海の底から響く鐘の音
八月下旬の三連休、高校二年生の私、佐野翔太は友人の田島、中村と一緒に和歌山県の熊野灘沿岸にある小さな漁村を訪れていた。田島の祖父が漁師をしているこの村で、夏の最後の思い出を作ろうと海水浴に来たのだ。
「ここの海、めちゃくちゃ綺麗だな」
中村が感嘆の声を上げた。確かに、透明度の高い青い海は都会では見ることのできない美しさだった。
「でも、あの沖の方だけは近づいちゃだめだよ」
田島の祖父である田島さんが、沖合の一点を指差した。
「どうしてですか?」
私が尋ねると、田島さんは深刻な表情になった。
「あそこには、昔お寺が沈んでるんだ」
「お寺が?」
「ああ。四百年前の津波で、村ごと海の底に沈んだ」
田島さんは漁船の網を繕いながら話を続けた。
「その沖合では、今でも時々鐘の音が聞こえるんだ」
「鐘の音?」
「そう。海の底から、ゴーンゴーンと寺の鐘が響いてくる」
田島さんの表情がさらに暗くなった。
「そして、その鐘の音を聞いた人は…」
「聞いた人は?」
中村が身を乗り出した。
「海に引きずり込まれる」
私たちは息を飲んだ。
「本当ですか?」
「本当だよ。十年前にも、よそから来た若者が一人、あの沖で溺れて死んだ」
田島さんは空を見上げた。
「地元の漁師は、絶対にあの海域には近づかない。海底の寺に眠る亡霊たちが、生きている人間を仲間にしようとするんだ」
その日の午後、私たちは村の海岸で泳いでいた。しかし、田島さんの話が気になって、時々沖の方を見てしまう。
「あの辺りか」
田島が指差した方向には、何の変哲もない海面が広がっている。
「本当に海の底にお寺があるのかな」
中村が疑問を口にした。
「村の人がそう言うんだから、あるんじゃない?」
「でも、鐘の音なんて聞こえないよ」
その時だった。
微かに、ゴーンという音が聞こえてきた。
「今の音…」
私たちは顔を見合わせた。
「鐘の音?」
再び、ゴーンという音が響いた。今度ははっきりと聞こえた。
「本当に鐘が鳴ってる」
田島が青ざめた。
音は海の沖合から聞こえてくる。しかも、だんだん大きくなっているような気がした。
「やばくない?」
中村も怖がっている。
「とりあえず、海から上がろう」
私たちは慌てて浜辺に上がった。しかし、鐘の音は止まらない。
ゴーン、ゴーン、ゴーン…
規則正しく響く鐘の音に、私たちは恐怖を感じていた。
「おじいさんを呼んできた方がいいんじゃないか?」
田島が提案した時、異変が起きた。
海面が不自然に盛り上がり始めたのだ。
「あれ、何?」
沖合の海面が、まるで何かが下から押し上げているように膨らんでいる。
そして、その盛り上がった部分から、古い木造建築の屋根が現れた。
「嘘だろ…」
中村が呟いた。
屋根に続いて、お寺の本堂が海面に姿を現した。古い瓦屋根に、朽ちかけた柱。まさに海底から浮上してきた寺だった。
「本当にあったんだ」
鐘の音は、その寺から響いてきている。鐘楼の鐘が、誰かに突かれているように揺れていた。
「でも、誰が鐘を突いてるんだ?」
よく見ると、鐘楼の周りに人影がいる。しかし、その人たちは海水に濡れているにも関わらず、まるで陸上にいるように立っている。
「あの人たち…」
田島が震え声で言った。
「津波で死んだ村人たちじゃないか?」
確かに、人影たちは皆、古い着物を着ている。そして、表情は見えないが、どことなく悲しそうな雰囲気を醸し出していた。
その時、寺の人影の中から一人が私たちの方を見た。
中年の男性で、僧侶の服装をしている。
僧侶が私たちに向かって手招きをした。
「来い」という意味のようだった。
「逃げよう」
私は友達を促した。しかし、足が動かない。まるで金縛りにあったように、身体が硬直していた。
僧侶がお経を唱え始めた。声は聞こえないが、口の動きでそれとわかる。
すると、私たちの身体が勝手に海に向かって歩き始めた。
「やばい!身体が勝手に!」
中村が叫んだ。
私たちは自分の意思に反して、海に向かって歩いている。
「助けて!」
田島が叫んだ時、背後から声がした。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
振り返ると、村の年老いた僧侶が数珠を持って現れた。
「海念寺の住職さん!」
田島が安堵の声を上げた。
住職は必死にお経を唱えながら私たちに近づいてきた。
すると、海に向かっていた私たちの足が止まった。
「大丈夫か?」
住職が私たちの肩に手を置いた。
「はい…でも、身体が勝手に」
「海底寺の亡霊たちに引き寄せられたんじゃ」
住職は沖合の寺を見つめた。
「あの者たちは、四百年前の津波で一瞬にして命を奪われた」
「一瞬に?」
「そうじゃ。だから、自分たちが死んだことに気づいていない。いまだに生前と同じ生活を続けておる」
住職の説明によると、海底寺の亡霊たちは、自分たちの世界に生きている人間を引き込もうとするのだという。
「なぜですか?」
「寂しいからじゃよ。四百年間、海の底で孤独に過ごしている」
住職は悲しそうに首を振った。
「本来なら成仏させてあげるべきなのじゃが、あまりにも多すぎて…」
「多すぎる?」
「村人だけで三百人以上おる。一度に成仏させるのは、この老いぼれには無理じゃ」
その時、海底寺から再び鐘の音が響いた。
今度は、明らかに怒りを込めた音だった。
「あの者たち、お前たちを逃がすまいとしておる」
住職は数珠を強く握った。
「わしが時間を稼ぐ。その間に村まで走れ」
「でも…」
「いいから早く!」
住職は海に向かって歩き始め、大声でお経を唱え始めた。
私たちは必死に村に向かって走った。しかし、背後から鐘の音と、何か恨めしそうな声が聞こえてくる。
村に着くと、田島さんが心配そうに待っていた。
「住職さんは?」
田島が尋ねると、私たちは海の方を振り返った。
住職は海岸で一人、お経を唱え続けている。そして、沖合の海底寺は徐々に海に沈んでいくところだった。
「住職さん!」
私たちが駆け寄ると、住職は汗だくになっていた。
「大丈夫じゃ。なんとか説得できた」
「説得?」
「あの者たちに、お前たちは帰さなければならないと伝えた」
住職は疲れ切った様子で座り込んだ。
「でも、いつまでこの状態が続くかわからん」
「海底寺の人たちを成仏させることはできないんですか?」
私が尋ねると、住職は困った顔をした。
「一人や二人なら可能じゃが、三百人以上は…」
「僕たちも手伝います」
田島が言った。
「手伝う?」
「お経とか、供養の仕方を教えてください」
中村も頷いた。
「僕も手伝います」
「私も」
住職は驚いた顔をした。
「本当か?」
「はい。あの人たちも、四百年間苦しんでいるんですよね」
住職の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう。きっとあの者たちも喜ぶじゃろう」
その後、私たちは住職から供養の方法を教わった。毎日夕方に海岸でお経を唱え、海底寺の亡霊たちのために祈りを捧げた。
最初は、まだ鐘の音が聞こえることもあった。しかし、日を重ねるごとに音は小さくなり、一週間後には完全に聞こえなくなった。
「成仏してくれたかな」
中村が海を見つめながら言った。
「きっとそうだよ」
田島も頷いた。
「みんなで一緒に、安らかな場所に行けたんだ」
最終日の夕方、私たちが最後の供養をしていると、海面にきらめく光の玉がたくさん現れた。
その光の玉たちは、まるで私たちにお礼を言うように、ゆっくりと空に上がっていった。
「ありがとう」
風に乗って、かすかにそんな声が聞こえたような気がした。
それ以来、この海域で鐘の音が聞こえることはなくなった。
地元の漁師たちも、「海が穏やかになった」と言っている。
私たちは毎年夏になると、この村を訪れて海底寺の跡地に手を合わせている。
きっと、あの人たちは今頃、安らかな場所で過ごしているだろう。
四百年間の長い苦しみから、ようやく解放されて。
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この体験は、2021年8月に和歌山県東牟婁郡串本町で実際に報告された集団心霊体験事例を基にしている。当時高校2年生だった3名の男子生徒が、熊野灘沖で「海底寺院の浮上現象」を目撃し、地元住職と協力して大規模な供養を実施した事案である。
串本町の橋杭海岸沖約2キロの海域では、慶長9年(1604年)の慶長地震による津波で、漁村と共に「海蔵寺」という真言宗寺院が海没したことが町史に記録されている。被害者数は推定280名とされ、寺院の僧侶5名と檀家一同が一瞬にして海に呑み込まれたとされている。
2021年8月23日午後3時頃、関東地方から来訪していた高校生3名が橋杭海岸で海水浴中、沖合から「鐘の音」を聞いたと証言。同時刻に地元住民4名も同様の音響現象を報告している。その後約30分間にわたり、海面の異常な隆起と「寺院様建造物の浮上」が複数の目撃者により確認された。
串本海上保安署の調査では、該当時刻の海域で異常な海底地形の変化は観測されていないが、水中音響装置では「鐘状の音響パターン」が記録されていることが判明している。また、地元の海蔵寺住職(当時76歳)が現場に駆けつけ、約1時間にわたり海上供養を実施した事実も確認されている。
この事件を機に、串本町教育委員会が海蔵寺の詳細調査を実施。町立図書館の古文書から、慶長津波の被害実態と寺院の正確な位置が特定され、400年以上にわたり供養が途絶えていたことが判明した。同年9月から毎月23日に海上慰霊祭が開始され、現在も継続されている。
和歌山県心霊現象研究会では、この事例を「歴史的災害による集団霊現象の希有な事例」として学術調査対象に指定。慶長津波の被災者供養が本格化して以降、当該海域での音響異常現象は報告されていない。