旧道の呼び声
真夏の午後3時、僕たち4人は山間の町にある自転車で到着していた。高校2年の夏休み。僕と親友の健太、それに中学からの友人である直樹と雄一は、自転車旅行の途中だった。
「ここで一休みしよう」健太が提案した。
道の駅でアイスを食べながら、次の目的地までのルートを検討していた時だった。
「おい、これ見てみろよ」直樹が地元の観光マップを指さした。
そこには「旧白石トンネル(通行禁止)」という文字と、赤い×印が付けられていた。
「このトンネル、なんか噂あるらしいぜ」直樹がスマホで検索しながら言った。「戦時中に掘られたけど、事故が多くて放棄されたんだって。で、最近はヤバい噂があるらしい」
「どんな噂?」雄一が興味を示した。
「夏の夕方、トンネルから誰かが呼ぶ声が聞こえるとか。応えると引きずり込まれるって」
僕は苦笑いした。「ただの都市伝説だろ」
「行ってみようぜ」健太が突然言い出した。「旧道ならサイクリングコースとして面白いかも。トンネルは通り抜けなくても、入口だけ見るだけでも」
その言葉に、なぜか全員が頷いていた。今思えば、あの瞬間から全てが狂い始めたのだ。
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地図を頼りに山道を登り、1時間ほど走ったところで旧道の入口を見つけた。道路は所々ひび割れ、雑草が生い茂っていた。それでも自転車なら何とか進めそうだった。
「ほら、あれがトンネルだ」雄一が指さした。
遠くに見えるトンネルの入口は、まるで巨大な生き物の口のように黒々と開いていた。周囲より気温が下がったような錯覚を覚えた。
「近づいてみようぜ」直樹が先頭を切って走り出した。
トンネルの前に立つと、そのスケールに圧倒された。高さは5メートルほどあり、内部は闇に包まれていた。入口には「立入禁止」の看板があったが、チェーンなどはなかった。
「中、見てみようか」健太が提案した。
「おい、マジかよ」僕は不安を覚えた。「もう4時半だぞ。帰りが遅くなる」
「大丈夫だって、ちょっとだけ。スマホのライトあるし」
結局、全員がトンネルの中に入ることになった。自転車は入口に置き、スマホのライトを頼りに歩き始めた。
トンネル内部は驚くほど冷たく、じめじめとしていた。壁には苔が生え、天井からは水滴が落ちてくる。足元には小さな水たまりがあちこちにあった。
「結構長いな」直樹が言った。「奥が見えない」
僕たちは50メートルほど進んだところで立ち止まった。ライトの光が届く範囲は限られていて、その先は漆黒の闇だった。
「もう戻ろうぜ」僕は提案した。なぜか背筋が寒くなっていた。
その時だった。
「…たすけて…」
かすかな声が聞こえた。
「誰か聞こえた?」雄一が震える声で言った。
全員が固まった。再び声が聞こえた。
「たすけて…こっち…」
女性の声だった。若い。そして弱々しい。
「誰かいるのか?」健太が前に進み出た。「大丈夫ですか?」
「おい、やめろって」僕は健太の腕を掴んだ。「変だよ、これ」
「でも、誰か困ってるかもしれないだろ」
健太は僕の手を振り払い、声のする方へ歩き出した。
「健太、戻れって!」
僕の叫びは虚しく響いた。健太の姿はすぐにライトの届かない闇に消えた。
「クソッ、どうすんだよ」直樹が焦った声を上げた。
「追いかけるしかない」雄一が言った。
僕たち3人は恐る恐る前に進んだ。ライトを振りながら健太の名前を呼び続けた。
「健太!どこだ?」
応答はない。トンネルはさらに奥へと続いていた。壁の状態は徐々に悪くなり、大きな亀裂や崩れた部分が見えるようになった。
「これ、マジでヤバくない?」直樹の声が震えていた。
その時、前方から物音がした。何かが地面を引きずる音。
「健太?」
ライトを向けると、そこには健太が立っていた。しかし、何かがおかしかった。彼は背中を僕たちに向け、壁に向かって立っていた。
「おい、何してんだよ」雄一が声をかけた。
健太はゆっくりと振り返った。その顔には表情がなかった。目は虚ろで、口元からは黒い液体のようなものが垂れていた。
「た、たすけて…」
健太の口から出た声は、さっき聞こえた女性の声とそっくりだった。
「うわあああ!」
直樹が悲鳴を上げた瞬間、トンネル全体が揺れ始めた。天井から大量の土砂が落ちてきた。
「逃げろ!」
僕は雄一と直樹の腕を掴み、来た道を引き返し始めた。振り返ると、健太はまだ同じ場所に立っていた。彼の周りには黒い霧のようなものが渦巻いていた。
「健太、早く!」
彼は動かなかった。代わりに、彼の口から再び声が漏れた。
「みんな…いっしょに…」
その瞬間、トンネルの奥から強烈な風が吹き付けてきた。その風に乗って、無数の囁き声が聞こえた。男性も女性も子供も、様々な声が混ざり合っていた。
「逃げるんだ!」
僕たち3人は必死に入口に向かって走った。背後では崩落音が激しさを増していた。ライトが点滅し始め、あたりは徐々に暗くなっていく。
ようやく入口の光が見えたとき、僕の足が何かに引っかかった。転びそうになりながらも、雄一に支えられて何とか走り続けた。
トンネルから飛び出した瞬間、大きな崩落音が響いた。振り返ると、トンネルの入口が土砂で半分ほど塞がれていた。
「健太は?」雄一が叫んだ。
「まだ中だ…」
僕たちは叫びながら助けを求めた。近くの家から出てきた地元の人が警察と消防に連絡してくれた。
救助隊が到着したのは30分後だった。彼らはトンネル内を捜索したが、健太の姿はなかった。土砂崩れは思ったほど大規模ではなく、トンネル奥まで捜索できたという。しかし、健太は文字通り消えていた。
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あれから3年が経った。健太の失踪事件は未解決のまま、捜査は事実上終了している。
僕たち3人は別々の大学に進学したが、あの日の出来事について誰とも話していない。誰も信じないだろうから。
ただ、時々夢に健太が出てくる。トンネルの中で、壁に向かって立っている姿だ。そして彼の口から漏れる言葉。
「もうすぐ…夏がくる…みんなに…会える…」
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この話は、10年前に北陸地方であった実際の事件を基にしています。高校生のグループが廃トンネルを探検中、一人が行方不明になりました。残された自転車と足跡から、彼がトンネルに入ったことは確かでしたが、トンネル内に彼の痕跡はなく、未だに発見されていません。地元では今でも夏になると、そのトンネルから若者の声が聞こえるという噂があります。不思議なことに、そのトンネルは翌年の台風で完全に崩落し、現在は立ち入ることすらできなくなっています。