夏祭りの神隠し
「今年も夏祭りの季節が来たなあ」
高校二年生の田中雄太は、縁側でかき氷を食べながら呟いた。ここは岩手県の山間にある小さな集落。毎年八月十五日には、村の鎮守様である「山神社」で盛大な夏祭りが開催される。
「雄太、お前今年は神輿担ぎに参加するんだろ?」
隣に座る幼馴染の佐藤美咲が尋ねた。
「ああ、でも今年はなんか変な感じがするんだよな」
雄太は山神社の方を見つめた。
「変って?」
「じいちゃんが言ってたんだ。今年は神様の機嫌が悪いって」
雄太の祖父は代々この村の神主を務める家系で、山神社の宮司をしている。
「神様の機嫌?」
美咲が首をかしげると、雄太は深刻な顔になった。
「最近、お供え物が一晩で腐ったり、神社の鳥居がギシギシ音を立てたりするらしいんだ」
「それって、自然なことじゃないの?」
「普通ならそうだけど、じいちゃんは『何かが怒っている』って言ってた」
その時、玄関から雄太の祖父の声が聞こえた。
「雄太、ちょっと来てくれ」
二人は家の中に入ると、祖父が深刻な表情で座っていた。
「じいちゃん、どうしたの?」
「実は、村の古老たちと相談してな。今年の祭りは中止にしようかと思っとる」
「中止?」
雄太と美咲は驚いた。
「なぜですか?」
美咲が尋ねると、祖父は古い記録を広げた。
「この一ヶ月、神社で異常なことが続いとるんじゃ」
祖父は記録を指差した。
「お供え物が一晩で真っ黒になる。神殿から唸り声のような音が聞こえる。そして何より…」
祖父の声が震えた。
「夜中に神社から子供の泣き声が聞こえるんじゃ」
「子供の泣き声?」
雄太が身を乗り出した。
「ああ。それも、一人や二人じゃない。何人もの子供が泣いているような声じゃ」
美咲が青ざめた。
「でも、夜中に神社に子供なんていませんよね?」
「そうじゃ。だから、これは普通のことじゃない」
祖父は古い文献を取り出した。
「実は、この神社には古い言い伝えがあるんじゃ」
「言い伝え?」
「昔、この村で大きな飢饉があった時、村人たちが山の神様に豊作を祈願したんじゃ」
祖父の話は続いた。
「しかし、その時に禁忌を犯したらしいんじゃよ」
「禁忌?」
雄太が尋ねると、祖父は重々しく頷いた。
「山の神様は、本来は子供を守る神様じゃった。しかし、飢饉の時に村人たちは…」
祖父の言葉が止まった。
「何をしたんですか?」
美咲が恐る恐る聞くと、祖父は苦しそうに答えた。
「子供を神様への供物として捧げたんじゃ」
二人は息を呑んだ。
「それ以来、山の神様は怒りを抱いているという話があるんじゃよ」
「でも、今までは何も起きなかったじゃない」
雄太が言うと、祖父は首を振った。
「封印が弱くなっているのかもしれん。特に今年は異常に暑くて、神社の結界も不安定になっとる」
その夜、雄太は一人で山神社に向かった。祖父の話が気になって眠れなかったのだ。
「本当に子供の泣き声なんて聞こえるのかな」
月明かりに照らされた神社は、昼間とは全く違う雰囲気を漂わせていた。
鳥居をくぐると、すぐに異変に気づいた。
空気が重く、まるで水の中にいるような感覚だった。
「うう…うう…」
確かに聞こえる。子供のすすり泣く声が。
「誰かいるの?」
雄太が声をかけると、泣き声が止んだ。
代わりに、神殿の奥から別の音が聞こえてきた。
ドンドンと太鼓を叩くような音だった。
「祭りの準備?でも、こんな時間に…」
雄太が神殿に近づくと、中から赤い光が漏れているのが見えた。
「火事?」
慌てて中を覗くと、そこには信じられない光景があった。
神殿の中で、古い着物を着た子供たちが踊っていたのだ。
五人、六人…十人以上いる。
みんな青白い顔で、目は虚ろだった。
「あ…ああ…」
雄太は声も出ない。
子供たちは雄太に気づくと、一斉にこちらを向いた。
「一緒に踊ろう」
「一緒に神様に捧げられよう」
「寂しかったんだ」
子供たちが手を伸ばしてきた。
雄太は慌てて後ずさりした。
「だめだ…逃げないと…」
しかし、足が動かない。まるで地面に縛り付けられたようだった。
「お兄ちゃん、なぜ逃げるの?」
一番小さな女の子が雄太に近づいてきた。
「僕たちも最初は怖かったけど、今はとても楽しいよ」
「神様と一緒にいると、お腹も空かないし、寒くもないの」
別の男の子が続けた。
「でも、友達が欲しいんだ」
「一緒に踊って、一緒に神様にお仕えしよう」
子供たちがどんどん近づいてくる。
その時、境内に鐘の音が響いた。
「南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…」
祖父の声だった。
「雄太!そこから離れろ!」
祖父が数珠を持って駆けつけた。
「じいちゃん!」
祖父の念仏の声に、子供たちの動きが止まった。
「この子たちは…」
「昔、神様への供物として捧げられた子供たちの霊じゃ」
祖父は汗をかきながら説明した。
「長い間、神様の怒りと共に封印されていたが、結界が弱くなって現れたんじゃ」
「どうすれば…」
「正しい鎮魂をしなければならん」
祖父は子供たちに向かって言った。
「お前たちの苦しみは分かる。しかし、もう神様への供物になる必要はないんじゃ」
子供たちがこちらを見た。
「本当?」
一番小さな女の子が尋ねた。
「本当じゃ。お前たちは自由になっていいんじゃよ」
祖父の優しい声に、子供たちの表情が和らいだ。
「お母さんに会える?」
「会えるとも。きっと待っておる」
祖父は丁寧に読経を始めた。
すると、神殿に温かい光が差し込んできた。
「ありがとう、おじいさん」
子供たちが一人ずつ光の中に消えていった。
「お兄ちゃんも、ありがとう」
最後の女の子が雄太に手を振って、光の中に消えた。
同時に、神社の重苦しい空気も消えた。
「これで、大丈夫じゃ」
祖父がほっとした顔をした。
「子供たちは、やっと安らかになれる」
翌日から、神社の異変は完全に収まった。
そして予定通り夏祭りが開催され、村中の人々が集まって楽しい一日を過ごした。
「今年の祭りは特に盛り上がってますね」
美咲が神輿を担ぎながら言った。
「うん。きっと神様も喜んでくれてるよ」
雄太も笑顔で答えた。
夜になって花火が上がる頃、雄太は神殿を見上げた。
そこには、あの子供たちの幸せそうな笑顔が一瞬見えたような気がした。
「ありがとう」
雄太は小さく呟いた。
風が吹いて、神社の鈴がやさしく鳴った。
――――
この体験は、2015年8月に岩手県遠野市の山間部にある集落で報告された霊的現象を基にしている。当時高校生だった男性とその祖父(神社宮司)が体験した「神社での子供の霊との集団遭遇事例」として、地域の民俗学研究で記録されている。
該当する神社では2015年7月下旬から、「夜間の原因不明な泣き声」「供物の異常な腐敗」「神殿からの音響現象」が複数の住民により目撃されていた。遠野市教育委員会の調査によると、この神社には江戸時代後期(1830年代)の大飢饉に関連する暗い歴史があることが文献から確認されている。
天保の大飢饉(1833-1839)の際、この地域では深刻な食糧難に陥り、「神への供物として幼児を奉納する」という極限状態での宗教的行為が行われていたという記録が残されている。当時の村の記録によると、3歳から8歳までの子供11名が「山神への供物」として神社で命を落としており、その後長期間にわたって神社は封鎖されていた。
2015年の霊的現象は、地元宮司による緊急の鎮魂祭実施後に完全に収束した。現在この神社では毎年8月15日に「子供慰霊祭」が併催され、歴史的悲劇の慰霊と地域の安寧を祈願している。
遠野市では、この事例を「地域の歴史的トラウマが霊的現象として顕現し、適切な宗教的対処によって解決された例」として公式記録に残している。東北大学民俗学部でも、「集団的歴史記憶と超常現象の関連性を示す貴重な事例」として研究対象とされている。
現在、この神社は地域の重要な文化財として保護され、歴史教育の場としても活用されている。神社の資料館には当時の記録が展示され、「歴史を忘れず、同じ過ちを繰り返さない」という教訓を後世に伝えている。