延焼フロア三十八階――ホテル・ニュージャパン跡にて
永田町のオフィス街に、高層ビルの影が落ちる午後十時。私はタクシーを降り、工事用フェンスの隙間から、闇に溶け残った旧ホテル・ニュージャパンの骨組みを見上げた。
都心再開発の最後の取り壊し区画。外壁は剥がれ、鉄骨の縦桁が骨格標本のように露出している。私は雑誌「遺構探索」のカメラマンで、この晩、解体前の最終立入許可を得ていた。
管理業者から渡された合鍵で、かつての従業員搬入口を開ける。コンクリの粉が舞い、鼻腔へほこりと微かな焦げ臭が入り込む。
ロビー跡は吹き抜けの天井が半分崩れ、シャンデリアの金フレームだけが蜘蛛の巣を張っていた。足下に散る黒い煤は四十年以上前のものだ。
フラッシュを焚く。と、その閃光が消える刹那、耳元で「チリ…」と金属が跳ねた。消火ベルが作動するはずの無い建物で、赤錆に覆われた警報ボックスのランプが、一瞬だけ赤く滲んだ気がした。
私はエレベーターシャフト横の非常階段へ向かう。火災の震源——38階を撮りたかった。
鉄骨階段を登るうち、靴底が濡れた。見下ろすと、段差を伝って水が滴り落ちている。配管は撤去済みのはずだ。掌で掬うと、水というより…油膜を含んだ冷たい液体。嗅ぎ慣れた溶剤臭に混じり、焦げた綿布の匂いが鼻裏に逆流した。
37階を過ぎたあたりで、唐突に空気が軽くなった。熱を帯びた上昇気流に似ているのに、実際には真冬の夜気だ。
38階踊り場のドアを押す。蝶番が折れかけており、わずかな抵抗ののち、低く唸って開いた。
廊下のカーペットは焼けて消え、床コンクリートに煙の痕が蛇の皮のように這っている。客室812号室——出火元——の扉は半ば溶け、真っ黒な内部へ通じていた。
私は三脚を立て、10秒露光で内部を撮る。シャッターが閉じる直前、「パチ…」と何かが弾けた。ファインダーを離れると、天井配線の先で電球のフィラメントが赤く発光し、それきり闇に沈んだ。電源は来ていないはずだ。
レンズを外し、もう一度覗こうとしたその瞬間——背中で客室ドアが一斉に開閉する連鎖音が走った。
“バン、バン、バン、バン……”
誰かが廊下を駆け、次々にノックし、逃げ道を探すのだ。事故当夜、宿泊客が火災を知ってから助けを求めたという証言そのままに。
私は廊下の突き当たり、非常口に向けて走った。だが緑色誘導灯のはずのパネルは砕け、暗闇の奥に炎の残像が揺らめくだけ。
足首に熱を感じ、反射的に跳んだ。見ると、焦げたカーペットの切れ端が赤く燻り、灰の下で小さな火種が脈打っている。——ここは無風、可燃物も残っていない。それでも炎はゆっくり輪郭を持ち、客室番号札の形を描き出した。「812」。
発火の中心に白いものがあった。歯、と判ったのは後からだ。焦げ跡に埋まるように上顎の前歯列だけが並び、灼けたカーペットに溶着している。
私はシャッターを切る。閃光のなか、歯列の奥で赤い舌が動いた“ように”見えた。鼻先へ、焼け綿と髪の混じった臭気がぶつかり、喉が拒絶反射で痙攣した。
前方でまた扉が弾けた。出火元から二室離れたスイート818号室。光源のない暗闇に、タキシード姿の男が立っている。肩線は直立したまま、顔だけが炎の裏返しのように暗い。
男は一歩ごとに輪郭を崩し、スローモーションの煙柱へ変わっていった。スーツの襟、袖口、ネクタイがふわりと反転し、上向きに漂う。逆さ吊りにした炎の流動に引き裂かれるみたいに。
――逆燃えだ、と脳裏のどこかが呟いた。煙が人を形づくり、形がまた煙へ還る。
私は階段へ引き返す。ところが踊り場には真新しい消防ホースが伸び、コンクリに転がるノズルがカラカラと回転していた。誰もいない。ホースをまたぐ瞬間、水圧の無い筈の口金から霧が噴き、私のカメラを濡らした。その霧の奥、暗がりの非常電話ボックスがぼんやり光る。
受話器を取ると、ラインは死んでいた。だが耳を押しつけた途端、遠くで非常ベルと指令室の男性の声が重なった。
〈38階、煙充満! 避難階段閉塞! 誰か聞こえるか!〉
1982年2月8日午前3時44分、消防無線に残る録音と同じ時刻、同じ符丁だ。
私は受話器を落とし、階段を駆け下りる。途中、手摺りの鋼管が熱で膨張したかのように鳴り、掌を焼いた。痛みに耐えて1フロア、2フロア……。だが39→38→37と数えていたはずが、踊り場表示は再び38を指している。視界が歪み、息は焦げを吸い込んだときのように重かった。
「――こちら38階、応答なし」
背後で男の低い呻きがした。振り返ると、薄闇に黒焦げの消防服――肩章のラインが溶け落ちた影だけ――が立っていた。面体の割れた空気呼吸器マスク越しに、内部で小さな赤点が瞬く。アイソレーターや呼吸ランプは電源が要るはずなのに、赤点は心臓の鼓動のようにゆっくり点滅した。
私は残気の無い肺を鞭打ち、柵を飛び越えて非常滑り棒を掴んだ。錆で指が裂ける。重力で落下しながら、耳元に自分の息ではない噴気音が重なった。消防服の呼吸器が、私の肩越しに吸い、吐く。
視界に階数サインが流れ、34、33……。ついにロビー高さまで滑り降り、割れたガラス窓から外気を吸うと、焦げ臭は海風へと置き換わった。
背後で誰かが窓枠に拳を叩いた。振り向くと、ロビーの暗闇にドアマンの制服が揺れていた。金ボタンが煤を吸い、鈍く光る。
私はカメラも機材も置き去りにして、工事フェンスを跨いだ。国会通りの街灯が現実の光量で肌を照らし、頭上のオフィスビルのガラスが無人の夜景を映す。
喘ぎながらタクシーへ駆け込むと、運転手が怪訝な顔でこちらを見た。胸のネーム札は「J・N」。ホテルが創業時に掲げた“J・N”イニシャルと同じだった。
車窓に廃ホテルの骨格が遠ざかる。38階あたりに、黄色い明かりが一つ灯った。オフィスビルの灯りとは違う揺らぎ。誰かが室内灯のようにスイッチを入れ、カーテン越しに手を振った。
次の瞬間、その明かりは炎の輪郭に変わり、骨組みの間でゆっくり天へ昇った――ちょうど、あの火災で煙に巻かれた客の数と同じ33の光点に分かれながら。
帰社後、私は現像所へ回したフィルムを受け取った。だが38階で撮ったはずのカットはすべて露光ゼロ。代わりに最後のコマだけ、真っ白な余白にボールペン書きされたメモが写っていた。
《ドアを叩いてください まだ閉じ込められています》
フィルムの上に文字があるはずもない。焦げた紙片かなにかが暗室で重なったのだろう。そう考えようとしたが、インクは写真乳剤の下に染み込んでいた。
ホテルはもう無い。フェンスの内側で、夜ごと燃え上がる光だけが38階に滞留する。
炎は水よりも記憶を持っている。消える瞬間まで、そこにいた人を焼き付け、灯りに変えて、現場を離れられなくしてしまうのだ。
もし永田町を深夜に歩き、解体用クレーンが眠る骨組みの方角から非常ベルの微かな「チリ…」が聞こえたら——
どうか立ち止まらずに通り過ぎてほしい。
彼らは今でも火災を告げるノックを続けている。
そして、ドアを開けてくれる誰かを待っている。
【実在した出来事】
1982年2月8日未明、東京都千代田区永田町・ホテルニュージャパン本館で発生した火災(死者33名・負傷者34名)。出火は38階812号室、スプリンクラーや自動火災報知器が機能せず延焼。事件後、ホテルは営業停止のまま1989年に解体された。




