群データは議場床の一部を“0地点”と誤認し、高さが数センチ跳ね上がる。1995年、県庁本館で実際に計測された即時隆起量と一致していた。



 逃げようと玄関へ向かうが、自動扉は閉電で動かない。代わりにガラスにプロジェクターが映像を結んだ。予定していないテストパターン——瓦礫に座る消防団員の白黒写真。ピントが合ってゆくと、ヘルメットの番号が“石屋川分団・林”と読めた。吉岡はその名札を胸に付ける父を知らない。生まれる半年前に殉職したからだと言う。


 映像の消防団員がこちらを向き、口を開けた。音は出ない。だがスキャナの波形解析に“14Hz”の地震波形が乗る。常識的に可聴域ではない。しかしヘルメットが共振し、脳の内側で「逃ゲロ」という声に変換された。


 私は吉岡を手招きし、非常階段を駆け下りた。鉄製踏み板が鳴るたびに、廊下の蛍光灯が一列ずつ消えていく。地震で停電したビルの映像をそのまま模したようだ。



 地下資料庫。1995年当時、被災者名簿を保管した部屋だ。ドアの内側に新品の集塵機が置かれ、なぜか稼働している。フィルタに引っ掛かった紙片を吉岡がつまむと、焼け焦げたA4用紙だった。片側だけが真新しく、そこにはまだ来ていない名簿が印刷されている。


  〈2025年兵庫県南部地震 行方不明者一覧〉


 34行目に“吉岡 周太 25歳”とあり、その下に“浅井 智彦 38歳”。私は咄嗟に紙を奪い、集塵機ごと蹴倒した。紙片は粉砕され灰になったが、換気ダクトから同じ名簿が雪のように降り続ける。



 もはや現実と幻が混ざり合い、呼吸も焦げ臭い。私はあえてLiDARを最大出力で起動した。緑のレーザーが部屋中を掃射し、点群が壁、床、天井、そして空気中の微粒子まで形に起こす——するとそこに“空洞”が浮かんだ。議場と資料庫を貫き、一直線に二メートル幅で走る見えない亀裂。


 震災の解析報告で「もし活断層がさらに3センチ動いていたら、本館は中央から真二つに裂け落ちた」と書かれていた距離だ。亀裂は245ミリ、つまり“あと3センチ弱”で地表へ噴き出す。点群は今も動いている。


 私は吉岡に叫んだ。

 「外へプロジェクターを撃て! 建物の亀裂を街に可視化するんだ!」


 吉岡はパニックの中、屋上の照明タワーに昇り、レーザーラインを放った。光の亀裂が夜空とビル壁面を貫き、北へ約三キロ、都賀川の暗渠で止まる。

 そこは震災で浸水し百人以上が亡くなった区域。光を見上げた警備員が無線で騒ぎ、県警と消防の指令室が目視で現地へ動き出す。



 午前三時。県庁前の道路は緊急車両で埋まり、私と吉岡は取り調べに近い聴取を受けた。だが技術陣が建物を再点検すると、本当にコンクリート内部で深度2.45メートルの亀裂が見つかった。余震で拡大すれば倒壊の恐れ。工事監督は開口一番、「このままなら年明けのルミナリエは中止だ」と言った。


 私は胸の奥で別の声を聞いた。「祝っとる暇は、まだ無いぞ」。95年に震災を経験し、灯りよりまず水と毛布を求めた人々の声だ。



 翌年一月十七日。私は吉岡とともに夜明け前の旧県庁舎前に立った。修復工事のためルミナリエは縮小され、代わりにわれわれが設計した“光の亀裂”だけが空へ伸びる。

 五時四十六分、サイレンが鳴り黙祷が始まる。ちょうどその瞬間、ビルの足元で小さな揺れが来た。震度1。断層が息を吐く程度の動き。しかし過去と未来を束ねていた霊的な糸がスッと抜けたのを、私は皮膚で感じた。


 揺れが止むと、光のラインはゆっくりと消え、黒い空が戻った。耳元で誰かが拍手を打った気がした——今度は、確かに「終わった合図」として。


 吉岡が泣き笑いで肩を叩く。

 「あの夜、父さんが俺を引っぱったんだと思う」


 私は答えず旧県庁を振り返った。議場の窓にだけ、黄金色のスポットが灯っている。電源は落としてある。なのに照らされた議席に、一列分だけ人影が座っていた。拍手の主だろう。その影は手を合わせ、静かに頭を下げた。


 私は深く礼を返した。


               (了)


――作中に登場した実在の出来事――

・1995年1月17日 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)

・神戸ルミナリエ(1995年より毎年追悼行事として開催)

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