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怖い話  作者: 健二
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「信号は赤に変わらない」


 十月の終わり、私はJR西日本が廃止を決めた福知山線の旧線区間――山あいをくねる単線トンネルにいた。列車が高速化された二〇〇五年、脱線事故で百七名が亡くなった場所から八百メートルほど宝塚寄りに残る“旧・第二十三号信号所”。線路は土砂で塞がれ、レールは錆に埋もれている。


 私は鉄道写真家だが、最近は「事故現場を3D化して安全教育に使う」仕事の撮影を請け負うようになった。今夜は旧線トンネル内のポイント周りをライダー(LiDAR)でスキャンし、明朝には撤収する予定だ。同行者は地元の鉄道保安員、宮本さん。五十代で脱線事故の初期救助に当たった経験があり、「もう列車は来ない」と笑っていた。


 深夜一時、トンネルの気温は九度。風はなく、耳が痛くなるほど静かだ。私は三脚にスキャナを固定し、一回転目のレーザーパルスを撃った。PCのプレビューに暗い円筒が立体化し、レベルメーターの下に「ノイズ検出86dB」と赤点が灯る。静寂のはずなのに騒音が高すぎた。


 ヘッドホンを付けると、低いモーター音が聞こえる。列車の走行音を思わせるが、速度が一定しない。宮本さんに振り返ると、彼は顔を伏せたまま言った。


 「事故の朝も、こんな音が先に聞こえた」


 彼が語るには、二〇〇五年四月二十五日、開通したばかりの新線で脱線した列車は制限速度を七十キロ上回り、カーブを曲がり切れずにマンションへ突っ込んだ。旧線のこのトンネルは、救助隊が架線電力を落とすまで“迂回線”として通電したままだったという。


 私はやり直すため装置を再起動した。ところがPCの時刻が“05:18”になっている。脱線事故発生の時刻と同じ。現在は午前一時過ぎのはずなのに。


 スキャナが二回目の回転に入った瞬間、円筒形トンネルの点群に“別の空間”が重なった。コンクリート壁が揺らぎ、客室の長い白い通路――二〇二〇年、一〇月二十六日早朝に火災を起こした北海道・定山渓ホテルの脱出口。さらにその奥には、一九四七年四月二十三日、青函連絡船・洞爺丸事故で浸水した船内通路らしき傾いた廊下。


 世界中の“逃げ遅れた通路”が、このトンネルへ縫い寄せられている。


 「やめろ!」宮本さんが叫び、ブレーカーを落とした。が、機械は止まらず、レーザーパルスが赤い渦を描く。PCに新たなタイムコードが刻まれた。


 「2024/10/29 06:19 Amagasaki_Replay」


 来週のダイヤ改正初日、始発列車がこの時間に通ると知っていた。――事故から十九年目の“同じ曜日”だ。


  *


 レーザー光が闇の中ほどに集束し、ヘッドホンから車内アナウンスが漏れる。


 「次は……尼崎、尼崎……左側のドアが開きます」


 だが声が途中で潰れ、鉄骨がねじ切れる金属音が被さった。スピーカーなど無いのに、トンネル全体が響胴のように鳴る。


 私は宮本さんの腕を取り、出口へ走った。ところが足下のバラストが柔らかく沈み、視界が歪む。地面ではない。“砂袋で埋め戻した乗客の手荷物”が堆く積まれ、それが踏圧で潰れて飛行機の酸素マスクのように白い粉を吐き出している。


 宮本さんが膝をついた。彼はあの日、最初に助け起こした女性のことを話し始めた。圧迫で胸が潰れ、名前もわからず翌朝亡くなったと。彼は俯き、レールの上に伸びた影を見つめた。そこに列車がないのに、長い陰が二人分……いや三人分に増えている。


 影の主は、声を持たぬまま線路を指差した。そこには錆びた踏切支障報知ケーブルが一本、まだ通電していた。インピーダンス計の針が勝手に振れ、「列車検知 速度:116㎞/h」と赤く点滅。脱線列車が実際に達したとされる瞬間最高速度だった。


 私はカメラを放り、ケーブルを断ち切ろうとペンチを探した。しかし手袋のゴム越しにパチッと放電し、闇の底で何かが火花を浴びた。次の瞬間、私の胸ポケットの携帯が緊急速報音を鳴らす。


 「尼崎構内 信号装置に異常 列車接近」


 現実には配信されていないはずのプッシュ通知。画面の地図は、今いる旧線トンネルを“本線”として赤く点滅させている。


 「列車を受けるな」宮本さんが呻いた。「軌道回路をショートさせて赤信号を出せ!」


 私はレール間に金属三脚を倒し、バッテリーパックを直結させた。火花が走り、信号制御盤のパイロットランプが真紅に変わる。――だが、わずか一秒で緑に戻った。


 その間、ヘッドホンが拾ったのは、遠くでブレーキを噛ませる悲鳴。車輪フランジが枕木を削り、鋼材の折損が連鎖する乾いた爆裂音。そして、静寂。


  *


 気づくと、外は夜明け前の薄藍色。トンネル内にはレーザースキャナもPCも残っていない。地面の上には、真新しい制帽が一つだけ落ちていた。JRの徽章、しぶきを浴びたように錆びている。宮本さんが「駅で失くしたと、あの日探し回った」と呟き、帽子をそっと拾った。


 帰宅後、私は保存用SSDを確認した。データは一枚のスクリーンショットに置き換わり、黒地に白い文字列が流れるだけ。


  〈KOBE_LINE_NEXT_—〉


 “次”は神戸線――福知山線と接続する幹線だ。

 スクロールは止まらない。最後に日付だけが残った。


  2024/10/29


 あのダイヤ改正当日であり、十九年目の命日だ。


 もしその朝、あなたがJR神戸線に乗るとしたら、乗車前にホーム端の信号を見てほしい。赤が一瞬でも消え、緑が瞬いて戻るなら、旧線トンネルの警報が本線へ迂回した証かもしれない。

 列車は恐ろしいほど正確に走る。だからこそ狂った時、一秒のゆらぎが次の百人を呑み込む。


                      (了)


――本文に引用した実在の事故・災害――

・2005年4月25日 JR福知山線脱線事故(兵庫県・107名死亡)

・1947年4月23日 青函連絡船洞爺丸事故(北海道・1000名以上死亡)

・2020年10月26日 北海道定山渓温泉ホテル火災(死者なし・全焼)

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