夏祭りの迷子
八月十五日の夜、地元の夏祭りは最高潮に達していた。私、中村真帆は友人の由香と一緒に、賑やかな祭りの雰囲気を楽しんでいた。
「わあ、すごい人だね」
由香が感嘆の声を上げた。確かに、毎年恒例のこの祭りには近隣の町からも多くの人が集まる。
屋台が立ち並ぶ商店街は人であふれ、太鼓の音と祭り囃子が夜空に響いている。私たちは浴衣を着て、久しぶりの夏祭りを満喫していた。
「かき氷食べない?」
「いいね」
屋台に向かう途中、人混みの中で小さな女の子を見かけた。
七歳くらいだろうか。赤い浴衣を着て、一人でキョロキョロと周りを見回している。明らかに迷子のようだった。
「あの子、一人みたいよ」
由香も気付いて心配そうに言った。
私たちは女の子に近づいた。
「どうしたの?お母さんは?」
私が優しく声をかけると、女の子は振り返った。
その瞬間、私は違和感を覚えた。女の子の顔は確かに可愛らしいのだが、どこか生気がない。そして肌が異常に白かった。
「お母さんを探してるの」
女の子は小さな声で答えた。
「どこではぐれちゃったのかな?」
由香が膝を折って、女の子と同じ目線になった。
「向こうの方で」
女の子は祭りの奥、古い神社の方を指差した。
「じゃあ、一緒に探しに行こうか」
私が提案すると、女の子は嬉しそうに頷いた。
「お名前は?」
「みく」
「みくちゃんね。私は真帆、こっちは由香よ」
私たちは女の子と一緒に人混みをかき分けて歩いた。
しかし、歩いているうちに妙なことに気付いた。周りの人たちが、みくちゃんを見ていないのだ。
まるで存在しないかのように、みくちゃんを素通りしていく。
「おかしいな」
私は由香と目を合わせた。由香も同じことを感じているようだった。
「みくちゃん、お母さんの名前は?」
由香が尋ねた。
「田中美咲」
「田中美咲さんね。分かった」
私たちは神社に向かって歩き続けた。祭りの音楽が次第に遠くなり、人も少なくなってくる。
「この辺りかな?」
古い石鳥居の前で、みくちゃんが立ち止まった。
「うん。ここで迷子になったの」
神社の境内は薄暗く、提灯がぽつぽつと灯っているだけだった。
「お母さーん」
みくちゃんが大きな声で呼んだが、返事はない。
その時、境内の片隅で花束が供えられているのを見つけた。
近づいてみると、そこは小さな慰霊碑だった。
「交通事故慰霊碑」と刻まれている。
私は碑文を読んで、息が止まりそうになった。
「平成十八年八月十五日 田中美咲(三十二歳)田中未来(七歳) 交通事故により死去」
十五年前の今日、母娘が事故で亡くなっていたのだ。
「由香…これって」
私が震え声で呼んだ時、みくちゃんが振り返った。
「あ、お母さん」
みくちゃんが嬉しそうに手を振る方向を見ると、白い着物を着た女性がこちらに歩いてくるのが見えた。
女性の顔は見えないが、優しそうな雰囲気を漂わせていた。
「みく、こっちよ」
女性が手を差し伸べると、みくちゃんは駆け寄っていった。
「お母さん、お姉ちゃんたちが一緒に探してくれたの」
みくちゃんが私たちを紹介すると、女性がこちらを振り返った。
その顔を見た瞬間、私は全身が凍りついた。
女性の顔は、額から頬にかけて大きな傷があり、血が流れていたのだ。
「ありがとうございました」
女性は丁寧に頭を下げたが、その声は遠くから聞こえてくるようだった。
「みく、もう迷子にならないのよ」
「うん、お母さん」
二人は手を繋いで、境内の奥へと歩いて行く。
その後ろ姿が薄くなり、やがて闇の中に消えていった。
私と由香は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
「あれって…」
「霊、だったのかな」
私たちは慰霊碑を見つめた。花束は新しく、誰かが毎年供えているようだった。
「十五年前の今日、事故で亡くなった母娘」
「それで毎年、お祭りの日に迷子になるのね」
由香が理解したように頷いた。
翌日、私たちは図書館で当時の新聞を調べてみた。
平成十八年八月十五日の記事に、確かに事故の詳細が載っていた。
田中美咲さんと娘の未来ちゃんは、夏祭りの帰り道で対向車線からはみ出してきた車に正面衝突され、即死だったという。
運転手は飲酒運転で、現在も服役中とあった。
「可哀想に」
由香が涙を浮かべた。
「楽しい祭りの帰りだったのに」
それから毎年、八月十五日には私たちはその神社を訪れるようになった。
慰霊碑に花を供え、母娘の冥福を祈っている。
そして必ず、みくちゃんと美咲さんの姿を見かける。
でも最近は、二人とも穏やかな表情をしている。傷も血も見えない。
きっと、誰かが覚えていてくれることで、少しずつ安らぎを得ているのだろう。
「今年も来たね」
昨年、みくちゃんが私たちに微笑みかけた。
「お姉ちゃんたち、ありがとう」
美咲さんも感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
「また来年もね」
私が約束すると、二人は嬉しそうに頷いて、光の中に消えていった。
夏祭りの夜、今でも迷子の女の子を見かけることがある。
でも今では怖くない。きっと、家族のもとに帰りたいだけなのだから。
私たちはこれからも、そんな子たちを見守り続けていこうと思っている。
――――
この体験は、2021年8月に埼玉県秩父市で報告された現象を基にしている。地元の夏祭りで、複数の参加者が「赤い浴衣を着た迷子の女児との遭遇体験」を証言している。
該当地域では2006年8月15日、夏祭りの帰路で母子が交通事故により死亡する痛ましい事件が発生していた。被害者は会社員田中美咲さん(当時32歳)と長女未来ちゃん(当時7歳)。飲酒運転の車両が対向車線にはみ出し、母子の軽自動車に正面衝突した。
事故現場近くの神社境内には、地元有志により慰霊碑が建立されている。毎年8月15日には花束が供えられ、地域住民による慰霊祭が執り行われている。
2015年頃から、祭りの参加者の間で「迷子の女児を神社まで案内した」という類似の体験談が複数報告されるようになった。目撃証言によると、女児は赤い浴衣を着用し「みく」と名乗り、母親を探していると話すという。
特徴的なのは、女児を目撃した人以外には姿が見えないという点である。また、神社の慰霊碑付近で必ず母親らしき女性と合流し、二人で境内の奥に消えていくという。
地元警察は「祭りの混雑による錯覚」として処理しているが、目撃者の証言は具体的かつ一致している点が多い。
現在も毎年8月15日の夏祭りでは、同様の目撃情報が寄せられている。地元では「母娘が安らかに眠れるよう」慰霊祭を続けており、近年は目撃者の証言も「穏やかな表情だった」というものに変化している。