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怖い話  作者: 健二
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人待ち祭りの夜


初めて村を訪れたのは、高校二年の夏休みだった。母方の祖父が亡くなり、山口県の山あいにある小さな集落で執り行われる葬儀に参列するためだ。東京で育った私にとって、この閉ざされた山村は異質な空間だった。


「輝、こっちだ」


叔父が私を呼ぶ。空港から二時間、山道を更に一時間。ようやく辿り着いた先祖の地は、わずか三十軒ほどの家が点在する小さな集落だった。


「明日が葬儀だが、明後日は大事な行事がある」叔母が小声で私に語りかけた。「この村では毎年8月16日に『人待ち祭り』を行うんだ」


人待ち祭り—その名前だけで何か不穏なものを感じた。


「ちょうどお盆の最終日ですね」


「そう、この村では特別なんだよ。都会のお盆とは違う」叔母は周囲を見回してから続けた。「詳しいことは明日教えるね。でも一つだけ約束して。祭りの間、絶対に村の外に出ないこと」


葬儀は厳かに執り行われた。祖父は村の古老で、多くの村人が参列した。その夜、親族だけの食事の席で叔母は人待ち祭りについて詳しく教えてくれた。


「この村には古い言い伝えがあるの。昔、大飢饉の年に村人全員が餓死しかけたとき、山の神様が現れて食べ物を与えてくれたんだって。その代わり、毎年一度、神様が人の姿で村を訪れるから、もてなすという約束をしたの」


「山の神様が…人の姿で?」


「そう。だから『人待ち』って言うの。神様がどんな姿で来るかは分からないから、村人は見知らぬ人に特別に親切にするの。でも…」叔母は言葉を濁した。


「でも?」


「本当は違う話もあるんだ」年配の叔父が割り込んできた。「山の神じゃなくて、『山の主』と呼ばれる存在との契約だって」


叔母が叔父をたしなめる。「そんな昔話を信じる必要はないわ」


しかし叔父は構わず続けた。「山の主というのは神様じゃない。山に住む何か別のものだ。その日に村の外に出た者は、山の主に連れ去られると言われている」


「もう十分よ!」叔母が強い口調で遮った。「輝くんを怖がらせないで」


その夜、宿泊先の古い民家で私は眠れなかった。窓の外からは風鈴の音と虫の声だけが聞こえてくる。しかし、深夜になると別の音が混じり始めた。カサカサと、誰かが歩く音。


翌朝、人待ち祭りの準備が始まった。各家庭では赤飯や特別な料理が作られ、家の前には提灯が灯される。私も手伝いながら、村人たちの様子を観察した。皆、どこか緊張している。


「神様がどうやって見分けるんですか?」と私は村の若者に尋ねた。


「見分けないよ」彼は答えた。「だから全ての訪問者をもてなすんだ。ただ…」


「ただ?」


「もし神様じゃない者が来たときは…」彼は言葉を濁した。「とにかく、今夜は家の中にいるべきだよ。特に、知らない人に声をかけられても、決してついていかないこと」


夕方、祭りが始まった。各家の玄関先には料理が供えられ、提灯の明かりだけが闇の中で揺らめいている。しかし村の広場や通りには誰もいない。皆、家の中で静かに待っているのだ。


「これから何が起きるんですか?」と叔母に尋ねると、彼女は「待つだけよ」と答えた。


夜が更けるにつれ、村全体が異様な静けさに包まれた。時計は午後11時を指している。突然、遠くから鈴の音が聞こえてきた。チリンチリンという、神社の祓いの鈴のような音だ。


「来たわ」叔母が小声で言った。


窓から外を覗くと、村の入口から一人の旅人のような姿が現れた。黒い着物を着た老人で、杖をついて歩いている。彼は各家の前で立ち止まり、供えられた料理に手を合わせている。


「あれが神様なの?」


「分からないわ」叔母は真剣な顔で言った。「でも、誰であれ、今夜は特別に敬うの」


老人は私たちの家の前でも立ち止まった。叔父が玄関を開け、深々と頭を下げた。老人は何も言わず、ただ会釈をして料理に手を合わせた。その顔は影になって見えなかった。


老人が去った後、叔父は玄関を閉め、安堵のため息をついた。「これで今年も無事に…」


しかし、その言葉は途中で途切れた。外から再び鈴の音が聞こえてきたのだ。


「もう一人?」私は驚いて窓から外を見た。


今度現れたのは若い女性だった。白い着物を着て、長い黒髪を垂らしている。彼女も同じように各家を訪れている。


「変だわ」叔母が不安そうに言った。「人待ち神は一人のはずよ」


女性が私たちの家の前に来たとき、叔父は玄関を開けず、窓から様子を見ていた。女性は立ち止まり、じっと家の方を見つめている。その視線が私に合った気がした。


「行かないで」叔母が私の腕を掴んだ。「絶対に外に出ないで」


女性は長い間立ち尽くした後、ゆっくりと次の家へ移動していった。


「今年は何かが違う」叔父は神妙な面持ちで言った。「こんなことは初めてだ」


その夜、さらに三人の訪問者が現れた。老婆、中年の男性、そして最後は私と同年代の少年。皆、同じように各家を訪れては去っていった。


深夜を過ぎ、村は再び静寂に包まれた。叔父たちは交代で見張りを続けていたが、私は疲れて二階の客間で眠りについた。


どれくらい眠っていただろうか。窓をコンコンと叩く音で目が覚めた。外はまだ暗い。時計を見ると午前3時を指していた。


再び窓をコンコンと叩く音。恐る恐る窓に近づくと、外に誰かが立っているのが見えた。先ほどの若い女性だ。彼女は私を見つめ、手招きをしている。


背筋が凍るような恐怖を感じたが、同時に不思議な魅力も感じた。女性の目は深く、何かを訴えているようだった。


「開けちゃダメだ」と自分に言い聞かせた。しかし女性は諦めず、さらに強く窓を叩き始めた。


「輝…」


かすかに名前を呼ぶ声が聞こえた。どうして私の名前を知っているのか。恐怖と好奇心が入り混じり、私は少しだけ窓を開けた。


「何…」


言葉が出る前に、女性は微笑んだ。「助けて」と彼女は囁いた。「森の中で迷子になったの」


理性では危険だと分かっていたが、体が勝手に動いた。窓を開け、外に出ようとした瞬間—


「輝!」


叔父の声だった。階段を駆け上がってくる足音がする。振り返ると同時に、女性は煙のように消えた。


「大丈夫か!」叔父が部屋に飛び込んできた。「何があった?」


「窓の外に…女の人が…」


叔父は顔色を変え、急いで窓を閉め、鍵をかけた。「もう少しで大変なことになるところだった」


その日の朝、村は重苦しい空気に包まれていた。人待ち祭りは終わったはずなのに、村人たちは不安そうな表情で集まっていた。


「昨晩、村の東の家で一人が行方不明になった」叔父が小声で教えてくれた。「中学生の男の子だ。窓から出ていったという」


村人たちは捜索隊を組織し、山へ入っていった。私も参加しようとしたが、叔父に止められた。


「山に入ってはいけない。特に今日は」


その日、私たちは家の中で過ごした。夕方になっても少年は見つからず、捜索は翌日に持ち越された。


夜、私は再び奇妙な夢を見た。森の中を歩いていると、先ほどの五人の訪問者が円を描いて立っていた。中心には何かが横たわっている。近づくと、それは少年の姿だった。彼の目は開いていたが、瞳孔が異常に広がっていて、まるで深い井戸のようだった。


「次はお前だ」


五人が同時に言った瞬間、目が覚めた。全身が冷や汗で濡れていた。


翌朝、衝撃的なニュースが村に広まった。少年が見つかったのだ。しかし、その状況は不可解だった。彼は村から10キロも離れた山中の洞窟で発見された。意識はあるが、言葉を話さず、虚ろな目をしていたという。


その日、私たちは村を離れることになった。叔父は「もう用事は済んだから」と言ったが、本当は早く私をこの村から連れ出したかったのだろう。


東京に戻ってから、私はインターネットでその村の歴史や伝説を調べた。人待ち祭りについての記述はほとんど見つからなかったが、ある古い民俗学の論文に興味深い記述があった。


「山口県○○村では、山の神を迎える『人待ち』と呼ばれる行事が行われている。しかし、この行事の起源には別の説もある。江戸時代の飢饉の際、村人たちは生き残るために『山の主』と呼ばれる存在と契約を交わし、毎年一人を生贄として差し出す代わりに、豊作を約束されたという。現在は象徴的な行事として継続されているが、実際に行方不明者が出たという記録も残っている」


それから一年後、叔母から電話があった。村で起きた不思議な出来事について教えてくれた。昨年行方不明になった少年は、しばらく言葉を話さなかったが、今年の夏になって突然、話し始めたという。しかし、彼が話すのは古い方言で、現代の言葉をほとんど理解できないという。さらに奇妙なことに、彼は時々、「五人の客人」について語るそうだ。彼らは実は一人の存在が五つの姿を取っているだけだと。


その話を聞いて、私は再び昨年の夢を思い出した。そして、あの夜、窓の外から私を呼んだ女性の顔が、実は少し自分に似ていたことに気づいた。


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