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怖い話  作者: 健二
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十三番目の家


蝉の声が耳をつんざく真夏の午後、僕は祖母の住む山奥の集落に向かっていた。都会から遠く離れたこの村に来るのは三年ぶりのことだ。駅で降りると、祖母が軽トラックで迎えに来ていた。


「雄一、久しぶりねぇ。すっかり大きくなって」


七十を過ぎた祖母は、相変わらず元気そうだった。しかし、眉間には深いしわが刻まれている。何か心配事でもあるのだろうか。


「お盆の準備、手伝うよ」と僕は言った。高校二年生になった今年、両親は仕事の都合で来られず、僕だけが先に来ることになったのだ。


「ありがとう。今年はねぇ、特別なんだよ」


祖母の言葉に首を傾げながらも、僕は荷物を軽トラの荷台に放り込んだ。


村に着くと、十二軒ほどの家が点在する小さな集落が見えてきた。祖母の家は最も奥にある古い木造家屋だ。いつも来るたびに感じるのは、この村の静けさだ。人の気配が薄い。


「まるで誰も住んでないみたいだね」


「ああ、若い人はほとんど出て行ってしまったからね。お盆にだけ帰ってくるんだよ」


祖母は玄関先で靴を脱ぎながら、ふと空を見上げた。


「明日はもう十三日だね。皆が帰ってくる」


その夜、祖母は特別に念入りに仏壇を磨き、新しい位牌を置いた。そこには「水上幸治」と書かれている。


「誰の位牌?」


「あなたのお祖父ちゃんのいとこよ。去年亡くなったの。昔はこの村に住んでいたけど、三十年前に出て行ったんだ」


お盆の入りの十三日の朝、僕は早起きして村を散策することにした。朝霧の立ち込める中、家々の間を歩いていると、不思議なことに気づいた。昨日見た時は確かに十二軒だったはずの家が、今日は十三軒ある。


最も奥まった場所、本来なら森があるはずの場所に、一軒の古い家が建っていた。藁葺き屋根の、明らかに他の家より古い造りだ。


「おかしいな…」


その家に近づいてみると、庭には色あせた風車が回っており、玄関には「水上」と書かれた表札があった。昨夜祖母が仏壇に置いた位牌と同じ名字だ。


好奇心に駆られて庭に入ると、縁側には老人が一人、朝日を浴びながら座っていた。


「おはよう、若いの。朝早いねぇ」


穏やかな声で老人が話しかけてきた。七十代後半だろうか、しわだらけの顔に優しい目をしていた。


「あの、すみません。この家…昨日はなかったような」


老人は静かに微笑んだ。


「そりゃあそうさ。私はお盆にだけ帰ってくるからね」


その言葉の意味を考える間もなく、家の中から女性の声が聞こえてきた。


「幸治さん、お茶が入りましたよ」


「ああ、ちょうどいい。若いの、お茶でも飲んでいくかい?」


断る理由も見つからず、僕は老人に従って家の中に入った。内装は昭和初期のもので、古い家具や調度品が並んでいる。座敷に通されると、着物姿の老婆が茶を運んできた。


「まあ、どちらさん?」


「近くの家に来ているんです。散歩していたら…」


「ああ、もしかして里子さんのお孫さんかい?」と老人が言った。里子とは僕の祖母の名前だ。


「はい、そうです」


「そうか、そうか。里子とは子供の頃からの付き合いでね。彼女のお父さんと私の父は兄弟だったんだよ」


話を聞けば、この老人こそが水上幸治という人物らしい。昨夜祖母が新しく仏壇に置いた位牌の持ち主のはずだった。


「でも…」言いかけて止まった。失礼になるかもしれない。


老婆が微笑みながら言った。


「幸治さんはね、もうこの世にはいないの。でも毎年お盆には帰ってくるんだよ。この家も、お盆の間だけ現れるんだ」


背筋に冷たいものが走った。しかし、目の前の二人は確かにそこにいる。幻にしては生々しすぎる。


「怖がることはないよ」老人は優しく言った。「私たちは、ただ故郷に帰ってきているだけさ。悪いことをするつもりはない」


不思議なことに、恐怖は次第に薄れていった。彼らの物腰は穏やかで、どこか懐かしさすら感じる。


「実はね、私には言い残したことがあってね」老人は遠い目をした。「三十年前、この村を出て行く時、里子とけんかをしてしまったんだ。謝らないまま、都会で亡くなってしまった」


老人の話によれば、彼は村の再開発計画に賛成して出て行った数少ない一人だったという。祖母はその計画に反対し、二人は二度と口を利かなくなった。


「里子に会って謝りたいんだが、彼女には私の姿は見えないんだ。お盆に帰ってきても、生前のわだかまりがある人には会えないというのが、あの世のルールなんだよ」


茶を飲み終え、立ち上がろうとすると、老人は一枚の古い写真を僕に渡した。


「これを里子に渡してくれないか。そして、私が謝っていると伝えてほしい」


写真には若かりし日の老人と祖母が笑顔で写っていた。裏には「幸せだった日々を忘れないで」と書かれていた。


「必ず渡します」


家を出て振り返ると、朝霧の中に古い家がぼんやりと浮かんでいた。


祖母の家に戻ると、彼女は仏壇の前で祈りを捧げていた。


「おばあちゃん、さっき幸治さんに会ったよ」


祖母は驚いた表情で振り返った。


「何を言っているの?幸治さんはもう…」


「うん、知ってる。でも会ったんだ。この写真を渡してほしいって」


写真を見た祖母の目から涙がこぼれ落ちた。


「信じられない…これは私たちが十代の頃の写真。二人でお祭りに行った日のものよ」


祖母に老人の言葉を伝えると、彼女はしばらく黙って写真を見つめていた。


「あの時、私は頑固だった。村を守りたい一心で、幸治さんの気持ちを考えなかった。実は私も謝りたかったのよ」


その日の夕方、僕と祖母は十三番目の家を訪ねた。しかし、そこには何もなかった。ただの空き地が広がっているだけだった。


「ここにあったはずなのに…」


「大丈夫よ」祖母は微笑んだ。「お盆の間は、時々不思議なことが起こるの。特に、未練や後悔を残している魂がいる時はね」


その夜、祖母は仏壇に幸治さんの写真を飾り、丁寧に手を合わせた。


「ありがとう、幸治さん。私も謝りたかったの」


夜中、僕は奇妙な夢を見た。幸治さんと祖母が若い姿で、村の広場で踊っている。二人は笑顔で、何かを語り合っているようだった。


翌朝、目覚めると窓の外には晴れ渡った空が広がっていた。朝食の席で祖母は晴れやかな表情をしていた。


「いい夢を見たのよ。幸治さんと和解できた気がする」


お盆の中日、村には他の家族も帰省してきた。久しぶりに活気づく村の中で、僕は時々、遠くに幸治さんの姿を見かけるような気がした。しかし、近づくと誰もいない。


最終日、送り火の準備をしていると、庭に一枚の葉っぱが舞い落ちてきた。拾い上げると、それは普通の葉っぱではなく、紙で作られた小さな手紙だった。


「ありがとう。里子と和解できた。もう安心して旅立てる」


文字はかすれていたが、確かに幸治さんの筆跡のようだった。


その夜、送り火の煙が空に昇るのを見ながら、僕は思った。お盆とは、ただ故人を偲ぶだけの期間ではなく、生者と死者が和解し、未練を解消する大切な時間なのかもしれないと。


帰りの電車の中、窓の外の景色を眺めながら、僕は祖母から聞いた言葉を思い出した。


「この世とあの世は、思っているより近いのよ。特にお盆の間は、その境界が薄くなる。だからこそ、大切な人との絆を確かめる時間なんだ」


来年のお盆も、きっとこの村を訪れよう。そして、もしかしたら十三番目の家が見えるかもしれない。それが幸治さんの家でなくても、誰か別の、帰るべき場所を求める魂の住処かもしれないと思いながら。


――――


福島県の山間部にある小さな集落で、2011年に実際に起きたとされる不思議な出来事が地元の民俗学研究者によって記録されている。


この集落では東日本大震災の後、お盆の期間中だけ「存在しない家」が現れるという証言が複数の住民から報告された。通常は12軒しかない集落に、13軒目の家が出現するというのだ。


最初にこの現象を目撃したのは、東京から帰省していた大学生だった。彼の証言によれば、お盆の入りの日から送り火の日まで、集落の外れに古い様式の家が建っていたという。その家には震災で亡くなった住民が住んでおり、話しかけると普通に会話ができたという。


さらに興味深いのは、この現象が毎年繰り返されているという点だ。地元の古老の話では、「未練を残して亡くなった人の魂が宿る家」は昔から言い伝えられており、特に大きな災害の後には、このような現象が起きやすいとされていた。


民俗学者の調査によれば、日本各地の山間部では「盆の間だけ現れる家」の伝承が広く分布している。特に東北地方では「お盆迎え家」と呼ばれ、亡くなった人が一時的に戻ってくる場所として崇められてきた。


科学的な説明としては、山間特有の気象条件による蜃気楼現象や、集団的な記憶による錯覚という説もあるが、いずれも決定的な証拠は見つかっていない。


現在もこの集落では、お盆になると13軒目の家を探す人々が訪れるという。そして時折、大切な人との再会や和解を経験した者がいると言われている。

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