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怖い話  作者: 健二
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帰り道


夏の終わり、私は母の実家がある岐阜県の山奥へ向かっていた。高校三年生の夏休み最後の思い出として、一人で祖母の墓参りに行くことにしたのだ。


私の名前は田中真也。東京生まれ東京育ちで、母の故郷である美濃の山村には子供の頃に数回訪れただけだった。祖母は私が中学二年の時に亡くなり、今年で三回忌を迎える。


「真也、一人で大丈夫?道、覚えてる?」


出発前、母は心配そうに言った。


「大丈夫だよ。スマホもあるし」


軽く答えたが、実際は少し不安だった。祖母の家は最寄り駅から車で一時間、さらに山道を歩いて二十分ほどの場所にある。公共交通機関だけでは到達が困難で、母はいつもレンタカーを借りていたのだ。


朝早く東京を出発し、昼過ぎには最寄りの美濃田口駅に到着した。無人駅で周囲に店もなく、既に後悔が始まっていた。母に電話して迎えに来てもらうことも考えたが、自分で決めたことだからと歩き始めた。


炎天下の中、重いリュックを背負って山道を歩くのは予想以上に辛い。道路脇には田んぼが広がり、蝉の声が耳を劈く。汗が滝のように流れ、持参した水筒の水も半分以下になっていた。


歩き始めて一時間ほど経った頃、分岐点に差し掛かった。記憶が曖昧で、どちらの道を進めばいいか分からない。スマホのGPSを確認しようとしたが、山間部のため電波が弱く、地図が読み込まれない。


迷いながらも右の道を選んで歩き続けた。しかし、歩けば歩くほど道は細くなり、周囲の景色に見覚えがない。完全に道を間違えたことを悟った時には、もう日が傾き始めていた。


引き返そうと振り返ると、来た道がどこだったかも分からなくなっていた。山の中で複数の獣道が交差しており、どの道を通ってきたのか判別がつかない。


パニックになりかけた時、遠くから鐘の音が聞こえてきた。お寺の鐘だった。音の方向に向かって歩けば、何とか人里に出られるかもしれない。


鐘の音を頼りに山道を進むと、古い石段が見えてきた。苔むした石段は相当な年代物で、所々欠けたり崩れたりしている。手すりもなく、上るのに不安を感じたが、他に選択肢はなかった。


石段を上り終えると、山の中腹に小さなお寺があった。「慈雲寺」と書かれた古い看板が朽ちかけている。境内は荒れ果てており、雑草が伸び放題だった。しかし本堂だけは比較的保たれており、中から読経の声が聞こえてきた。


「すみません」


恐る恐る本堂の戸を開けると、一人の老僧が座禅を組んで経を読んでいた。七十歳くらいの痩せた男性で、白い髭を長く伸ばしている。


「失礼します。道に迷ってしまって…」


老僧はゆっくりと顔を上げた。深く窪んだ目が印象的だった。


「そうか、迷子か」


声は優しく、ほっとした。


「美濃田口駅の方面に帰りたいんですが、道を教えていただけませんか?」


「今日はもう遅い。山の道は夜は危険じゃ。一晩泊まっていくがよい」


申し出は有難かったが、見ず知らずの人に迷惑をかけるのは気が引けた。


「いえ、大丈夫です。何とか帰ります」


「この山は夜になると『迷い道』ができる。一度入り込んだら二度と出られぬ」


老僧の言葉は冗談には聞こえなかった。


結局、老僧の好意に甘えて一晩泊めてもらうことにした。本堂の奥にある住居部分は質素だったが清潔で、夕食には精進料理を出してくれた。


「お若いの、何用でこの山に?」


「祖母の墓参りです。この先の集落に住んでいたんですが…」


老僧の表情が変わった。


「その集落、今はもうないぞ」


「え?」


「十年ほど前に最後の住人が亡くなった。今は誰も住んでおらん」


母は確かに「お墓は村の共同墓地にある」と言っていた。しかし集落自体がなくなっているとは聞いていない。


「でも、お墓は…」


「墓地だけは残っておるが、管理する人もおらんでな。荒れ果てておる」


夜が更けるにつれ、老僧は不思議な話を始めた。


「この山には昔から『お帰り様』という言い伝えがある」


「お帰り様?」


「お盆の時期、故郷に帰ろうとする霊魂が道に迷うことがある。彼らは生前の記憶を辿って帰ろうとするのじゃが、時代が変わり道も変わり、迷子になってしまう」


老僧は続けた。


「迷った魂は生きている人間に取り憑いて、一緒に帰ろうとする。しかし魂の行き先は既に存在しない場所。そうして一緒に『迷い道』に入り込んでしまうのじゃ」


背筋が寒くなった。私も祖母の故郷に「帰ろう」として道に迷ったのだ。


「私も…その『お帰り様』に…?」


老僧は答えず、微笑むだけだった。


その夜、私は本堂で布団を敷いて寝ることになった。しかし眠りは浅く、夜中に何度も目が覚めた。そのたびに、外から足音が聞こえるような気がした。複数の人が境内を歩き回っているような音だった。


朝方、うとうとしていると、老僧に起こされた。


「朝じゃ。早く出発した方がよい」


朝食を急いで済ませ、老僧に教わった道を歩き始めた。昨日歩いた道とは全く違う方向だった。


「本当にこの道で駅に出られるんですか?」


「心配するな。この道は『生きた道』じゃ」


意味が分からなかったが、老僧を信じて歩いた。


一時間ほど歩くと、見覚えのある田んぼの景色が見えてきた。しかし何かがおかしい。昨日見た田んぼよりも稲穂が成長している。季節が進んだような感覚だった。


美濃田口駅に着いて時計を見ると、まだ午前十時だった。帰りの電車まで時間があったので、駅の待合室でぼんやりしていると、地元の老人が話しかけてきた。


「あんた、どこから来なさった?」


「慈雲寺というお寺に泊めてもらいました」


老人の顔色が変わった。


「慈雲寺?あそこは三十年前に廃寺になったぞ。住職も二十年前に亡くなった」


血の気が引いた。


「そ、そんなはずは…昨夜確かに…」


「あんたが行ったのは慈雲寺の跡地じゃろう。建物だけは残っとるからな」


震えが止まらなくなった。では昨夜世話になった老僧は誰だったのか。


「その住職さん、どんな人でしたか?」


老人は私の顔を見て、さらに驚いた表情を見せた。


「痩せて髭の長い人じゃった。でも、あんた、大丈夫か?顔色が悪いぞ」


帰りの電車の中で、私は昨夜の出来事を思い返していた。確かに老僧と話し、食事もした。しかし考えてみれば、食事の味を覚えていない。老僧の話し声も、最後の方はよく聞こえていなかった気がする。


東京に着いて母に電話した。


「お疲れさま。お墓参りできた?」


「それが…道に迷って行けなかったんだ」


母は心配したが、私は慈雲寺での出来事は話さなかった。


数日後、気になって慈雲寺について調べてみた。インターネットで検索すると、確かに三十年前に廃寺になっており、最後の住職は二十年前に亡くなっていた。写真も見つけた。昨夜世話になった老僧と同じ顔だった。


さらに調べを進めると、慈雲寺には「迷子供養」という特殊な法要があったことが分かった。山で道に迷った人や、故郷を失った霊魂を供養する儀式だったという。


そして最も驚いたのは、母の故郷の集落について調べた時だった。確かに十年前に無人になっていたが、その理由が「住民全員が同じ夜に行方不明になった」ことだった。お盆の夜、住民たちは「故郷に帰る」と言い残して山に入り、二度と戻ってこなかった。


私は慈雲寺の老僧に救われたのか、それとも一緒に「迷い道」に入りかけたのか、今でも分からない。ただ確かなのは、あの夜から私の中の何かが変わったということだ。


時々、夢の中で慈雲寺の境内に立っている自分を見る。本堂から読経の声が聞こえ、老僧が手招きしている。そしていつも同じ言葉で目が覚める。


「お帰りなさい」


――――


岐阜県の山間部にある廃寺「慈雲寺」(仮名)では、2019年夏に複数の不可解な体験談が報告されている。


最初の報告者は、祖先の墓参りのために一人で山を訪れた大学生だった。道に迷った彼は、地図にない古い寺院で一夜を明かし、住職から道を教えられて無事下山した。しかし後日調査したところ、その寺は20年前に廃寺となっており、住職も既に故人だったことが判明した。


この体験談がSNSで拡散されると、同様の経験を持つ人々から次々と証言が寄せられた。いずれも「道に迷った際に現れる老僧」「廃寺で一夜を過ごす体験」「後に寺が廃寺だったと判明」という共通点があった。


民俗学者の調査によると、この地域には江戸時代から「道迷い供養」という特殊な信仰があったという。山で道に迷い命を落とした人々や、故郷を失って彷徨う霊魂を慰める儀式が、毎年お盆の時期に行われていた。


特に興味深いのは、体験者の多くが「故郷への帰省」や「墓参り」を目的としていたことだ。宗教学的観点から見ると、「帰ろうとする意識」が何らかの霊的現象を引き起こしている可能性が示唆される。


さらに2020年の追跡調査では、体験者たちが口にした「老僧」の人物像が、戦前に慈雲寺で実際に道迷い供養を執り行っていた住職と一致することも確認された。地元の古老によれば、この住職は生前「迷子を助けるのが使命」と語っていたという。


現在、慈雲寺の跡地は立入禁止となっているが、お盆の時期になると今でも「鐘の音が聞こえる」「読経の声がする」といった報告が相次いでいる。


心理学的には、極度の疲労や脱水症状による幻覚という説明も可能だが、体験者たちの証言の一貫性と、実在した人物との合致は単純な心理現象を超えた何かを示唆している。


地域の伝承では、「迷った時に現れる僧侶」は今でも山を彷徨う魂たちを導いていると信じられており、毎年お盆には地元住民による供養が続けられている。

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