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怖い話  作者: 健二
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流れない灯籠


夏の蝉しぐれが止んだ夕暮れ時、私は祖母の家のある海辺の町に降り立った。高校二年の夏休み、東京から三時間かけて訪れたこの町は、いつも変わらぬ潮の香りと古びた街並みで私を迎えた。


「あら、千尋ちゃん。来てくれたのね」


玄関先で待っていた祖母の笑顔は、七十を過ぎてもなお穏やかだった。しかし、その目の奥には何か不安げな影が見え隠れしていた。


「おばあちゃん、元気にしてた?」


「ええ、元気よ。ただね…」


祖母は言葉を濁した。何かあるのだろうか。


私が祖母の家を訪れたのは、お盆の準備を手伝うためだった。父も母も仕事が忙しく、今年は私だけが先に来ることになっていた。父母は明後日、お盆の入りの日に合わせてやってくる予定だった。


「千尋ちゃん、今年は特別なお願いがあるの」


夕食の後、祖母は真剣な表情で切り出した。テーブルの上には、小さな紙の灯籠が置かれていた。


「今年の精霊流しで、これを流してほしいの」


祖母は丁寧に作られた灯籠を指さした。通常、精霊流しの灯籠には故人の名前を書くものだが、その灯籠には何も書かれていなかった。


「誰の灯籠なの?」


「それがね…」


祖母は遠い目をして窓の外を見た。夕闇が迫り、海が黒く沈んでいく。


「五十年前のことよ。この町で、行方不明になった子供たちがいたの」


祖母の声は小さくなった。


「六人の子供たち。みんな十歳から十二歳くらい。お盆の最中に、海岸で遊んでいて忽然と姿を消したの」


「事故だったの?」


「わからないのよ。遺体は一つも見つからなかった。でも…」


祖母は立ち上がり、古いアルバムを取り出した。そこには色あせた新聞の切り抜きが貼られていた。見出しには「六名の児童、海岸で行方不明に」とあり、その下に子供たちの写真が並んでいた。


「この子は…」


最後の写真を見て、私は息を呑んだ。それは祖母によく似た少女だった。


「ええ、私の妹よ。真理子」


祖母の声が震えた。


「真理子は、あの日私と喧嘩をして、一人で海に行ったの。私は行かなかった。そして…彼女は帰ってこなかった」


祖母の話によれば、あれから毎年のお盆に、名前のない灯籠を海に流していたという。真理子の魂が迷わず成仏できるようにと。


「でも今年は足が悪くて。千尋ちゃん、あなたに流してほしいの」


もちろん引き受けた。祖母の妹、つまり私の大叔母にあたる人のために、それくらいできることだった。


その夜、私は二階の客間で眠った。窓からは月明かりに照らされた海が見えた。波の音を聞きながら、ふと思った。もし真理子さんが生きていたら、今頃何歳だろう。六十歳くらい?お盆に帰省する叔母のような存在だったかもしれない。


深夜、微かな足音で目が覚めた。


カタン、カタン。


木の床を歩く、小さな足音。子供のものだろうか。でも、この家に子供はいないはず。


恐る恐るドアを開けると、廊下の向こうに小さな影が見えた。月明かりに照らされた、少女の後ろ姿。長い髪を揺らしながら、彼女は階段を降りていく。


「あの…」


声をかけようとした瞬間、少女は振り返った。顔は見えなかったが、彼女は人差し指を唇に当て、「しーっ」というしぐさをした。そして再び階下へと消えていった。


好奇心と恐怖が入り混じる中、私は少女の後を追った。階段を降りると、玄関のドアが開いていた。外には誰もいない。ただ、月明かりに照らされた道が海へと続いていた。


翌朝、その出来事を祖母に話すと、彼女は青ざめた顔で言った。


「真理子…」


その日から、不思議なことが続いた。夜になると、どこからともなく子供たちの笑い声が聞こえてくる。誰もいない浜辺から足跡が現れ、家の前で消える。そして、テーブルの上に置いた灯籠が、朝になると少しずつ位置が変わっていた。


お盆の入りの日、父と母が到着した。しかし、彼らには何も話さなかった。心配させたくなかったし、何より信じてもらえる気がしなかった。


その夜も、例の少女は現れた。今度は彼女の後ろに、ぼんやりとした五つの影が見えた。六人の子供たち。彼らは私を見ると、微笑むように見えた。そして、庭先へと消えていった。


私は窓から彼らを見つめた。彼らは庭の隅に集まり、何かを囲むように立っていた。月明かりに照らされて、地面に何かが光っていた。


翌朝、私はこっそり庭に出て、子供たちが集まっていた場所を調べた。そこには何もなかったが、地面を掘ってみようと思い立った。少し掘ると、何かが出てきた。小さな貝殻でできたブレスレット。古びていたが、六つの貝が糸で繋がれていた。


「これは…」


祖母に見せると、彼女は涙を流した。


「真理子の…これは真理子が作ったものよ。六人の友達の分」


お盆の送り火の日、私たちは海岸へと向かった。父と母も一緒だ。祖母は名前のない灯籠を六つ用意していた。そして、見つけたブレスレットを一つの灯籠に結びつけた。


「これで皆、一緒に帰れるわ」


祖母はそう呟いた。


夕暮れ時、私たちは灯籠を海に流した。六つの灯籠が、波に揺られて沖へと向かっていく。不思議なことに、潮の流れに逆らうように、六つの灯籠は寄り添うように並んで進んでいった。


その時だった。沖の方から、六つの光が現れた。灯籠の光ではない、もっと柔らかく、青白い光だった。それらは岸辺に向かって近づいてきた。


「見えるかい?」祖母が震える声で言った。


六つの光は波間を進み、私たちの前の浜辺に到達した。そこには六人の子供たちの姿があった。透き通るような、しかし確かにそこにいる姿。最後尾にいた少女が一歩前に出た。真理子だった。


「お姉ちゃん、ごめんね」


かすかな声が風に乗って届いた。祖母は涙を流しながら頷いた。


「ごめんね、真理子。あなたを一人で行かせて」


少女は首を横に振った。


「私たち、もう帰れるの。みんなと一緒に」


六人の子供たちは手を繋ぎ、徐々に透明になっていった。最後に真理子が振り返り、私たちに手を振った。


「さようなら。ありがとう」


彼らの姿が完全に消えると同時に、沖に流れていた六つの灯籠が一斉に消えた。まるで誰かが火を吹き消したように。


帰り道、祖母は静かに言った。


「やっと成仏できたのね」


その夜、もう足音は聞こえなかった。子供たちの笑い声も、不思議な現象も、すべて消えていた。


翌朝、祖母は穏やかな顔で朝食を作っていた。五十年間の重荷から解放されたようだった。


「千尋ちゃん、本当にありがとう」


「私、何もしてないよ」


「いいえ、あなたがいなければ、真理子たちは帰れなかった」


私は、流した灯籠のことを考えた。普通なら沖に流れていくはずの灯籠が、なぜ岸に戻ってきたのだろう。そして、あの六人の子供たちの正体は。


お盆が終わり、東京に戻る前日、私は一人で海岸を歩いた。潮風が髪を撫で、波の音が耳に心地よい。ふと足元に目をやると、小さな貝殻が落ちていた。拾い上げると、ブレスレットに使われていたものと同じ貝だった。


「お礼…かな」


微笑みながらポケットにしまった。東京に帰っても、この夏の不思議な出来事は忘れないだろう。そして来年のお盆も、また祖母の家を訪れようと思った。


――――


山口県の小さな漁村で、1972年に実際に起きた出来事として地元では語り継がれている。その年のお盆の期間中、六人の子供たちが海岸で遊んでいたところ、突然の高波にさらわれて行方不明になったという。


地元の古老の話によれば、子供たちの遺体は見つからなかったが、毎年お盆になると海岸付近で子供たちの笑い声や足音が聞こえるという証言が複数あった。特に不思議なのは、精霊流しの灯籠が通常流れていく方向とは逆に、岸に戻ってくる現象が度々目撃されていたことだ。


2008年、この村の浜辺整備事業中に、六つの小さな貝殻のブレスレットが発見された。考古学者の調査によれば、それは1970年代初頭のものと推定されている。ブレスレットが見つかった翌年のお盆以降、不思議な現象は報告されなくなったという。


民俗学者によれば、日本海沿岸の多くの地域では、水死者の霊は特別な供養が必要とされ、特にお盆の時期には「流れない灯籠」の現象が各地で報告されているという。これは死者の魂が何かの理由で成仏できず、この世に未練を残している証だと言われている。


現在でも、この村では毎年お盆に「名前のない灯籠」を流す習慣が続いており、迷い霊が安らかに成仏できるよう祈りを捧げている。

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