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怖い話  作者: 健二
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深き海の神隠し


真夏の太陽が照りつける海岸で、私は砂浜に腰を下ろし、波の音に耳を傾けていた。高校三年の夏休み、進路に悩む私は気分転換に、祖父の住む能登半島の小さな漁村を訪れていた。


「康介、そんなところで何してる?」祖父の声に振り返ると、杖をつきながらゆっくりと歩いてくる姿があった。


「別に…ただ海を眺めてただけ」


祖父は私の隣に腰を下ろし、沖を見つめた。


「明日から『夏越祭』だからな。観光客も増えるし、海も賑やかになる」


この村では毎年8月第一週に、海の神様に豊漁を祈願する祭りが行われる。私は子供の頃から毎年参加していたが、高校に入ってからは受験勉強を理由に、ここ二年ほど来ていなかった。


「ところで、祖父さん。浜辺の端にある岩場は立入禁止になったの?」私は遠くに見える黄色いテープに囲まれたエリアを指差した。


祖父の表情が一瞬こわばった。「ああ…先週、あそこで女子高生が行方不明になってな」


「行方不明?」


「ああ。波にさらわれたのか、それとも…」祖父は言葉を濁した。


「それとも?」


「…昔からこの辺りでは、夏になると海に人が消える話があってな。『深き海の神隠し』と呼ばれておる」


祖父の話によれば、この村では数年に一度、夏の満月の夜に若者が姿を消す事故が起きるという。村人たちは単なる水難事故として処理するが、古老たちの間では「海の神が花嫁を求めている」という言い伝えがあるらしい。


「海の神って…冗談でしょ?」


祖父は深刻な顔で首を振った。「昔、この村では海の神に生贄を捧げる習慣があったんだ。それが途絶えてから、こういう事故が起き始めた」


私は半信半疑だったが、その夜、村の古文書館で過去の記録を調べてみることにした。そこで見つけたのは、確かに数年おきに起きる若者の失踪事件の記録だった。そのほとんどが旧暦7月、現在の8月頃に集中している。


翌日、夏越祭が始まった。夕方になると、浜辺には屋台が並び、村人や観光客で賑わった。海には色とりどりの灯籠が浮かび、夜空には花火が打ち上がる。


私は祭りの準備を手伝った後、少し離れた砂浜を歩いていた。潮風が心地よく、月明かりが波に反射して幻想的な光景を作り出している。ふと、先日祖父が指差した立入禁止区域の先から、かすかな歌声が聞こえてきた。


好奇心に駆られ、私はテープを越えて岩場に向かった。月明かりが照らす岩の上に、一人の少女が座っていた。遠目には私と同じくらいの年齢に見える。白い浴衣を着た彼女は、海に向かって何か歌を歌っていた。


「危ないよ、ここは立入禁止だ」と声をかけると、少女はゆっくりと振り返った。


月光に照らされた彼女の顔は驚くほど美しかったが、どこか現実離れした雰囲気があった。そして何より異様だったのは、彼女の濡れた浴衣から絶えず水が滴り落ち続けていることだった。


「あなたも来てくれたの」彼女は微笑んだ。「私ね、ずっと一人ぼっちだったの」


「君は…ここの人?」


「うん、この海の人」


彼女の言葉に戸惑いながらも、私は彼女の隣に座った。彼女は村の歴史や海の神様について語り始めた。その話は不思議と祖父から聞いた話と重なる部分が多かった。


「実はね、明日、私は海の神様のところへ行くの」


「海の神様のところ?」


「うん、花嫁として」彼女はまるで当然のことのように言った。


その瞬間、月が雲に隠れ、辺りが一気に暗くなった。彼女の姿がぼんやりとしか見えなくなる。


「一緒に来ない?きっと素敵なところだよ」


彼女が差し出した手は冷たく、そして濡れていた。私は本能的な恐怖を感じ、一歩後ずさった。


「ごめん、僕は…」


その時、背後から懐中電灯の光が差し込んだ。


「康介!そこにいたのか!」祖父の声だった。


振り返ると、祖父と数人の村人が懐中電灯を持って近づいてきていた。再び少女の方を見ると…彼女の姿はなかった。


「あの少女は?」


祖父は厳しい顔で私を見た。「何を言っている。ここには誰もいないぞ」


村人たちも不思議そうな顔をしている。私は混乱した。確かに少女はここにいたはずだ。


祭りから数日後、私は村の古老から衝撃的な話を聞いた。五十年前、この村で「海の花嫁」として生贄に選ばれた少女が、儀式の前日に恋人と駆け落ちをしようとして、岩場から転落し溺死したという。彼女の名前は「美咲」。そして、彼女が身に着けていたのは白い浴衣だった。


さらに驚いたことに、先週行方不明になった女子高生の捜索が打ち切られた翌日、彼女の遺体が岩場付近で発見されたという。地元警察は事故死として処理したが、不可解なことに彼女の表情は穏やかで、顔には微笑みが浮かんでいたという。


その夏が終わる頃、私は祖父の家の物置で古いアルバムを見つけた。そこには若かりし頃の祖父と、白い浴衣を着た美しい少女の写真があった。写真の裏には「昭和38年夏 美咲と」と書かれていた。


私が恐る恐る祖父に尋ねると、祖父は長い沈黙の後、全てを語った。美咲は祖父の初恋の人だった。二人は駆け落ちをしようとしたが、岩場で村人に見つかり、混乱の中で美咲は海に落ちたのだという。祖父は彼女を救えなかった罪悪感から、毎年の夏越祭では彼女の魂を慰めるために海に祈りを捧げていた。


「あの日、お前が岩場にいたのを見たとき、五十年前の自分を見ているようだった」祖父は涙ぐんだ。


私は岩場で出会った少女の言葉を思い出した。「明日、私は海の神様のところへ行く」


それは、行方不明になった女子高生を連れて行くという意味だったのだろうか。そして、私にも手を差し伸べたあの瞬間…


今年の夏も終わりに近づき、私は都会の学校に戻る準備をしていた。最後に一人で浜辺を訪れると、沖から微かな歌声が聞こえるような気がした。


---


2008年8月、石川県の能登半島にある小さな漁村で起きた事件は、今も地元の人々の間で語り継がれています。夏祭りの夜、東京から訪れていた女子高生が海岸の岩場付近で姿を消し、三日後に遺体で発見されました。


警察の調査では「波にさらわれた事故」として処理されましたが、不可解な点がいくつかありました。まず、彼女の遺体には引き潮に流される形跡がなく、むしろ沖から打ち上げられたように砂浜に横たわっていたこと。次に、溺死体にもかかわらず、顔には穏やかな表情が浮かんでいたこと。そして最も奇妙だったのは、発見時、彼女の手には地元の伝統的な儀式で使われる「海の神の印」と呼ばれる貝殻が握られていたことでした。


この事件の一週間後、同じ海岸で撮影された観光客の写真に、白い着物を着た少女が波打ち際に立っている姿が写っていました。写真を撮影した家族は「撮影時、そこに人は誰もいなかった」と証言しています。


さらに、地元の古文書を調査した民俗学者によれば、この村では江戸時代まで「海神祭」と呼ばれる儀式が行われており、数年に一度、若い女性を「海の神の花嫁」として海に捧げる風習があったといいます。この風習は明治初期に禁止されましたが、それ以降も夏の満月の夜に若者が海で行方不明になる事故が周期的に起きているといいます。


現在、この海岸の岩場付近は立入禁止区域に指定されていますが、夏の満月の夜になると、沖から女性の歌声が聞こえるという目撃談が今も報告されています。

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