盆踊りの輪
八月の中旬、私と友人の真奈、健太の三人は、群馬県の山間部にある真奈の曾祖母の家を訪れていた。私は高校一年生の加藤里菜。この村では毎年お盆に盛大な盆踊りが開かれることで有名だった。
「今年の盆踊りは、少し変わったことになりそうなのよ」
曾祖母のハルおばあさんが、お茶を出しながら心配そうに話した。
「変わったこと?」
真奈が首をかしげた。
「実は、踊り手が足りないのよ」
おばあさんは窓の外を見つめた。
「昔はこの村だけで百人以上の踊り手がいたけど、今は二十人しかいない」
「少子高齢化の影響ですか?」
健太が尋ねた。
「それもあるけど、もっと深刻な問題があるのよ」
おばあさんの表情が曇った。
「若い人たちが、踊りを覚えようとしないの」
「どうして?」
私が聞くと、おばあさんは困ったような顔をした。
「踊りを習いに行った人が、みんな途中で辞めてしまうのよ」
「途中で?」
「練習をしていると、変な体験をするんですって」
おばあさんは声を落とした。
「踊りの輪の中に、知らない人がいるって言うのよ」
私たちは顔を見合わせた。
「知らない人?」
真奈が恐る恐る尋ねた。
「昔の格好をした人たちが、一緒に踊っているんですって」
「昔の格好?」
「江戸時代の着物を着た人たちよ。男の人も女の人も、子供もいるって」
おばあさんは思い出すように話し続けた。
「最初は目の錯覚かと思ったんだけど、練習に参加した人が皆同じことを言うの」
「それで怖くなって辞めちゃうんですか?」
健太が推測すると、おばあさんは頷いた。
「そうなの。特に若い子は怖がって、二度と来なくなってしまう」
「その昔の人たちは、何か悪いことをするんですか?」
私が心配して尋ねた。
「いえ、特に害はないみたい。ただ一緒に踊っているだけよ」
「それなら大丈夫そうですけど…」
「でもね」
おばあさんはさらに声を落とした。
「踊りの輪に入った人は、なぜかその夜に不思議な夢を見るの」
「不思議な夢?」
「昔のお盆の光景を見る夢よ。まるで江戸時代にタイムスリップしたような夢」
私たちは興味を持った。
「それって、面白そうじゃない?」
真奈が言うと、おばあさんは首を振った。
「夢の中で、昔の人たちがお願いをしてくるのよ」
「お願い?」
「『踊りを続けてほしい』『伝統を守ってほしい』って」
おばあさんは困った顔をした。
「みんなその重圧に耐えられなくて、踊りを辞めてしまうの」
その夜、私たちは村の集会所で行われている盆踊りの練習を見学することにした。
「本当に人が少ないね」
健太が集会所を見回した。
参加者は高齢者が中心で、若い人は数人しかいなかった。
「皆さん、今日は見学の方がいらしています」
世話役の田村さんが私たちを紹介してくれた。
「もしよろしければ、一緒に踊ってみませんか?」
「いいんですか?」
真奈が確認すると、田村さんは嬉しそうに頷いた。
「大歓迎です。簡単な踊りから教えますよ」
私たちは輪の中に入って、盆踊りを教わった。
「右手を上げて、左足を出して…」
田村さんの指導で、少しずつ踊りを覚えていく。
三十分ほど練習していると、不思議なことに気づいた。
踊りの輪が、最初より大きくなっているのだ。
「人数、増えた?」
私が小声で真奈に尋ねた。
「私もそう思った」
よく見ると、確かに踊っている人の数が多くなっている。しかし、新しく参加した人は見当たらない。
「あの人たち、さっきからいたっけ?」
健太が輪の向こう側を指差した。
そこには古い着物を着た人たちが踊っていた。男性も女性も、みんな江戸時代の格好をしている。
「あれが、おばあさんが話していた…」
私は息を呑んだ。
しかし、不思議なことに怖さは感じなかった。むしろ、とても楽しそうに踊っている。
昔の人たちは私たちに気づくと、にこやかに手を振ってくれた。
「優しそうな人たちだね」
真奈が安心したように言った。
練習が終わると、昔の人たちの姿は消えていた。まるで最初からいなかったかのように。
「お疲れさまでした」
田村さんが声をかけてくれた。
「ちゃんと見えましたね」
「え?」
「昔の踊り手たちのことです」
田村さんは苦笑いした。
「皆さん、怖がらずに最後まで踊ってくれて嬉しかったです」
「あの人たちは、いつもいるんですか?」
私が尋ねると、田村さんは頷いた。
「ええ。この村で盆踊りが始まった江戸時代から、ずっと一緒に踊り続けているんです」
「だから踊りが途切れないんですね」
健太が理解した。
「そうです。でも、最近は生きている踊り手が少なくなって、昔の人たちも心配しているようです」
その夜、私たちは確かに不思議な夢を見た。
江戸時代の村で、大勢の人が盆踊りを踊っている光景だった。老若男女が一緒になって、楽しそうに踊り続けている。
夢の中で、一人の老人が私たちに話しかけてきた。
「よく来てくれた」
老人は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
「わしらは、この踊りを守り続けてきた」
「なぜ守り続けるんですか?」
私が尋ねると、老人は温かい笑顔を見せた。
「この踊りには、村の人々の魂が込められているからじゃ」
「魂?」
「喜びも悲しみも、すべてこの踊りに託されている。踊り続けることで、村の絆が保たれるんじゃ」
老人は踊りの輪を見回した。
「しかし、踊る人がいなくなれば、村の心も消えてしまう」
「私たちに何ができるでしょうか?」
真奈が前に出た。
「踊りを覚えて、人に教えてくれるか?」
老人の目に希望の光が宿った。
「若い者が踊りを覚えてくれれば、また村に活気が戻る」
「わかりました。頑張って覚えます」
私たちが約束すると、老人は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。わしらも手伝うから」
翌朝、夢の話をしたところ、三人とも同じ夢を見ていた。
「不思議だね」
健太が首をひねった。
「でも、約束したからには頑張らないと」
私たちは毎日練習に参加することにした。
最初は基本的な動きから始まり、だんだん複雑な踊りを覚えていく。
昔の人たちも毎回現れて、一緒に踊ってくれた。時には踊りのコツを教えてくれることもあった。
「手をもっと高く上げて」
江戸時代の女性が、身振り手振りで指導してくれる。
「足音も大切よ。リズムに合わせて」
一週間の練習で、私たちはかなり上達した。
「もうベテランの域ね」
田村さんが感心してくれた。
「昔の人たちに教わったからです」
真奈が正直に答えると、田村さんは微笑んだ。
「それが一番の上達の秘訣ですね」
お盆の夜、本番の盆踊りが始まった。
村の人だけでなく、観光客も参加して、会場は大いに賑わった。
私たちも胸を張って踊りの輪に加わった。
すると、いつものように昔の人たちも現れた。しかし、今夜は特に多くの人が参加している。
江戸時代から現代まで、あらゆる時代の人々が一つの輪になって踊っている。
「みんなで踊れて嬉しい」
昔の女の子が私に話しかけてきた。
「こちらこそ、一緒に踊れて楽しいです」
私たちの会話を聞いて、周りの観光客は首をひねっていた。しかし、踊りに夢中になっているうちに、そんなことはどうでもよくなった。
踊りが終わると、昔の人たちは満足そうに笑って消えていった。
「ありがとう」
老人が最後に手を振って、光の中に消えた。
翌年も私たちは盆踊りに参加した。今度は友人たちも誘って、さらに輪が大きくなった。
昔の人たちも喜んで、一緒に踊ってくれている。
踊りの伝統は、こうして未来へと受け継がれていくのだろう。
――――
この体験は、2019年8月に群馬県利根郡の山間集落で実際に報告された現象を基にしている。当時高校1年生だった3名の学生が、「盆踊り練習中の江戸時代の霊との共演体験」を証言し、地域の伝統芸能継承に貢献した事例である。
該当する集落では江戸時代後期から続く盆踊りが毎年開催されていたが、過疎化により2019年時点で踊り手が20名程度まで減少していた。特に若い世代の参加者が激減し、伝統の継承が危機的状況にあった。
この年の夏、盆踊り練習会で「参加者以外の人影が踊りの輪に混じっている」「江戸時代の服装をした人々が一緒に踊っている」との目撃証言が複数寄せられていた。心霊現象を恐れた若い参加者が相次いで離脱し、さらに人手不足が深刻化していた。
目撃証言によると、高校生3名が約2週間にわたって練習に参加し、「江戸時代の霊たちとの交流」を体験したという。特に注目すべきは、3名が同一内容の「集合夢体験」を報告していることで、夢の中で江戸時代の村民から踊りの継承を依頼されたと証言している。
群馬県民俗芸能保存会の調査では、この集落の盆踊りが1830年代に確立された形式をほぼ完全に保持していることが確認されている。また、地元寺院の過去帳から、夢に現れた人物と一致する江戸時代の村民の記録も発見されている。
この体験をきっかけに、3名の学生が積極的に踊りの習得と普及に取り組んだ結果、翌年以降の参加者数が大幅に増加した。現在では近隣の高校からも多数の生徒が参加し、伝統の継承が安定している。
利根郡文化財保護委員会では、この事例を「霊的体験が地域文化の継承に寄与した稀有な例」として記録している。現在もこの盆踊りは毎年8月に開催され、「江戸時代の霊と踊る盆踊り」として観光名所にもなっている。