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怖い話  作者: 健二
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帰れない盆の客


8月13日、私は祖父母が住む秋田県の山あいの集落に降り立った。東京から5時間以上かけてたどり着いたこの村は、スマホの電波もままならない静かな場所だった。


「大輔、久しぶりだね。高校生になって、随分と背が伸びたじゃないか」


駅で迎えてくれた祖父は、私が小学生の頃から変わらぬ優しい笑顔を向けてくれた。東京生まれの私だが、母の実家があるこの村には幼い頃から毎年お盆に訪れていた。


祖父の軽トラックに乗り込み、細い山道を20分ほど走ると、杉木立に囲まれた古い民家が見えてきた。祖母が縁側で待っていた。


「大輔、よく来たね。お盆の準備、手伝ってちょうだい」


玄関を入ると、懐かしい畳の香りがした。二階の客間に荷物を置いた後、祖母の手伝いをすることにした。


「まずは仏壇の掃除からね」


祖母は箒と雑巾を手渡した。立派な欅造りの仏壇は、この家の主役のような存在感を放っていた。


掃除を終えると、祖母は精霊棚の準備を始めた。窓際に簡素な棚を設け、白い紙を敷き、位牌を並べる。そして、キュウリとナスに割り箸を刺した「精霊馬」を作った。


「キュウリは早く来てほしいから馬、ナスはゆっくり帰ってほしいから牛なんだよ」と祖母は教えてくれた。


夕食後、祖父が縁側で煙草を吸いながら、ぽつりと言った。


「今年は気をつけなさい。お盆が満月と重なる年は、迷い霊が多いと言われている」


「迷い霊?」


「ああ。帰る場所を失った霊さ。東日本大震災から12年、あの時に亡くなった方々の中には、まだ成仏できない魂もあるんだろう」


祖父の言葉に、なんとなく背筋が寒くなった。


翌日、14日の朝。目が覚めると、家の中が慌ただしかった。今日は先祖の霊を迎える「迎え盆」の日だ。


「大輔、迎え火の準備を手伝ってくれないか」と祖父に言われ、庭に出た。


竹を組んで作った簡素な門の前に、ドクダミの葉を敷き、その上に藁を置く。夕方、これに火を灯して先祖の霊を迎えるのだという。


その日の夕方、集落のあちこちから煙が立ち上るのが見えた。祖父が迎え火に火をつけると、白い煙がまっすぐに空へと伸びていった。


「良い煙だ。きっと先祖も無事に帰ってこられるだろう」


祖父の横顔が、夕日に照らされて赤く染まっていた。


夜になり、仏壇に供えた線香の香りが家中に広がった。就寝前、窓の外を見ると、満月が異様に大きく明るく輝いていた。


「大輔、寝る前に精霊棚の水を替えておいてくれるかい」


祖母に言われ、小さな湯飲みに入った水を新しいものに替えた。ふと見ると、キュウリの馬が少し位置を変えていたような気がした。気のせいだろうか。


その夜、不思議な夢を見た。誰かが家の周りをぐるぐると回っている。窓から覗くと、白い着物を着た人影が何人も、家の周りを歩いていた。彼らは家に入りたそうに見えたが、どこか迷っているようだった。


ハッと目が覚めると、部屋の中は月明かりで青白く照らされていた。時計を見ると、午前2時15分。喉が渇いたので水を飲もうと階段を降りると、一階から何かを引きずるような音が聞こえた。


「祖父さん?祖母さん?」


返事はない。恐る恐る居間に向かうと、そこで信じられない光景を目にした。


仏壇の前に、見知らぬ老婆が座っていたのだ。背中を向けていたので顔は見えなかったが、白髪の老婆は何かをぶつぶつと呟いていた。


恐怖で声も出ない。動けない。その時、老婆がゆっくりと振り返った。顔はなかった。ただ、黒い穴だけがぽっかりと開いていた。


「わ、私の家は…どこ…」


か細い声が聞こえた。老婆は立ち上がり、私の方へよろよろと歩いてきた。


「家が…見つからない…教えて…」


パニックになった私は、階段を駆け上がり、自分の部屋に逃げ込んだ。ドアを閉め、布団に潜り込み、震えながら朝を待った。


朝になり、恐る恐る階下に降りると、祖母が普通に朝食の準備をしていた。昨夜のことを話すべきか迷ったが、祖母の穏やかな様子を見て、夢だったのかもしれないと思い直した。


「大輔、お墓参りに行くよ。支度しなさい」


祖父の声で我に返った。この村では、お盆の間に家族揃って墓参りをする習慣があるという。


墓地は村はずれの小高い丘の上にあった。石段を上りながら、昨夜のことを祖父に話してみた。


「祖父さん、昨夜、変な夢を見たんだ。家に知らない老婆が来て…」


祖父は立ち止まり、真剣な表情で私を見た。


「顔のない老婆だったか?」


驚いて頷くと、祖父は深いため息をついた。


「やはり来たか…あれは三年前に亡くなった村山さんだ。津波で家を流され、身元が分からないまま、ここに埋葬された方だよ」


震えが止まらなかった。夢ではなかったのだ。


「大輔、怖がることはない。村山さんは悪い人ではなかった。ただ、自分の家に帰りたいだけなんだ」


墓参りを終え、家に戻る途中、祖父は村の古老・田中さんの家に寄ることにした。


「田中さんは昔から霊感が強くて、村の霊的なことを見てくれる人なんだ」


小さな家の縁側には、80代と思われる白髪の老人が座っていた。事情を話すと、田中さんは静かに頷いた。


「今年は満月と重なる特別なお盆だ。迷い霊が多い。特に東日本大震災の犠牲者は、自分がどこで亡くなったのか分からず、家族の元にも帰れない魂もいるんだよ」


田中さんは箪笥から古い本を取り出した。


「これは村の古い記録だ。明治時代の津波の後も、同じようなことがあった。その時は、こうして対処したと書いてある」


そして、田中さんは私たちに特別なお札と、塩、そして小さな人形を渡してくれた。


「今夜、この人形に村山さんの名前を書いて、迎え火を焚いた場所に置きなさい。そして、この呪文を唱えるんだ」


家に戻ると、祖母に事情を話した。祖母も昨夜、何か気配を感じていたという。


「私も夜中に足音を聞いたの。でも、お盆だから、先祖が帰ってきたのだと思って…」


夕方になり、祖父と私は田中さんの指示通りに準備をした。人形に「村山サト」と名前を書き、迎え火を焚いた場所に立てた。そして、田中さんから教わった古い言葉を唱えた。


「迷える魂よ、安らかに帰れ。光の道を見つけよ…」


その夜、再び私は不思議な夢を見た。白い着物を着た老婆が、今度は家の外に立っていた。彼女の顔には穏やかな表情があり、手を振っているように見えた。そして、彼女の背後には明るい光の道が伸びていた。


目が覚めると、部屋は静かだった。窓の外を見ると、満月がやわらかな光を放っていた。


翌朝、祖父が驚いた顔で言った。


「大輔、見てごらん。これは…」


迎え火の場所に置いた人形の周りに、小さな足跡がついていた。人形は倒れておらず、むしろ誰かが丁寧に直したかのように見えた。


「村山さん、帰れたんだな…」祖父は静かに呟いた。


16日、送り盆の日。私たちは送り火を焚き、先祖の霊を見送った。祖父によれば、村山さんの霊も、きっと本来の場所に帰ることができただろうという。


東京に戻る前日、田中さんが家を訪ねてきた。


「大輔君、君には霊感があるようだね。村山さんが君に姿を見せたのは、君に何かを伝えたかったからかもしれない」


不思議に思って尋ねると、田中さんは続けた。


「実は村山さんには、行方不明になった孫がいるんだ。震災の時、別々になってしまって…もしかしたら、その子を探してほしかったのかもしれないね」


その言葉が心に引っかかり、東京に戻った後、私は震災の記録を調べ始めた。そして驚くべきことに、村山サトさんの孫とされる少年が、東京の施設で記憶を失ったまま暮らしていることを知ったのだ。


次の年のお盆、私はその少年の情報を持って、再び秋田の村を訪れた。田中さんと祖父の協力で、少年と村山家の親戚を繋げることができた。DNA検査の結果、彼は確かに村山さんの孫だった。


その年のお盆の夜、私は再び白い着物の老婆の夢を見た。今度は彼女の顔ははっきりと見え、穏やかな笑顔を浮かべていた。彼女の隣には若い男性の姿があり、二人は手を繋いで光の中へと歩いていった。


---


東日本大震災後、東北地方の多くの集落では、行方不明になった家族を探す霊や、自分の家に帰れない霊の目撃談が多数報告されている。特に満月と重なるお盆の時期には、通常よりも多くの心霊現象が目撃されるという。


秋田県の一部の山村では、迷い霊を本来の場所に帰すための特別な儀式が今も行われている。人形に名前を書いて供養する方法は、古くから伝わる民間信仰の一つだ。


2013年、宮城県の沿岸部に住む女性が、亡くなった母親の夢を何度も見た後、避難所で記憶を失っていた弟を発見したという実話も残されている。彼女は「母の霊が導いてくれた」と語っている。


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