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怖い話  作者: 健二
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八月の禁足地


空は夕闇に染まり始め、蝉の声が次第に弱まっていた。私が神社の境内に足を踏み入れたのは、その日の午後七時頃だった。


「遅くなってごめん、水野」


石段の上で待っていた親友が振り返る。水野圭太は、地元では「神主の息子」として知られる高校三年生だ。私たち二人は幼い頃から親しく、この夏休みが終われば最後の高校生活が始まる。


「気にすんな、伊藤。どうせ俺も暇だし」


彼は肩をすくめると、神社の奥へと私を誘った。この神社は町外れの小高い丘の上にあり、水野の家系が十代以上にわたって守ってきた古社だ。普段なら地元の人々で賑わう境内も、この時間になると人気はなく、ただ風鈴の音だけが涼やかに響いていた。


「それで、何の用事だったんだ?」


私が尋ねると、水野は少し言いづらそうに口を開いた。


「実は…夏越祭の準備をしてるんだけど、ちょっと手伝ってほしいことがあって」


「ああ、来週だっけ?」


「そう。今年は三十年に一度の大祭なんだ」


彼は神社の裏手にある小さな蔵へと私を案内した。錆びた鍵を開け、埃まみれの扉を押し開く。中は想像以上に広く、様々な祭具や古い巻物が整然と並べられていた。


「すごいな、こんな場所があったんだ」


「普段は立ち入り禁止なんだ。でも今回の祭りでは特別な神具を使うから、父さんに頼まれて探してるんだ」


水野は奥の棚から古びた木箱を取り出した。


「これを社殿の裏にある禁足地まで運ぶのを手伝ってくれないか」


「禁足地?」


「ああ、普段は立ち入り禁止の聖域だよ。でも今回は特別なんだ」


私は頷いて木箱の一方を持ち、水野の後に続いた。社殿の裏には、赤い注連縄で囲まれた一角があり、「禁足地・立入厳禁」という古びた木札が掛けられていた。


「ここか…」


「そう。この中に古い石祠があるんだ」


水野は注連縄をくぐり、私も続いた。森の中に分け入ると、苔むした石段が現れ、その先には確かに小さな石祠が見えた。周囲の木々は異様に生い茂り、日中だというのに薄暗い。


「ここに何が祀られているんだ?」


水野は箱を下ろしながら答えた。


「厄神様だよ。災いや厄を引き受けてくれる神様でもあり、怒りを買うと祟る恐ろしい神様でもある」


「へえ…」


私が感心していると、水野は突然真剣な顔になった。


「伊藤、実は今日呼んだのはそれだけじゃないんだ。お前に話しておきたいことがある」


彼の表情に緊張が走る。


「この禁足地には、昔から言い伝えがあるんだ。八月の満月の夜、ここに入った者は神隠しに遭うって」


「神隠し?まさか本気にしてないだろ?」


「俺も半信半疑だった。でも…」


水野は神社の過去の記録を調べていたところ、三十年前の夏、同じく大祭の前日に、禁足地に入った若者二人が行方不明になったという記録を見つけたと言う。彼らは神社のある丘に登るのを最後に目撃され、それ以来誰も姿を見ていない。


「さらに六十年前、九十年前も同じことが起きていたんだ。三十年周期で…」


「それって、今年も…」


水野は重々しく頷いた。


「来週の満月の夜が、ちょうど夏越祭の日なんだ」


突然、背後で枝が折れる音がした。振り返ると、小柄な老人が立っていた。水野の祖父だ。


「おじいちゃん!」


「圭太、部外者をこんな場所に連れてくるんじゃない」


老人の声は低く、厳しかった。


「すみません、僕が…」


「構わない」老人は私の言葉を遮った。「だが、忠告しておく。来週の満月の夜、決してこの神社に近づくな」


そう言い残し、老人は去っていった。


水野は困ったように頭を掻いた。


「悪い、おじいちゃんは最近、このことにすごく神経質になってて…」


その日、私たちは木箱を石祠の前に置き、帰路についた。帰り際、水野は再び私に警告した。


「冗談抜きで、来週の満月の夜は来ないでくれ」


「分かってるよ」


私はそう答えたが、心の中では半信半疑だった。神隠しなど、現代に存在するはずがない。


---


それから一週間が過ぎ、夏越祭の日がやってきた。日中は多くの参拝客で賑わっていたが、夕方になると急に天候が悪化し、祭りは早々に切り上げられることになった。


私は家でテレビを見ていたが、水野の話が気になって仕方がなかった。窓の外を見ると、雲間から満月が顔を覗かせている。


「一応、確かめに行くか…」


私は傘を持って家を出た。雨は小降りになっていたが、空気は重く湿っていた。神社に着くと、境内は既に無人で、提灯の明かりだけが風に揺れていた。


「水野?」


呼びかけても返事はない。社務所も暗く、人の気配はなかった。不安になりながらも、私は社殿の裏へと回り込んだ。


禁足地を示す注連縄が見える。近づくと、誰かが注連縄をくぐった形跡があった。足跡は水に濡れ、まだ新しい。


「まさか、水野…」


私は迷った。水野の警告を思い出す一方で、親友が中に入ったかもしれないという不安もあった。結局、私は注連縄をくぐることにした。


禁足地の中は昼間よりもさらに暗く、月明かりも木々に遮られてほとんど届かない。懐中電灯を持ってくればよかったと後悔しながら、私はスマートフォンのライトを頼りに進んだ。


「水野!いるのか?」


声は木々に吸い込まれるように消えていく。石段を上り、石祠に近づくと、一週間前に置いた木箱が開けられていた。中身は見当たらない。


「何かいるぞ…」


背後から低いつぶやきが聞こえた。振り返ると、水野が立っていた。顔は青白く、目は異様に見開かれている。


「水野!何してるんだよ、危ないって言ったじゃないか」


「来るべきじゃなかった…」彼の声は震えていた。「それなのに、俺は…」


「どういうことだ?」


水野は石祠を指差した。


「厄神様の封印を解いてしまったんだ…」


「何を言って…」


言葉が途切れたのは、石祠から異様な音が漏れ始めたからだ。低い唸りのような、風のうなりのような…


「伊藤、逃げろ!」


水野の叫びと同時に、石祠から黒い霧のようなものが噴き出した。それは人の形を取ったり、獣のようになったりしながら、私たちの周りを取り囲み始めた。


「これが…厄神様…?」


恐怖で足がすくみ、動けない。霧は次第に濃くなり、視界が狭まっていく。水野の姿も見えなくなった。


「水野!どこだ?」


返事はない。代わりに、耳元で囁くような声が聞こえた。


「三十年に一度の供物…」


私は必死に走り出した。方角も分からないまま、ただがむしゃらに。木の枝が頬を引っ掻き、足元の石に躓きながらも、ひたすら走った。


どれくらい走っただろうか。気がつくと、神社の境内に出ていた。振り返ると、禁足地は静まり返っている。黒い霧も、水野の姿も見えない。


「水野!」


叫びながら再び禁足地へ向かおうとした時、誰かが私の肩を掴んだ。水野の祖父だった。


「もう遅い」老人の声は悲しげだった。「彼は選ばれたのだ」


「何を言ってるんですか!水野を助けないと!」


「できないのだ」老人は厳しく言った。「三十年に一度、厄神様は供物を求める。今回は孫が自ら志願したのだ」


「そんな…」


「彼は知っていた。三十年前に消えた二人のうち、一人は私の息子、彼の父親だったことを」


衝撃で言葉を失った。水野の父親は海外で働いていると聞かされていたのに…


「なぜ…」


「厄神様の怒りを鎮めるためだ。供物がなければ、この町全体に災いが降りかかる。それが私たち神主の家系に課せられた宿命だ」


私はその場に崩れ落ちた。親友は自分の命と引き換えに、町を、そして私を守ったのだ。


---


翌朝、水野圭太の失踪が町中に知れ渡った。警察も捜索したが、彼の姿はどこにも見つからなかった。地元紙は「神社の禁足地で高校生が行方不明に」と報じたが、事件性はないとして捜査は数週間で打ち切られた。


あれから十年が経った。私は故郷を離れ、民俗学者として各地の言い伝えや祭事を研究している。そして今も、あの夜の真相を探し続けている。


驚くべきことに、全国各地で似たような言い伝えがあることが分かった。特定の周期で若者が姿を消す神社や祠が、日本各地に点在しているのだ。地元の人々はそれを「神隠し」と呼び、畏れ敬っている。


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