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怖い話  作者: 健二
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灯籠の渡し守


真夏の熱気が立ち込める夕暮れ、私は田舎の祖母の家へと向かっていた。私の名前は美咲、都会の高校に通う二年生。両親が海外出張で不在のため、お盆の期間は一人で祖母の家で過ごすことになったのだ。


祖母の家がある村は、山に囲まれた小さな集落で、最寄りの駅からバスで一時間ほど揺られなければならない。スマホの電波も弱く、友達とのやり取りも思うようにいかない場所だ。正直なところ、気が進まなかった。


「美咲ちゃん、よく来てくれたねぇ」


玄関先で祖母が出迎えてくれた。八十を過ぎた彼女は、年齢を感じさせない力強さを持っていた。


「今年はね、特別なの。灯籠流しの当番が私の家なんだよ」


祖母の言葉に、私は少し驚いた。この村には「渡し守」と呼ばれる風習があると聞いていた。お盆の最終日、故人の霊を送る灯籠流しの儀式を取り仕切る役目だ。十年に一度、各家に回ってくるという。


「おばあちゃん、大丈夫?手伝おうか?」


「ありがとう。でも、美咲ちゃんはまだ若いから…」


祖母は言葉を濁した。何か言いたげな表情を浮かべながらも、それ以上は語らなかった。


その夜、私は二階の客間に布団を敷いてもらった。窓からは村を囲む山々と、その谷間を流れる小さな川が見えた。祖母によれば、灯籠流しはその川で行われるという。


眠りにつこうとしたとき、障子の外から微かな声が聞こえてきた。


「渡し守…今年は誰だ…」


風の音かと思ったが、明らかに人の声だった。誰もいないはずの縁側からの声に、背筋が凍りついた。


翌朝、朝食の席で昨夜のことを祖母に話すと、彼女の顔色が変わった。


「美咲、お盆の間はね、夜になったら絶対に川に近づいちゃダメ。特に灯籠流しの前夜は」


祖母の真剣な眼差しに、私は素直に頷くしかなかった。


お盆の準備は思った以上に大変だった。仏壇の掃除、墓参り、故人の好物を供える「お供え」の準備。そして何より、灯籠作りだ。祖母は村中の家の分の灯籠を作らなければならなかった。


「昔はね、この村の人は皆、川で亡くなったんだよ」


灯籠の紙に名前を書きながら、祖母が静かに語り始めた。


「洪水があってね、多くの人が一度に命を落とした。だから灯籠流しは特別なんだ。川に流すことで、彼らを本当の安らぎの場所へと導くんだよ」


祖母の話を聞きながら、紙灯籠に名前を書く手伝いをした。一つ一つの名前に、故人の思いが宿っているようだった。


お盆の中日、私は村の古い神社で行われる盆踊りに参加した。輪になって踊る村人たちの間で、ふと違和感を覚えた。よく見ると、輪の中に見知らぬ人々が混ざっていた。薄暗い提灯の明かりの中、その人たちの足元が地面に届いていないように見えたのだ。


恐怖で声も出ず、その場を離れようとしたとき、老婆が私の腕を掴んだ。


「あんた、見えるのかい?」


「え?何がですか?」


「あの人たち。川の人たちだよ」


老婆は踊りの輪の中の、私が違和感を覚えた人々を指さした。


「あの人たちは毎年のお盆に戻ってくる。渡し守が灯籠で彼らを送り出すまでね」


その夜、眠れないまま布団の中で過ごした。窓の外から聞こえる川のせせらぎが、人の囁きのように聞こえた。


お盆の最終日、灯籠流しの日がやってきた。夕方になると村人たちが集まり始め、それぞれが家族の名前が書かれた灯籠を持ってきた。祖母は赤い着物に身を包み、厳かな表情で灯籠を受け取っていた。


「美咲、今夜は家で待っていてくれるかい?」


祖母の言葉に、私は首を振った。


「一緒に行く。おばあちゃんを一人にはしたくない」


渋々ながらも祖母は認めてくれた。だが、「川の近くには絶対に来ないで」と念を押された。


日が沈み、辺りが暗くなると、村人たちは川の上流にある小さな広場に集まった。そこには既に祭壇が設けられ、供物が並べられていた。


儀式が始まると、祖母は祭壇の前に立ち、何かを唱え始めた。古い言葉で、私には理解できなかったが、どこか厳粛な雰囲気が漂っていた。


祖母の合図で、村人たちは一斉に灯籠に火を灯した。百を超える灯籠の明かりが、夜の闇の中で幻想的に揺らめいた。


「では、送り出しましょう」


祖母の言葉と共に、村人たちは一列に並んで川辺へと向かった。私は少し離れた高台から、その光景を見守っていた。


川面に次々と灯籠が流されていく。その光が川下へと連なり、まるで光の道のようだった。不思議なことに、流された灯籠は一つも沈むことなく、まっすぐに流れていった。


そのとき、異変に気づいた。川の対岸に人影が見えたのだ。一人、また一人と、薄暗い人影が現れ、川辺に集まってきた。その数は流された灯籠の数と同じように思えた。


恐怖に震えながらも、私はその光景から目を離せなかった。対岸の人々は、流れてくる灯籠を受け取るようにして、次々と姿を消していった。


最後の灯籠が流されると、祖母が川の中央に立った。膝下まで水に浸かり、両手を広げて何かを唱えている。


その時だった。祖母の周りの水面が光り始めたのだ。水中から光が漏れ出すように、青白い輝きが広がっていった。そして、その光の中から、手が伸びてきた。


無数の手が水面から現れ、祖母の着物を掴んだ。私は恐怖で叫ぼうとしたが、声が出なかった。


しかし、祖母は怯む様子もなく、むしろ穏やかな表情でそれらの手に触れていた。そして、静かに語りかけた。


「皆さん、また来年お会いしましょう。どうか安らかに」


不思議なことに、それらの手は祖母を引き込もうとはせず、むしろ感謝するかのように彼女の手を握り、そして静かに水中へと戻っていった。


最後の光が消えると、祖母はゆっくりと岸に戻ってきた。村人たちは彼女を迎え、敬意を込めて頭を下げた。


その夜、祖母は私に全てを話してくれた。この村は百年前、大洪水で多くの命が失われたという。彼らの魂は今も川に留まり、毎年のお盆に一時的に戻ってくる。渡し守の役目は、彼らを正しく送り出すことだという。


「でも、なぜ私にも見えたの?」


「血筋ね。渡し守の家系の者には、彼らが見える。あなたのお母さんは見えないように育てたけれど、あなたにはその力があるようだ」


震える手で熱いお茶を飲みながら、祖母は続けた。


「渡し守は危険な役目よ。川の人たちの中には、生きた人間を羨み、引きずり込もうとする者もいる。だから儀式を正しく行い、彼らの魂を鎮めなければならないの」


それから数日後、お盆が終わり、私は都会に戻る準備をしていた。荷物をまとめながら、ふと窓の外を見ると、川辺に立つ一人の女性の姿が見えた。


よく見ると、その女性は私を見上げ、手を振っているようだった。恐る恐る手を振り返すと、彼女は微笑み、そして川の中へと消えていった。


「美咲、何を見てるの?」


背後から祖母の声がして、私は驚いて振り返った。


「川辺に女の人が…」


祖母は窓の外を見て、静かに頷いた。


「それは菊子さん。洪水で幼い娘を残して亡くなった人よ。きっとあなたに感謝していたんだろうね。あなたが手伝ってくれたおかげで、灯籠が全部揃ったからね」


その年の冬、祖母から一通の手紙が届いた。来年のお盆も手伝ってほしいという内容だった。最後に、一行だけ特別な言葉が添えられていた。


「川の人たちがあなたに会いたがっている」


次の夏、私は再び祖母の家を訪れるだろう。そして、灯籠の明かりと共に、川の向こうへと旅立つ魂たちを見送るのだろう。今度は、もう少し近くで。


---


東北地方の山間部に位置するK村では、今も特殊な灯籠流しの風習が残っている。明治時代の大洪水で多くの犠牲者を出したこの村では、毎年のお盆に「渡し守」と呼ばれる役目の家が儀式を執り行う。


2012年、この儀式を民俗学的に調査していた研究者が不可解な体験を報告している。灯籠流しの最中、川の対岸に多数の人影を目撃したというのだ。写真を撮影しようとしたが、カメラは作動せず、録音機器も異常な雑音だけを記録した。


さらに興味深いのは、村の古老たちが口を揃えて語る証言だ。灯籠流しの夜には「川の人々」が一時的に戻ってくるという。実際に、川で溺死した人々の名前が書かれた灯籠だけが、沈むことなく最後まで流れるという現象も確認されている。


地元の神社の宮司によれば、この風習は単なる供養ではなく、「魂の導き」の儀式だという。正しく行われなければ、故人の魂が迷い、生きている人を川へと誘うと信じられているのだ。


実際に、この村では灯籠流しの期間中に川に近づくことを厳しく禁じている。そして毎年、儀式が終わると川の水位が数センチ下がるという不思議な現象も報告されている。科学的な説明はいまだになされていないが、地元の人々は「川の人々が戻っていった証」と静かに受け止めている。

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