祭りの夜の神隠し
八月十五日の夜、私は故郷の夏祭りに参加していた。高校三年生の私、山口真由美は、毎年この日を楽しみにしていた。しかし今年の祭りは、忘れられない恐怖の夜となった。
「真由美ちゃん、お疲れさま」
祭りの手伝いを終えた私に、神社の宮司である田村さんが声をかけた。
「今年もたくさんの人が来てくれて良かったですね」
私は境内を見回しながら答えた。屋台の明かりが夜空を照らし、太鼓の音が響いている。
「そうだね。でも今夜は気をつけなさい」
田村さんの表情が急に真剣になった。
「え?何をですか?」
「今夜は旧暦の七月十五日。お盆の最終日だ。この時期は霊界と現世の境界が曖昧になる」
田村さんは境内の奥を見つめながら続けた。
「特に今年は百年に一度の『神月夜』と重なっている。神様も霊も、普段より活発になるんだ」
「神月夜?」
「満月が最も高い位置にある夜のことだ。古来より、この夜には不思議なことが起こると言われている」
私は空を見上げた。確かに今夜の月は異様に大きく、明るく輝いていた。
「まあ、きっと大丈夫だろう。気をつけて帰りなさい」
田村さんは苦笑いを浮かべて去っていった。
祭りが終盤に差し掛かった午後十時頃、私は友人の佐々木と一緒に境内を歩いていた。
「今年もいい祭りだったね」
佐々木が満足そうに言った。
その時、境内の隅にある古い石灯籠の陰から、小さな女の子が現れた。七歳くらいだろうか。白い浴衣を着て、髪を二つ結びにしている。
「あの子、一人なのかな?」
私は心配になって女の子に近づいた。
「こんばんは。お母さんはどこ?」
女の子は私を見上げた。その瞬間、背筋に冷たいものが走った。女の子の瞳が異様に大きく、まるで人形のような無表情だったのだ。
「お姉ちゃん、遊びましょう」
女の子は機械的な声で言った。
「遊ぶって…もう遅いから、お家に帰らないと」
「大丈夫。まだ時間はあります」
女の子はそう言うと、境内の奥へと歩いて行った。
「待って」
私と佐々木は女の子を追いかけた。しかし、古い木々が立ち並ぶ境内の奥で、女の子の姿を見失ってしまった。
「おかしいな…確かにこっちに来たのに」
佐々木が首をかしげた。
その時、木々の間から小さな鈴の音が聞こえてきた。チリンチリンという、どこか懐かしい音だった。
「あっちから聞こえる」
音を頼りに進んでいくと、境内の最も奥にある小さな祠にたどり着いた。普段は立ち入り禁止になっている場所だった。
祠の前に、さっきの女の子が立っていた。手に小さな鈴を持っている。
「見つけた」
女の子は振り返って微笑んだ。しかし、その笑顔は不自然で、口角だけが上がっている人形のような表情だった。
「ここは入っちゃいけない場所よ」
私が言うと、女の子は首をかしげた。
「どうして?ここは私の家なのに」
「家?」
「ずっとずっと昔から、ここに住んでるの」
女の子は祠を指差した。
「お姉ちゃんたちも、私と一緒にここに住まない?」
「え…」
私は困惑した。この子は一体何を言っているのだろう。
その時、祠の中から複数の人影が現れた。男の子、女の子、大人…年齢も服装もばらばらの人々が、ぞろぞろと出てきた。
皆、顔は見えないが、同じような無表情で私たちを見つめている。
「みんな、新しいお友達よ」
最初の女の子が手を叩いた。
「一緒に遊びましょう」
人影たちが私たちに近づいてくる。私は本能的に危険を感じた。
「逃げよう」
私は佐々木の手を引いて走り出した。しかし、いくら走っても境内から出られない。いつの間にか、同じ場所をぐるぐると回っているようだった。
「おかしい…出口が見つからない」
佐々木が息を切らしながら言った。
「お姉ちゃんたち、どこ行くの?」
振り返ると、女の子が私たちの後をついてきていた。そして、その後ろには祠から出てきた人影たちも続いている。
「遊びましょう、遊びましょう」
人影たちが口々に言った。しかし、その声はどれも同じトーンで、まるで録音されたもののようだった。
私たちはさらに走り続けたが、やはり境内から出ることができない。月明かりが異様に明るく、影が濃く見えた。
「もうダメ…」
佐々木が立ち止まった時、境内の向こうから太鼓の音が聞こえてきた。
「まだ祭りをやってる?」
私たちは音の方向に走った。すると、本殿の前で奇妙な光景を目にした。
数十人の人々が円を描いて踊っているのだ。しかし、その人々は皆、古い時代の衣装を着ていた。江戸時代や明治時代の着物、さらに古い装束を身につけた人もいる。
「何これ…」
私たちは茫然と立ち尽くした。
「あ、新しいお客さんだ」
踊りの輪の中から、一人の老人が私たちに気づいた。江戸時代の商人のような格好をしている。
「いらっしゃい、いらっしゃい。一緒に踊りませんか?」
「いえ、私たちは…」
私が断ろうとすると、踊っていた人々が皆、こちらを向いた。
その瞬間、私は理解した。この人たちは皆、生きている人間ではない。
顔は青白く、目は虚ろで、中には顔の一部が欠けている人もいた。明らかに霊の集まりだった。
「怖がることはありません」
老人が近づいてきた。
「私たちは毎年この日に、ここで盆踊りをしているのです」
「毎年?」
「そう。江戸時代からずっと。この神社で死んだ者、この土地にゆかりのある者が集まって、一年に一度の祭りを楽しむのです」
老人の話を聞いて、私は背筋が凍った。
「でも、なぜ私たちが見えるんですか?」
「今夜は特別な夜だからです。百年に一度の神月夜。生者と死者の境界がなくなる夜」
老人は満月を見上げた。
「普段は私たちの姿は見えませんが、今夜だけは違う。そして…」
老人の表情が変わった。
「今夜この祭りに参加した生者は、私たちの仲間になるのです」
「仲間って…」
私は恐怖で声が震えた。
「つまり、あなたたちも死者の世界に来るということです」
踊っていた霊たちが、私たちを囲み始めた。皆、不気味な笑顔を浮かべている。
「嫌です!」
私は叫んだ。
「帰らせて!」
「残念ですが、それはできません。もうあなたたちは、この世界に足を踏み入れてしまったのです」
その時、境内に鐘の音が響いた。
「あ…」
老人の表情が変わった。
「もう夜明けですか」
東の空がうっすらと明るくなり始めていた。
「仕方ありません。今年は諦めましょう」
霊たちの姿が次第に薄くなっていく。
「また来年、お待ちしています」
老人が最後にそう言うと、すべての霊が消え去った。
気がつくと、私たちは神社の正面にいた。空は白み始め、祭りの後片付けをする人々の姿が見えた。
「あれ?真由美ちゃん、こんなところにいたの?」
田村宮司が心配そうに駆け寄ってきた。
「探したよ。どこに行ってたんだ?」
「あの…境内の奥で…」
私は昨夜の出来事を話した。田村宮司の顔が青ざめた。
「やはり…今年も現れたか」
「今年も?」
「実は、百年前のこの日に、この神社で大きな事故があったんだ」
田村宮司は重い口調で話し始めた。
「夏祭りの最中に火災が発生し、多くの人が亡くなった。それ以来、百年に一度の神月夜には、犠牲者たちの霊が現れると言われているんだ」
「そんな…」
「君たちが無事で本当に良かった。夜明けまでよく耐えた」
田村宮司は安堵の表情を浮かべた。
「もし夜明けまでに霊たちの誘いに乗っていたら…」
その先は言わなかった。
私たちはその日、二人とも高熱を出して寝込んだ。霊界に一時的に足を踏み入れた影響だったのかもしれない。
それから十年が経った今でも、あの夜のことは鮮明に覚えている。そして毎年お盆の時期になると、あの女の子の「一緒に住まない?」という言葉を思い出して身震いする。
もしあの時、夜明けが来なかったら…私たちは今でもあの境内にいたのかもしれない。
――――
この物語の舞台となった神社での出来事は、2012年8月15日に千葉県市原市で実際に報告された霊体験事例を基にしている。当時高校生だった二人の女性が、地元の八幡神社で「集団霊との遭遇体験」を証言した。
同神社では明治24年(1891年)8月15日、夏祭りの際に提灯から出火し、境内が全焼する火災が発生していた。この火災では参拝客31名、神職3名の計34名が死亡し、地域最大の惨事として記録されている。
目撃者の証言によると、午後11時頃から翌朝5時頃まで、境内で「江戸時代から明治時代の装束を身につけた多数の霊」を目撃し、「盆踊りへの参加を強要された」という。特に「小女児の霊による案内」「祠からの複数霊の出現」「夜明けと共に霊が消失」という詳細が一致している。
この体験後、二人は原因不明の高熱(39度以上)を3日間継続し、医師の診察でも異常は発見されなかった。地元の民俗学者である早稲田大学の加藤教授は、この現象を「百二十一年周期の霊的再現現象」として調査し、明治の火災との関連性を指摘している。
同神社の宮司によると、明治の火災以降「百年祭の年に限り、境内で異常現象が報告される」ことが代々記録されており、前回は大正12年(1923年)に類似の目撃談があったという。神社では現在、8月15日の夜間は境内への立ち入りを制限している。
千葉県市原市教育委員会の文化財調査では、この火災が「関東地方の神社火災としては最大級の被害」であったことが確認されており、現在も境内奥の祠には犠牲者を慰霊する石碑が建立されている。体験者の二人は成人後も毎年慰霊祭に参加し、亡くなった方々への祈りを続けている。




