雨乞いの家
梅雨が明け、猛暑が続く7月下旬のことだった。高校二年の俺は、夏休みの課題研究で「日本の伝統的雨乞い儀式」について調べるため、祖父母が住む岐阜県の山間部を訪れていた。
「昔はよく雨乞いの儀式があったんだよ」と祖父は語った。「特に夏の干ばつが酷い年はね」
祖父の案内で、村の古文書が保管されている資料館を訪れた。そこで俺は、江戸時代後期に書かれた「雨請神事記録」という古い巻物に出会った。
「これは珍しい」と館長の老人が言った。「雨乞いの儀式は各地で行われていたが、この村のものは特殊でね。普通の雨乞いとは違ったんだよ」
巻物によれば、この村では通常の雨乞い儀式が失敗した後、最後の手段として「招雨の家」と呼ばれる特別な場所で秘儀を行っていたという。その家は村はずれの山の中にあり、今でも残っているらしい。
「行ってみたいんですが」と俺が言うと、館長は顔色を変えた。
「やめたほうがいい。あの家は不吉な場所だ。昔から『雨を呼ぶ代償に、命を捧げる』と言われている」
しかし研究熱心な俺は、翌日、村の古老から聞いた道順を頼りに山へと向かった。夏の日差しが強く、汗が滝のように流れる。
「もう少しで着くはずだが…」
地図と照らし合わせながら山道を進んでいると、突然、空が暗くなった。振り返ると、まるで俺を追いかけるように黒い雲が迫っていた。
「天気予報では晴れのはずなのに…」
考える間もなく、ポツリポツリと雨が落ち始め、あっという間に土砂降りになった。避難するために走り出したとき、木々の間に古びた家の屋根が見えた。
「あそこしかない!」
滝のような雨の中、俺はその家に駆け込んだ。玄関は開いており、中は薄暗かったが、雨宿りには十分だった。
「すみません、雨宿りさせてください」と声をかけたが、返事はない。
家の中を見回すと、これが間違いなく「招雨の家」だと気づいた。土間には巨大な石が祀られ、壁には雨乞いの札が貼られている。そして最も気になったのは、中央に置かれた大きな木製の人形だった。
人形は等身大で、顔の部分だけが異様に精巧に作られていた。しかし目の部分は空洞になっており、その空洞から黒い染みが流れ落ちていた。まるで涙のように。
「これが…雨乞いの人形か」
俺はスマホで写真を撮ろうとしたが、突然、電源が落ちた。バッテリーはまだ残っていたはずなのに。
不気味さを感じつつも、雨が止むのを待つことにした。しかし、時間が経っても雨は激しさを増すばかり。窓の外は川のように水が流れ、今では家から出ることもできない状況だった。
「おかしいな…」
時計を見ると、もう三時間も経っていた。スマホは使えず、家の中を探して何か手がかりを見つけようとした。
奥の部屋に入ると、そこには古い資料や道具が置かれていた。箪笥の引き出しを開けると、中から古ぼけた日記が出てきた。日付は明治時代のものだ。
「明治23年7月15日。三ヶ月の旱魃の後、ついに『招雨の儀』を行うことになった。村長の娘・お糸が神子として選ばれた」
次のページ。「明治23年7月20日。儀式の準備が整った。お糸は神子として、雨の神に捧げられる。彼女の魂が雨を呼ぶという」
そして最後のページ。「明治23年7月21日。儀式の夜、激しい雨が降り始めた。お糸の体からは魂が抜け、人形に宿ったという。村は救われたが、代償は大きかった」
背筋が凍るような恐怖を感じた。この家では人身御供の儀式が行われていたのか?そして、あの人形は…
振り返ると、あの木製の人形が部屋の入口に立っていた。さっきまで中央にあったはずなのに。
「な…何だ…」
人形の空洞だった目から、今度は赤黒い液体が流れ出していた。そして、聞こえるはずのない声が頭の中に響いた。
「雨…を…呼んだ…あなた…は…」
パニックになった俺は、人形を押しのけて玄関へと走った。外はまだ激しい雨が降り続いていたが、このまま家にいる方が危険だと感じた。
玄関を開けると、目の前には見たことのないような洪水が広がっていた。家は小高い場所にあったが、周囲の地面は全て水没していた。
「こんな…」
振り返ると、人形が再び近づいてきていた。その動きはぎこちないが確実に俺に向かってくる。
「雨…を…呼んだ…代償…を…」
恐怖で判断力を失いかけた時、ふと思い出した。古文書には「雨を止める方法」も記されていたはずだ。急いで奥の部屋に戻り、日記をめくると、最後のページの裏に小さな文字で何かが書かれていた。
「雨を止めるには、『我が命は我が物』と三度唱え、人形の顔を拭うべし」
人形が迫る中、俺は震える手で「我が命は我が物」と三度唱えた。そして勇気を振り絞り、シャツの袖で人形の顔から流れる赤黒い液体を拭った。
すると突然、家全体が軋むような音を立て、人形は動きを止めた。そして、外の雨の音も徐々に小さくなっていった。
しばらくして雨が完全に止み、空が晴れ始めた時、俺は急いでその家を後にした。
村に戻ると、祖父が心配そうに待っていた。
「どこに行っていた?突然の豪雨で心配したぞ」
「招雨の家に行ってきたんだ」と正直に答えると、祖父は顔色を変えた。
「あの家に?お前、無事だったのか?」
俺が体験したことを話すと、祖父は真剣な表情で言った。
「実はな、あの家には昔から言い伝えがある。訪れた者が雨を呼び、そして…命を奪われるというんだ。しかし、自分の命は自分のものだと宣言し、人形の『涙』を拭うことができれば助かると」
「それって…」
「お前は運が良かった。多くの人は恐怖に負けて、人形に触れることができないんだ」
その夜、祖父は昔の村の写真アルバムを見せてくれた。明治時代の村の写真の中に、若い女性の姿があった。
「これが…お糸だ」と祖父。
写真の女性は美しかったが、その目は異様に暗く写っていた。そして、その顔立ちは、あの人形にそっくりだった。
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この話を書いている今でも、あの日のことは鮮明に覚えている。地元の郷土史研究によれば、明治23年の夏、確かにこの地域では3ヶ月以上の旱魃の後、突然の豪雨があったという記録が残っている。また、村長の娘・糸という女性が若くして亡くなったという戸籍記録も確認された。
さらに不思議なことに、私がその家を訪れた日、周辺地域だけ局地的な豪雨があったことが気象庁のデータで確認されている。しかし、その雨は30分ほどで止み、他の地域では一滴も降らなかったという。
「招雨の家」は現在も存在するが、地元の人々は決して近づかない。特に夏の乾いた日には。
そして、私のスマホに残っていた一枚の写真。電源が落ちる直前に撮影されたその写真には、人形の顔がはっきりと写っていた。しかし、不思議なことに、私が見た時には空洞だったはずの目の部分に、今にも泣き出しそうな女性の目が写っていたのだ。