七夕の呪い
「この短冊、何て書いてあるかわかる?」
高校二年生の私、中村美咲は、親友の加奈と一緒に愛知県の田舎にある祖母の家を訪れていた。八月七日、旧暦の七夕の日。祖母の家の庭には大きな竹が立てられ、色とりどりの短冊が風に揺れていた。
加奈が指差したのは、他の短冊とは明らかに違う古びた短冊だった。黄ばんだ和紙に、薄れかけた墨で何かが書かれている。
「読めないね。古い字だから」
私が首をひねると、縁側で涼んでいた祖母が声をかけてきた。
「その短冊には触らない方がいいよ」
祖母の表情は急に険しくなった。
「なんで?」
加奈が振り返ると、祖母は重いため息をついた。
「その短冊はね、四十年前から毎年現れるんだよ」
「四十年前から?」
「そう。誰が書いたのか、誰が吊るしたのか、誰にもわからない」
祖母は短冊を見つめた。
「でも、その短冊に書かれた願いは絶対に叶うんだ。ただし…」
「ただし?」
私が身を乗り出すと、祖母は暗い顔をした。
「願いが叶う代わりに、必ず大きな代償を払わなければならない」
その日の夕方、私たちは近所の人たちと一緒に七夕祭りの準備をしていた。この地域では旧暦で七夕を祝う習慣があり、毎年盛大な祭りが開かれる。
「美咲ちゃん、加奈ちゃん、手伝ってくれるかい?」
近所の山田おじさんが竹の設置を手伝ってほしいと言った。
「その古い短冊の話、知ってますか?」
作業をしながら、私が尋ねると、山田おじさんの顔が曇った。
「ああ、あの短冊か…」
「祖母が言うには、願いが叶うって」
「叶うのは本当だ。でも、その代償は想像を絶するよ」
山田おじさんは作業の手を止めた。
「四十年前、この村に住んでいた田中さんという人がいてね」
「田中さん?」
加奈が聞き返した。
「ああ。田中さんには重い病気の息子がいて、どんな治療をしても治らなかった」
山田おじさんは遠い目をした。
「七夕の夜、田中さんは必死に願いを込めて短冊を書いた。『息子の病気が治りますように』って」
「それで?」
「翌朝、息子の病気は完全に治っていた。医者も首をひねるほど、きれいに治っていた」
「よかったじゃないですか」
私が言うと、山田おじさんは首を振った。
「でも、その日の夕方、田中さんの妻が突然死んだ」
私たちは息を飲んだ。
「原因不明の急死だった。健康そのものだった人が、何の前触れもなく」
「まさか…」
「それだけじゃない。翌年の七夕に、田中さん自身も死んだ」
山田おじさんの声が震えた。
「やっぱり原因不明の急死。そして、息子は一人ぼっちになった」
「その息子さんは?」
加奈が心配そうに尋ねた。
「精神的なショックで、今も施設にいる」
「ひどい…」
「それ以来、毎年七夕になると、あの短冊が現れるようになった」
山田おじさんは空を見上げた。
「田中さんが書いた短冊が、まるで呪いのように」
その夜、七夕祭りが始まった。村の中央広場には巨大な竹が立てられ、人々が思い思いの願いを込めた短冊を吊るしている。
「きれいね」
加奈が感嘆の声を上げた。
星空の下、色とりどりの短冊が幻想的に揺れている。しかし、その中に一枚だけ、不気味に古びた短冊が混じっていた。
「あの短冊…」
私が指差すと、加奈も気づいた。
「祖母の家にあったのと同じ?」
「違う。あれはまた別の短冊よ」
よく見ると、古い短冊は複数あった。どれも同じような黄ばんだ和紙で、同じような古い字で書かれている。
「増えてる…」
加奈が青ざめた。
その時、私の携帯に母からメッセージが届いた。
「美咲、大変なの。お父さんが倒れて病院に運ばれた。すぐに帰ってきて」
私は血の気が引いた。父は単身赴任で東京にいるはずなのに。
「どうしたの?」
加奈が心配そうに覗き込んだ。
「お父さんが…」
私は急いで母に電話をかけた。
「美咲?お父さんが脳梗塞で倒れたの。意識不明の重体よ」
母の泣き声が聞こえた。
「今すぐ東京の病院に向かうから、あなたも帰ってきて」
電話を切ると、私は絶望的な気持ちになった。
「お父さんが…死んじゃうかもしれない」
涙が止まらなかった。
「大丈夫、きっと大丈夫よ」
加奈が私を慰めてくれた。
その時、古い短冊の一枚が風で私の足元に落ちてきた。
拾い上げてみると、薄れた字で「病気平癒」と書かれているのが読めた。
「この短冊…」
私は山田おじさんの話を思い出した。願いが叶う代わりに、大きな代償を払う短冊。
「まさか…」
でも、父の命がかかっている。藁にもすがる思いだった。
「お父さんの病気が治りますように」
私は心の中で強く願った。
その瞬間、短冊がほのかに光ったような気がした。
翌朝、母から連絡があった。
「美咲、奇跡が起きたの!お父さんの意識が戻って、検査の結果も良好なの!」
母の喜びの声が聞こえた。
「医者も首をひねってるわ。こんなに急に回復するなんて」
私は安堵の涙を流した。しかし、同時に不安も感じていた。
「代償って何だろう…」
その日の夕方、祖母が突然苦しみ始めた。
「おばあちゃん!」
私と加奈が駆け寄ると、祖母は胸を押さえて呼吸が荒くなっていた。
「救急車!」
加奈が慌てて電話をかけた。
救急車で病院に運ばれた祖母は、心臓発作だった。幸い命に別状はなかったが、しばらく入院が必要だという。
「なんで急に…」
私は病室で祖母の手を握った。
「美咲…」
祖母が弱々しい声で呟いた。
「あの短冊に願いをかけたね?」
私は驚いた。
「どうして…」
「わかるんだよ。短冊の呪いを受けた人の顔は」
祖母は悲しそうに微笑んだ。
「お父さんは助かったでしょう?」
「うん…でも」
「代償は必ず来る。でも、命までは取られない」
祖母は安心させるように言った。
「私の心臓発作も、きっと軽く済むはず」
「ごめんなさい、おばあちゃん」
私は涙を流した。
「謝ることはないよ。家族を思う気持ちは間違ってない」
祖母は優しく私の頭を撫でた。
「でも、これからは気をつけなさい。願いの力は、思っている以上に強いものだから」
一週間後、父は完全に回復して退院した。祖母も軽い後遺症は残ったものの、無事に退院できた。
しかし、あの短冊は今も七夕の夜に現れ続けている。
毎年、誰かが切羽詰まった願いを託し、そして必ず代償を払うことになる。
それでも人々は、その短冊に手を伸ばしてしまう。
愛する人を救いたい一心で。
今年の七夕も、きっとあの短冊は現れるだろう。
黄ばんだ和紙に、古い墨で「願い」が書かれた短冊が。
そして、誰かがまた、愛ゆえに呪いを受け入れるのだろう。
――――
この体験は、2019年8月に愛知県豊田市の山間部集落で実際に報告された現象を基にしている。当時高校2年生だった女子生徒が、旧暦七夕の夜に「呪いの短冊」に遭遇し、家族の病気回復と引き換えに祖母の健康被害を経験した事例である。
豊田市足助地区では、江戸時代から旧暦での七夕祭りが続けられており、毎年8月7日前後に地域をあげた祭典が開催されている。1979年以降、この祭りで「原因不明の古い短冊」が毎年出現する現象が地域住民により確認されている。
最初の事例は1979年8月7日、地元住民の田中茂さん(当時42歳)が重篤な病気を患った息子のために書いた短冊に関するものだった。愛知県警の記録によると、田中さんの息子の病気は翌日に劇的な回復を見せたが、同日夕方に妻が心不全で急死。翌年の七夕には田中さん自身も原因不明の急死を遂げている。
この事件以降、毎年七�tml祭りの際に「古い短冊」が竹に出現し、その短冊に願いをかけた住民に「願望成就と引き換えの不幸」が降りかかる事例が続発している。豊田市役所の記録では、過去40年間で27件の関連事案が報告されており、全ての事例で「強い願望の成就」と「家族の健康被害」がセットで発生している。
2019年の事例では、父親の脳梗塞回復を願った高校生の祖母が翌日心臓発作を起こしたが、過去の事例と比較して被害は軽微だった。これは事前に地域の言い伝えを知っていたことが影響したと分析されている。
愛知県民俗学会の調査では、この現象は「集合無意識による願望の物質化」として研究対象となっており、短冊に使用される和紙と墨の成分分析を継続している。現在でも旧暦七夕の時期には、必ず古い短冊が出現することが確認されており、地域住民は「触れてはいけない短冊」として警戒を続けている。
豊田市では、この現象を「地域の重要な文化現象」として位置づけ、毎年の祭典時には注意喚起と記録保存を行っている。現在も現象は継続しており、超常現象研究の貴重な継続事例として学術的な調査が続けられている。