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怖い話  作者: 健二
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破れた結界


夏休みの初日、私は久しぶりに祖父母の住む田舎町へ帰省した。東京の大学に通う身として、地方の静けさは新鮮だった。


「優太、久しぶりだねぇ。すっかり大きくなって」と祖母が玄関で出迎えてくれた。


「おばあちゃん、元気だった?」


夕食を終え、祖父と縁側で涼んでいると、彼は不意に言った。


「優太、明日からの神社の夏祭りの手伝いをしてくれないか。氏子が減って、若い手が足りないんだ」


地元の氷川神社は小さいながらも歴史ある神社で、毎年夏になると祭礼が行われる。子供の頃は毎年楽しみにしていたが、高校生になってからは参加していなかった。


「もちろん、手伝うよ」


翌朝、私は神社へ向かった。朝露に濡れた参道を歩き、大きな鳥居が見えてきた。しかし、近づくにつれ、違和感を覚えた。


鳥居の一部が欠けていたのだ。


「これ、どうしたの?」境内で掃除をしていた宮司の中田さんに尋ねた。


「ああ、先月の雷で損傷してね。修理は来月になるそうだ」と中田さんは言葉を続けた。「でも、これから夏至だというのに、困ったことだよ」


「夏至が関係あるんですか?」


中田さんは口を閉ざし、「気にしないでくれ」と言って話題を変えた。


その日から祭りの準備を手伝う日々が始まった。しかし、神社にいると何か視線を感じることがあった。振り返っても誰もいない。ただ、壊れた鳥居の方から何かが見ているような感覚に襲われるのだ。


三日目の夕方、準備を終えて帰ろうとしたとき、境内の隅で老人が私を見つめているのに気づいた。


「若いの、あんた、最近ここによく来てるね」


近づいてみると、老人は佐藤さんという地元の古老だった。


「ええ、祭りの準備を手伝ってます」


「気をつけなさい」老人は突然真剣な表情になった。「鳥居が壊れたとき、結界も壊れるんだよ」


「結界?」


「神様の世界と人間の世界を分けるものさ。特に夏至の日は、結界が最も薄くなる。そこに傷があると…」


老人は言葉を切った。「昔、同じことがあってね。夏至の夜に鳥居が壊れたままだった。そしたら、村人が次々に病気になり、最後には…」


話の続きを聞きたかったが、中田さんが駆けつけてきた。


「佐藤さん、また変なことを言ってるんじゃないでしょうね」


佐藤さんは黙って立ち去った。中田さんは私に「古い迷信だから気にしないで」と言ったが、その表情は不安げだった。


その夜、私は佐藤さんの話が気になり、地元の歴史を調べてみた。古い記録によると、約八十年前、神社の鳥居が損傷した夏に村で疫病が流行し、多くの人が亡くなったという記述があった。


翌日、神社で佐藤さんを見つけ、話を続けてもらった。


「あの疫病は、神様の世界から漏れ出た穢れさ。神様じゃない、別のものがね」佐藤さんは声を潜めた。「夏至の日には、鳥居を修復するか、臨時の結界を張らなきゃならん」


「どうすればいいんですか?」


「しめ縄と御札だ。古い作法があるんだが、もう知ってる人間は私くらいしかいない」


翌日は夏至。佐藤さんと私は中田さんに相談したが、彼は迷信だと取り合わなかった。


「中田さん、もし本当だったら…」


「優太くん、君まで…」と言いかけた中田さんだったが、最終的には「夜になったら来てくれ」と渋々承諾した。


夕刻、私たちは神社に集まった。佐藤さんが用意した古いしめ縄と御札を持ち、壊れた鳥居に近づいた。


空気が変わった。


異様な静けさが辺りを包み、蝉の声も風の音も消えた。鳥居の損傷部分から黒い霧のようなものが漏れ出しているように見えた。


「急げ!」佐藤さんが叫んだ。


中田さんと私は佐藤さんの指示通り、しめ縄を鳥居に巻きつけ始めた。しかし、作業の途中、突然の冷気が私たちを包んだ。


「来てしまった…」佐藤さんの声が震えた。


黒い霧が人の形に凝縮し始めた。それは人の形をしていながら、目がなく、口だけが異様に大きかった。


「神域に入ったものを返せ」という声が頭の中に響いた。


「何を返せばいいんだ?」中田さんが震える声で尋ねた。


「先月、工事の者が出土した小さな石像だ」佐藤さんが答えた。「あれは神様のものだ」


中田さんは社務所へ走り、小箱を持って戻ってきた。中には手のひらサイズの古い石像が入っていた。


「これを鳥居の前に置きなさい」佐藤さんが指示した。


中田さんがそうすると、黒い霧は石像を包み込み、徐々に鳥居の損傷部分へと吸い込まれていった。最後の一筋が消えると同時に、突然の雷鳴が響き、大粒の雨が降り始めた。


「結界が修復された」佐藤さんはほっとした表情で言った。


翌朝、驚くべきことに鳥居の損傷部分が元通りになっていた。中田さんは「夜の雨で見間違えたのだろう」と言い張ったが、私たちは真実を知っていた。


祭りは無事に終わり、私は東京へ戻った。しかし、あの夜の出来事は鮮明に記憶に残っている。神社に行くたび、鳥居をくぐる際には必ず一礼するようになった。結界の向こう側にいる何かに対する、小さな敬意の表れとして。


---


実は、日本各地の神社では鳥居の損傷に関わる不可解な現象が報告されている。2018年、富山県の古い神社で鳥居が損傷した後、付近の住民が原因不明の体調不良を訴えるケースが相次いだ。地元の古老が伝統的な方法で臨時のしめ縄を張った後、症状は不思議と治まったという。


また、2010年には宮崎県の山間部の神社で、夏至の日に鳥居が倒壊。その夜、複数の住民が同じ夢を見たと報告した。夢の中では、黒い人影が「返せ」と言い続けていたという。後日、神社の改修工事中に発見された古い祭具を元の場所に戻すと、不思議な現象は止んだ。


民俗学者の間では、鳥居が神域と人間界を分ける「結界」としての役割を持つという信仰は、単なる迷信ではなく、古来からの自然との共生の知恵が形を変えて伝わったものではないかと考えられている。特に夏至や冬至などの節目の日には、その境界が薄くなるという言い伝えが各地に残っている。


日本の神社を訪れる際には、鳥居をくぐる前に一礼する。これは単なる習慣ではなく、別の世界に入る際の古来からの作法なのかもしれない。

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