万田坑の声
熊本と福岡の県境、荒尾の台地の下には三百キロ以上の坑道が眠っている。三井三池炭鉱――かつて国内最大の出炭量を誇り、いまは世界遺産「万田坑」として観光客を迎えるが、立入が許されるのは地上の巻揚機室までだ。
私は大学院で音響考古学を専攻する長谷部凛。産業遺産の「残響」を調べる論文を書くため、文化庁の特別許可を得て閉鎖坑口から百メートルほど地下へ降りることになった。同行者は地元ガイドの寺田さん。七十二歳、現役最後の掘進夫だった人だ。
十一月十日の午前零時、万田坑の鉄塔が月明かりを受け、クワの葉の影を地面に投げている。私は三次元録音用の無指向マイクをヘルメットに装着し、ケーブルをリュックに巻いてケージに乗った。ガタン、と巻揚機が古いワイヤを震わせ、石造の竪坑を下る。湿った空気が肺に冷たく、耳が気圧で痛む。
地下百六十メートル。トロッコの錆びたレールが闇の水平線を引いていた。寺田さんが懐中電灯を左右に振り、「ここは一九六三年のガス突出で、真っ先に火が回った第一切羽だ」と呟く。
当時、炭塵爆発で四百五十八人が亡くなり、生き残った作業員も一酸化炭素中毒で後遺症に苦しんだ。私は慰霊碑の写真くらいでしか知らないが、寺田さんは二十二歳で生き埋めになり、目の前で仲間が黒煙に呑まれるのを見たという。
「ここから先は空気が動かん。吸い込んだ音も逃げきらんけんね」
録音を始めると、まず聞こえたのは地下水の滴る音だけだった。私はサンプリング周波数を上げ、ノイズを除去する。ほんの数ヘルツ下で、低いうなりが這い上がってきた。坑内換気扇は止めてある。ならば何の音だろう。
ヘッドホンを耳に押し当てた瞬間、そのうなりが「ドッ……ドッ……」と鼓動のような間隔に変わった。遠いが、人の息のリズムに近い。
寺田さんは「吸い殻か何か落ちてないか」と足元を照らす。光が炭壁に触れるたび、煤がまだらに浮き上がり、人の横顔のように見えた。そのとき、レベルメーターが最大値を振り切った。
「やめとけ!」
寺田さんが叫び、私のヘルメットを叩いた。視界が真っ暗になったわけではない。録音機材のバッテリーランプだけが一瞬で赤から緑に、そして見たことのない紫に変わった。耳からヘッドホンを外すと、坑道全体が鉄琴の共鳴のように震えている。
──カーン、カン……カーン、カン……
山を掘るハンマーの合図打ち。だが現在の炭鉱ではエアピックに替わり、手打ちは半世紀前に消えたはずだ。
私は恐ろしくなり、RECボタンを押して停止しようとした。しかし液晶にはボタンの代わりに、白い文字列が滲み出ていた。
1963/11/09 15:12:48
まさに事故が起こった秒単位の時刻。そして、次の行。
2024/11/10 03:25:00
今夜の、あと三時間後。私は息を呑んだ。寺田さんがこちらの画面を覗き込み、顔の皺が深くなる。
「ガスが動く時刻ば示しとるんかもしれん」
彼は腰の酸素計を指差した。表示は安全域。しかし同時に、坑道奥から甘い臭いが流れてきた。亜硫酸ガスに混じった、炊き立てのコメの匂い。昔、坑内食堂から運ばれた弁当箱が転がり、爆発の熱で飯粒が焦げたと聞く。
匂いに続き、かすれた鼻歌が重なった。子守唄の「五木の子守唄」。事故で亡くなった坑夫の多くが熊本県五木村からの集団就労者だったと資料で読んだ。旋律はやがてすすり泣きに変わり、坑道の天井で跳ね返った。
私は録音機材を捨て、地上へ戻ろうと走った。すると足元の枕木が急に盛り上がり、古い鋼製トロッコが姿を現した。錆びた荷台には灰色の積荷――瓦斯爆発で煤に埋もれた作業衣が幾重にも折り重なる。その山の中ほど、白い手袋がこちらを掴むように突き出ていた。指先がひとりでに折れ曲がり、奥の暗闇を示す。
寺田さんがふらりと導かれるように歩き出す。私は彼の腕を掴むが、体温が氷のように冷たい。
「仲間がまだおる。呼び寄る声がしとる」
そう呟いた瞬間、酸素計が警報音を鳴らした。濃度は危険域に跳ね上がり、呼吸が熱い。私は意を決し、ポケットの携行爆薬信号筒を抜いた。ガス爆発の危険を顧みず、擦って発火させる。紫の閃光が坑道を満たし、子守唄もハンマー音も断ち切れた。寺田さんががくりと膝をつく。
閃光が消えると、匂いも鼓動も失われていた。酸素計は安全範囲へ戻り、遠雷のような残響だけが聴こえる。それは燃焼ガスが換気立坑へ抜ける音かもしれない。
──ただし、録音機材の液晶にはまだ数字が残っていた。
NEXT: 2024/11/10 03:25
* * *
地上に戻った時刻は午前二時五十分。巻揚室へ駆け込むと、外の風が唐突に止んだ。鉄塔の滑車がわずかに回り、使われていないケージが十センチほど上下する。「深部で空気が動いた証拠だ」と寺田さんが言う。
やがて二階建ての巻揚機が軋み、ボルトが一本飛んだ。私は秒針を睨む。三時二十五分、山の底から鈍い破裂音が這い上がり、地面がひと揺れした。地震速報は出ない。だが竪坑から噴き上がった冷気が夜霧を裂き、塔屋の窓が内側から白く曇った。
「ガス室が今も息しとる。掘ったらいかん場所は教えとるつもりなんだろう」
寺田さんは汗と泪でくしゃくしゃの顔を上げ、そう呟いた。
* * *
翌朝、私は大学へデータを提出した。教授は波形を解析し、床面加速度計のノイズと断定した。だがひとつだけ計器が説明不能だった。私のヘルメットに着けた無指向マイクのキャップが、内側から炭塵で真っ黒に煤けていたのだ。地下火災を経ていない坑道で、どうして燃焼生成物が?
そして、消したはずの液晶文字列が教授のPCにも転写されていた。
MIKE_MINE_NEXT_—
* * *
万田坑の公開エリアでは今も時折、鉄塔上から「カーン」という金属音が降ると警備員が話す。風に吊られたボルトの当たりだと言うが、整備士は「該当箇所が見つからない」と首を振る。
もし見学に行くあなたの耳に、鼓動のようなうなりや子守唄が入り込んだら、立ち止まらず出口へ向かってほしい。それは地中に残る四百五十八の肺が、一酸化炭素の匂いをまといながら次の爆ぜ方を探っている合図なのだから。
(了)
――実在の事故――
・1963年11月9日 三井三池炭鉱爆発(福岡県・熊本県 死者458名、重軽傷839名)