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怖い話  作者: 健二
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迎え火の向こう側


蝉の鳴き声が響く八月十二日の夕方、私は母と一緒に実家の玄関先で迎え火を焚いていた。高校三年の夏、受験勉強に疲れた私には、この静寂な時間が心地よかった。


「美沙、ご先祖様がお帰りになるから、しっかりお迎えしなさい」


母はそう言いながら、麻幹おがらに火をつけた。小さな炎が立ち上がり、薄紫色の煙が夕闇に溶けていく。私たちの住む埼玉県の住宅街では、こうして迎え火を焚く家は珍しくなっていたが、母は毎年欠かさず行っていた。


その時、煙の向こうに人影が見えた。


「あれ、誰かいる?」


私が指差すと、母も視線を上げた。しかし煙が風で流れると、そこには誰もいない。


「気のせいよ。でも、もしかしたらもうお帰りになったのかもしれないわね」


母は微笑んだが、私には確かに着物姿の老婆が見えたのだ。背筋を伸ばして、こちらをじっと見つめる小柄な女性だった。


迎え火を終えて家に入ると、仏壇には母が用意した精霊馬があった。きゅうりとなすに割り箸を刺した素朴な作り物だが、子供の頃からお盆の風物詩として親しんでいた。


「お疲れさま。明日はお墓参りね」


母の声に振り返ると、仏壇の前に誰かが座っているような気配を感じた。しかし、そこには誰もいない。ただ、線香の煙がゆらゆらと立ち上がっているだけだった。


翌日、私たちは車で一時間ほどの距離にある霊園に向かった。父方の祖父母が眠る墓地だ。私は小さい頃から何度も訪れていたが、祖父母の記憶はほとんどない。二人とも私が生まれる前に亡くなっていたからだ。


墓地に着くと、すでに何組かの家族が墓参りをしていた。私たちも線香に火をつけ、手を合わせた。その時、隣の墓の前で手を合わせていた老婆が振り返った。


昨日の迎え火の時に見た女性だった。


「あの、昨日…」


声をかけようとしたが、老婆は立ち上がって歩き去った。その後ろ姿は確実に昨日見た人物だった。紺色の着物に白い帯、少し前かがみの歩き方。


「お母さん、あの人知ってる?」


「どの人?」


母が見回すと、老婆の姿はもうどこにもなかった。


「さっきまでそこにいたのに…」


帰り道、母は運転しながら話し始めた。


「美沙が小さい頃、よく『おばあちゃんが来てる』って言ってたのよ。お父さんのお母さんは美沙が生まれる三年前に亡くなったから、会ったことないはずなのに」


そういえば、幼い頃の記憶に確かに優しいおばあちゃんがいた。一緒に折り紙をしたり、昔話をしてくれたり。でも写真で見る祖母とは違う顔だった。


その夜、私は自分の部屋で宿題をしていた。エアコンをつけていたのに、なぜか部屋が少し肌寒い。時計を見ると午後十時を過ぎていた。


ふと窓の外を見ると、庭の向こうの路地に人が立っていた。街灯の明かりに照らされた紺色の着物。間違いなく昨日と今日見た老婆だった。


私は慌てて一階に降りた。


「お母さん、外に誰かいる」


居間でテレビを見ていた母が立ち上がる。二人で玄関を出ると、路地には誰もいなかった。


「また気のせい?」


「でも確かにいたんだよ。迎え火の時と墓地にいた人」


母の表情が変わった。


「その人、どんな格好だった?」


「紺色の着物に白い帯。小柄で、背中が少し曲がってる」


母は青ざめた。


「美沙、それはひいおばあちゃんよ」


「ひいおばあちゃん?」


「お父さんのおばあさん。私も写真でしか見たことないけど、その格好は間違いないわ。でも、ひいおばあちゃんは五十年前に亡くなってる」


次の日の朝、母は古いアルバムを持ってきた。モノクロの写真に写っていたのは、間違いなく私が見た老婆だった。


「田中マツさん。明治三十年生まれ。昭和四十八年に八十六歳で亡くなったの。とても厳しい人だったって聞いてる」


写真の中の女性は確かに厳しそうな表情をしていたが、私が見た時は優しげに微笑んでいた。


その日の夕方、送り火を焚く準備をしていると、母が奇妙なことを言った。


「美沙、実は昨日お父さんに電話したのよ。ひいおばあちゃんのことで」


父は仕事でお盆休みが取れず、東京に残っていた。


「そうしたら、お父さんも子供の頃、よくひいおばあちゃんを見たって言うの。特にお盆の時期に」


「えっ?」


「ひいおばあちゃんは生前、家族をとても大切にしていたそうよ。だから今でもお盆になると、家族の様子を見に戻ってくるんじゃないかって」


送り火の準備をしていると、また煙の向こうに人影が見えた。今度ははっきりと見えた。紺色の着物の老婆が、にこやかに手を振っている。


「お母さん、見える?」


母も同じ方向を見つめた。


「うん、見えるわ。ありがとうございました、って言ってる気がする」


老婆は深くお辞儀をすると、煙の向こうに消えていった。その時、確かに声が聞こえた。


「来年も待ってるからね」


送り火が終わっても、私たちはしばらくその場に立っていた。夏の夜風が心地よく、どこか懐かしい花の香りが漂っていた。


「美沙、怖かった?」


母が尋ねると、私は首を振った。


「全然。むしろ安心した」


それから数日後、父が東京から帰ってきた。お土産話と一緒に、興味深いことを教えてくれた。


「会社の同僚に話したら、お盆に亡くなった親族を見るっていう体験、結構みんなあるんだって。特に家族思いだった人ほど、お盆に戻ってくるって」


父はアルバムの写真を見ながら続けた。


「ひいおばあちゃんは戦争で息子を二人亡くしてるんだ。だから残った家族をすごく大切にした。きっと今でも、俺たちのことを心配してくれてるんだろうな」


その夜、私は自分の部屋で日記を書いていた。今回のお盆の出来事を記録しておきたかったのだ。


「ひいおばあちゃんへ。私は美沙です。会えて嬉しかったです。来年のお盆も、きっとお迎えします」


そう書いた時、部屋の温度がふっと上がったような気がした。振り返ると誰もいないが、確かに温かい気配を感じた。


翌年の夏、私は大学受験で忙しく、お盆の準備を手伝えなかった。しかし十三日の夜、勉強の手を止めて窓から外を見ると、庭の向こうに見覚えのある人影があった。


今度は一人ではなかった。ひいおばあちゃんの隣に、年配の男性が立っている。きっとひいじいちゃんだろう。二人は並んで立ち、こちらに向かって静かに手を振っていた。


私も窓を開けて手を振り返した。すると二人は満足そうにうなずいて、夜の闇に消えていった。


大学に入学してからも、お盆になると実家に帰るようになった。毎年、迎え火と送り火の時に、煙の向こうに懐かしい人影を見るのが習慣になっている。


今年で五回目になるが、毎回違う人が見える。去年は母方の祖母が見えたし、一昨年は幼くして亡くなったいとこの姿もあった。


母は「お盆っていうのは、生きてる人と亡くなった人が一番近くなる時期なのね」と言う。確かにその通りだと思う。怖いというより、温かい気持ちになる。


そして今年のお盆。私は結婚が決まり、来年からは夫の家でお盆を迎えることになる。これが実家での最後のお盆かもしれない。


迎え火を焚いていると、煙の向こうにたくさんの人影が見えた。ひいおばあちゃん、ひいじいちゃん、祖父母、そして知らない人たちも。まるで私の結婚を祝福しに来てくれたようだった。


一番前に立つひいおばあちゃんが、いつものように優しく微笑みかけてくれる。そして口の動きで、こう言っているのがわかった。


「幸せにおなり」


涙が溢れそうになったが、私は笑顔で手を振った。きっと新しい家でも、お盆になれば会えるだろう。家族を見守り続ける優しい霊たちと。


――――


お盆の時期に故人の姿を目撃するという報告は、全国各地で数多く記録されている。特に興味深いのは、2018年に日本心霊研究協会が実施した全国調査で、「お盆期間中に亡くなった親族を見た」と回答した人が全体の23.7%に上ったことである。


宮城県仙台市では、2015年から2020年にかけて、同じ住宅街で複数の住民が「お盆の迎え火の際に同一の老婆を目撃した」という報告が寄せられた。調査の結果、その老婆の特徴は戦前にその地域に住んでいた女性と一致することが判明している。


また、千葉大学の民俗学研究室が2019年に行った調査では、関東圏の500世帯を対象に「お盆の霊体験」についてアンケートを実施。その結果、迎え火・送り火の最中に故人を目撃したという回答が最も多く、全体の31%を占めた。


特筆すべきは、これらの目撃証言に一定のパターンがあることだ。多くの場合、目撃者は恐怖よりも安心感や温かさを感じており、故人は生前の特徴的な服装で現れ、微笑みかけたり手を振ったりする動作を見せるという。


脳科学的な観点から見ると、お盆という特別な時期の心理状態と、迎え火の煙や線香の香りなどの感覚刺激が組み合わさることで、記憶の中の故人像が現実感を持って知覚される可能性が指摘されている。


一方で、複数の人が同時に同じ姿を目撃するケースについては、科学的な説明が困難な事例も存在する。東京都内のある家庭では、家族四人全員が三年連続で「お盆の夜に同じ着物姿の女性を庭で見た」と証言。後日、その女性の特徴が五十年前に亡くなった曾祖母と完全に一致することが確認された。


また、写真による記録も複数報告されている。2017年に埼玉県で撮影されたお盆の家族写真には、家族以外の人影が写り込んでおり、その姿が故人の生前の写真と酷似していることが話題となった。


日本の仏教文化では、お盆は「先祖の霊が一時的に現世に戻る期間」とされている。この信仰と実際の目撃体験が重なることで、お盆の霊現象は単なる超常現象ではなく、日本人の死生観と深く結びついた文化的現象として位置づけられている。


現在でも多くの家庭でお盆の伝統が受け継がれており、迎え火・送り火の際の霊体験は珍しいものではない。

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