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怖い話  作者: 健二
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沖の藻屑


真夏の太陽が海面を白く照らす午後、私は友人たちと「姫島海水浴場」に来ていた。高校二年の夏休み、地元の海で遊ぶだけの平凡な一日のはずだった。


「琴音、早く来いよ!」


沖で手を振る友人たちに向かって、私は波打ち際から歩き出した。冷たい波が足首を撫で、少し深くなると膝まで水に浸かる。


この海水浴場は観光地としては目立たない場所だった。地元の人間でも、ここ数年は訪れる人が減っていた。「きれいな海なのに、なんでだろうね」と母は言っていたが、理由は簡単だった。五年前、この海で高校生が三人溺死する事故があったのだ。


「琴音、泳げるの?」友人の美月が笑いながら聞いてきた。


「ちょっとなら」


本当は泳ぐのが苦手だった。だから沖に行くのは少し怖かった。でも、新しく転校してきたばかりの私は、友人たちの輪に入りたかった。


「あそこまで行こうよ」と友人の一人が、沖の小さな岩礁を指さした。「島見岩」と呼ばれるその場所は、かつて漁師が海の神様を祀っていたという岩だった。


「あそこは…」地元出身の美月が少し表情を曇らせた。「あんまり近づかない方がいいって言われてるんだ」


「なんで?幽霊でも出るの?」別の友人が冗談めかして言った。


美月は少し考え込むように海を見つめ、「五年前の事故、あの子たちはみんなあの岩のあたりで溺れたの」と言った。


その話を聞いても、私たちは若さゆえの無謀さで、結局「島見岩」に向かって泳ぎ始めた。私は少し遅れがちになりながらも、なんとか友人たちについていった。


岩礁に近づくにつれ、海の色が変わっていくのがわかった。透明な水色から深い紺碧へ。水温も急に冷たくなった気がした。


「ねえ、あれ見て」美月が岩礁の上を指さした。


島見岩の上には小さな祠があり、朽ちかけた木の鳥居が立っていた。浸食された岩肌には、何かの模様が彫られているようにも見えた。


私たちが岩礁から数十メートルの場所まで来たとき、突然、潮の流れが変わった。足がすくわれるような感覚と共に、体が沖へ引っ張られる。


「流れが速い!」友人の一人が叫んだ。


私たちは必死で岸に向かって泳ごうとしたが、見えない力に引きずられるように沖へ流されていく。恐怖で息が詰まりそうになった。


そのとき、水中で何かが私の足に触れた。海藻かと思ったが、それは指のような感触だった。振り返ると、深い青の中に人影のようなものが見えた気がした。


「助けて!」


叫び声を上げた瞬間、水を飲んでしまった。咳き込みながら必死で浮かぼうとする。視界が歪み、友人たちの姿が遠ざかっていく。


もう駄目かと思った時、誰かが私の手を掴んだ。強い力で引っ張られ、気がつくと砂浜に横たわっていた。


「大丈夫か!」


見上げると、日に焼けた顔の男性が心配そうに覗き込んでいた。地元の漁師らしい。


「友達が…」私は咳き込みながら言った。


「みんな無事だ。心配するな」漁師は私を起こしながら言った。「でも、あの島見岩には近づくもんじゃない」


救急車が到着し、私たちは念のため病院に運ばれた。幸い全員無事だったが、医師から「奇跡的だ」と言われるほど危険な状況だったらしい。


病院のベッドで休んでいると、助けてくれた漁師が見舞いに来た。


「島見岩にはな、海神様が住んでるんだ」彼は静かな声で話し始めた。「昔から、時々人を海に引きずり込むって言われてる」


「なぜ…」


「供物だ」漁師は窓の外を見つめながら言った。「豊漁のための供物。この辺りは昔から海の幸に恵まれてきた。その代わりに、時々若い命を海に捧げてきたんだ」


その晩、病院の窓から見える海を眺めていると、沖の方から微かな光が見えた。島見岩の方角だった。


退院後、気になって地元の図書館で調べてみると、この地域には古くから伝わる海神信仰があり、かつては「海神婚」という儀式があったという。若い娘を海神の嫁として海に沈めるという恐ろしい風習だった。


「そんな風習、いつまであったの?」司書の老婦人に尋ねると、彼女は首を横に振った。


「表向きは明治初期に禁止されたけど…」彼女は周りを見回してから小声で続けた。「この辺りじゃ、密かに続いていたんじゃないかって言われてるの。五年前の事故も…」


言葉を濁す老婦人の表情に、私は背筋が凍る思いがした。


それから一週間後、私は再び姫島海水浴場を訪れていた。今度は一人で。助けてくれた漁師にお礼を言いたかったからだ。


地元の漁港で聞き込みをしたが、不思議なことに私が描写した漁師を知る人はいなかった。


「そんな若い漁師はここにはいないよ」と年配の漁師は首を傾げた。


最後に立ち寄った海の家で、店主の老人が私の話を聞き、古いアルバムを取り出した。


「もしかして、この人かい?」


そこには確かに私を助けてくれた男性の写真があった。だが日付を見ると、それは40年以上前の写真だった。


「この人は…」老人は重い口調で言った。「私の息子だ。だが30年前、島見岩の近くで海難事故で亡くなった」


帰り際、砂浜を歩いていると、波打ち際に何かが打ち上げられていた。近づいてみると、それは古びた木製の小さな人形だった。


人形を手に取ると、突然海が荒れ始めた。空には雲ひとつない晴天だというのに。


慌てて人形を元の場所に戻すと、不思議なことに海は静かに戻った。そのとき、沖から誰かが手を振っているように見えた。


助けてくれた漁師だろうか。いや、もっと細い腕、女性のような…


その夜、激しい雨が降り、姫島を襲った高波で島見岩の祠が流されたというニュースが流れた。


翌朝、雨は上がり、私はもう一度海岸へ行った。島見岩は波に洗われ、祠の痕跡もなくなっていた。


砂浜には地元の古老たちが集まり、何かの儀式をしていた。近づくと、一人の老人が私に向かって頭を下げた。


「あなたのおかげで、長い呪いから解放されたよ」


意味が分からず戸惑う私に、老人は説明してくれた。島見岩の祠には「人身御供の約束」が刻まれていたという。若い命を定期的に海に捧げることで、豊漁と安全を得るという忌まわしい契約だった。


「でも、どうして私が…」


「あなたは海に選ばれながらも、戻ってきた。そして亡者の手を借りて生還した」老人は静かに言った。「それは契約が解けた証なんだ」


その後、姫島海水浴場では不思議な現象が相次いだ。海底から古い人骨が発見され、それは江戸時代から昭和にかけての様々な時代のものだったという。専門家の調査によれば、それらはすべて若い女性のものだった。


その年の秋、私は再び海辺を訪れた。静かな波音だけが響く浜辺で、沖を見つめていると、一瞬、島見岩のあった場所に女性たちが立っているように見えた。手を振っているようにも見えた。


彼女たちは今、自由になったのだろうか。


---


2007年7月、鹿児島県の離島で起きた不可解な出来事は、今も地元の人々の間で語り継がれています。


沖合300メートルにある岩礁付近で高校生5人が遊泳中、突然の潮の変化で全員が沖に流されるという事故が発生しました。地元の漁師によって4人が救助されましたが、1人は行方不明となりました。


不思議なことに、3日後、行方不明だった女子高生が別の島の浜辺で無事発見されたのです。医師の診断によれば、彼女の体には3日間海中にいた形跡がなく、脱水症状もありませんでした。


彼女は「海の中で誰かに助けられた」と証言しましたが、詳細は覚えていないと言います。


この事故の後、地元の漁協は岩礁付近の海底調査を実施。その結果、江戸時代から続く「海神祭祀」の痕跡と共に、複数の人骨が発見されました。考古学者の分析によれば、これらの人骨は過去200年にわたる期間のもので、すべて10代から20代前半の若い女性のものだったといいます。


この島では現在も、毎年8月に「海神慰霊祭」が行われており、過去に海に捧げられた女性たちの冥福を祈っています。地元の古老は「もう誰も海には沈めない」と、厳かに誓いを新たにするそうです。

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