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怖い話  作者: 健二
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水神の嘆き


夏休み初日、私は父の実家がある九州の小さな農村、水神町へと向かっていた。東京の喧騒から離れ、緑豊かな山々に囲まれた静かな町での夏は、いつも心が洗われる思いだった。しかし、今年の夏は違っていた。


バスを降りると、いつもなら出迎えてくれるはずの祖父の姿はなく、代わりに母方の叔父が立っていた。


「勇太、久しぶり。大きくなったな」


「叔父さん、どうして?祖父は?」


叔父の表情が曇った。「おじいちゃんは…先月、亡くなった」


突然の知らせに言葉を失った。父は仕事で海外赴任中で連絡が取りづらく、母も看病のため一足先に来ていたはずだった。


「どうして誰も教えてくれなかったの?」


「母さんが心配するなって…お前の受験勉強の邪魔になるからな」


祖父の家に着くと、古い木造家屋からは線香の香りが漂っていた。母は私を見ると泣きながら抱きしめた。


「ごめんね、勇太。おじいちゃん、最期まで勇太のこと心配してたのよ」


その夜、近所の人々が弔問に訪れる中、一人の老婆が私を見つめていた。


「あんた、茂の孫かい?」


「はい」


「気をつけなさいよ。水神様の怒りを買ったんだから」


母がすぐに割って入った。「秋野さん、そんな昔の話を…」


老婆は怪訝な顔をして去っていったが、その言葉は私の心に引っかかった。


翌朝、祖父の仏壇に手を合わせた後、私は母に昨夜の老婆の言葉について尋ねた。


「水神様の怒りって何?」


母は少し黙った後、「気にしないで」と言ったきり、話を変えた。好奇心が抑えられなかった私は、母の目を盗んで村の古文書を保管している郷土資料館へと向かった。


資料館の古い書棚を探っていると、「水神町・信仰記録」と書かれた埃まみれの古い本を見つけた。


それによると、この村は昔、「水神の池」と呼ばれる湧水池を中心に栄えた農村だった。その池には水神が宿り、村人たちは毎年夏に「水神祭」を行い、豊作と安全を祈願していた。しかし、約70年前、ある事件をきっかけに祭りは途絶えたという。


「何か探してるのかい?」


振り返ると、80代ほどの老人が立っていた。自己紹介すると、彼は目を細めた。


「茂の孫か。そりゃあ、聞かせねばならんことがあるな」


老人・勝田さんは私を館の奥へ案内した。


「お前の祖父さんが亡くなったのは偶然じゃない。水神様の祟りじゃよ」


「祟り?」


「70年前、この村は大干ばつに見舞われた。作物は枯れ、人々は飢えた。村長だった茂の父親、つまりお前のひいじいさんは、水神様に願掛けをした。『水を与えてくれたら、最も大切なものを捧げる』と」


老人は深いため息をついた。


「すると不思議なことに雨が降り、村は救われた。しかし、ひいじいさんは約束を破った。捧げるべき『最も大切なもの』とは、本来なら長男である茂のことだったが、彼はそれを拒んだ。代わりに池のほとりにある神木を切り倒し、神社を建て直した」


「それで祟りが?」


「ああ。その後、村では不可解な事故や病気が相次いだ。特に茂の家系に災いが集中した。茂の両親は謎の熱病で亡くなり、茂自身も東京へ逃げるように出て行った。だが、60歳で戻ってきた時には、もう祟りを受け入れていたんだろう」


私は言葉を失った。祖父が若い頃に村を出た理由や、なぜ晩年になって戻ってきたのか、少し理解できた気がした。


「でも、祖父は何も悪くないじゃないですか」


「そうさな。だが水神様は許してはおらん。水神祭を復活させ、正しい形で謝罪しない限り、祟りは続くという」


宿に戻った私は、母に詰め寄った。


「水神様の祟りって本当なの?」


母の顔が青ざめた。「誰から聞いたの?」


全てを話すと、母は長い沈黙の後、重い口調で語り始めた。


「確かに、うちの家系には不幸が多かった。おじいちゃんの兄弟も若くして亡くなったし、私の姉も…」母は涙を拭った。「でも、迷信を信じちゃだめよ」


その夜、激しい雷雨に見舞われた村。私は不思議な夢を見た。祖父が池のほとりに立ち、何かに謝罪しているようだった。目が覚めると、窓の外から青白い光が見えた。


好奇心に駆られ、雨の中を水神の池へと向かった。池に着くと、水面が不気味に光り、中から何かが聞こえる気がした。


「来たね、茂の血を引く者よ」


声は水の中から響いてきた。水面に映ったのは、若い女性の姿。長い黒髪が水面に広がり、悲しげな目で私を見つめていた。


「あなたが水神様?」


「かつてはそう呼ばれていた。私は約束を守った。だが、人々は私を裏切った」


「ひいじいさんが約束を破ったことを、許してください」


水面の女性は首を横に振った。


「約束は約束。最も大切なものを捧げるまで、祟りは続く」


「でも、もう誰も残っていません!」


女性は悲しげに微笑んだ。「いいえ、あなたがいる」


恐怖で体が震えた。しかし、その時、背後から声がした。


「やめなさい!彼はまだ子供です!」


振り返ると、母が立っていた。彼女は池に向かって叫んだ。


「私が代わりに行きます。私は茂の娘。その血を引く者として、償いをさせてください」


「お母さん、やめて!」


しかし母は私を押しのけ、池に足を踏み入れた。水面は波立ち、母の体が徐々に沈んでいく。


「お母さん!」


必死に母の手を掴んだが、見えない力が彼女を引っ張っていた。その時、雷が落ち、眩い光が池を照らした。


気がつくと、私は池のほとりで倒れていた。母の姿はなく、池の水面は静かだった。


「お母さん!」叫びながら池に飛び込もうとした時、再び背後から声がした。


「勇太!」


振り返ると、そこには母が立っていた。彼女は濡れてはいるものの、無事だった。


「どうして…?」


「わからないわ。池に入った瞬間、祖父が現れて…」母は混乱した様子で言葉を詰まらせた。


翌朝、村人たちが集まって来た。昨夜の雷雨で水神の池に落雷があり、池のほとりの古い切り株から、新しい芽が出ていることが発見されたのだ。


「神木が蘇った…」村の長老たちは驚きの声を上げた。


その後、村では70年ぶりに水神祭が復活した。祭りの最中、私は池のほとりで一人の若い女性を見かけた。彼女は穏やかな笑顔で私を見つめると、小さく頷いて消えていった。


母の話によれば、祖父は亡くなる直前、「自分が水神様の代わりになる」と言っていたという。彼は最期に、家族の身代わりとなることで、70年の祟りを終わらせたのかもしれない。


あれから三年、水神町は豊かな実りに恵まれ続けている。新しく芽吹いた神木は立派に育ち、水神の池の水は以前より清らかに澄んでいる。


私は毎年夏になると、この村を訪れ、池のほとりで祖父と水神様に手を合わせる。時折、池の水面に映る自分の横に、祖父の姿が見えることがある。


―――


この話のモチーフとなった「水神信仰」は、日本各地に実在する。特に農村地域では、水の恵みに感謝し、水の神を祀る風習が古くから続いている。


2009年、九州南部のある農村で、60年以上途絶えていた水神祭が突如復活した例がある。地元の古老によれば、祭りが途絶えた後、村では不作や水害が相次いだという。祭りを復活させた翌年から、村の稲作は豊作が続き、不可解な事故も減少したと報告されている。


また、2018年には、長野県の山間部で「水神の祟り」と噂された一連の事故が起きた。ダム建設のために切り倒された神木があった場所で、工事関係者が次々と体調を崩すという怪現象が報告された。工事は一時中断され、地元の神主による特別な祈祷が行われた後に再開されたという。


水の恵みと脅威を知る日本人の心には、今もなお水神への畏怖と敬意が息づいているのかもしれない。

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