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怖い話  作者: 健二
☆★
27/59

「レジ締め後のカウントダウン ――八王子スーパー事件跡にて」


 中央線の終電を降り、午前一時三十五分。八王子駅北口から旧甲州街道を十分ほど歩いたところで、取り壊し前のスーパーナンペイ旧館が闇の中に浮かび上がった。鉄骨むき出しの外壁に工事用ネットが垂れ、入口のシャッターには「安全第一」の白い貼り紙が風にめくれている。

 だが、シャッターの底が指一本ほど浮き上がり、そこから冷蔵庫めいた冷気が漏れていた。


 あの夜――一九九五年七月三十日、閉店後の事務所でアルバイト女子高生二人とパートの女性が射殺された。銃声を聞いた者はいない。犯人は天井裏から侵入したらしく、現場には.22口径用の薬莢とねじ切られた金庫ダイヤルだけが残された。以来二十八年、手がかりは散ってしまったままだ。

 私は雑誌『月刊Fミステリー』の特集記事で「未解決事件の現場を歩く」という企画を任され、建物解体の前夜、所有者に頼み込んで独りで内部を撮影する許可を得た。


 腹ばいになってシャッターの隙間をくぐると、売り場跡の床は半分が剝がれ、レジ台は骨だけ残して横倒しになっていた。切れかけの非常灯がかすかに明滅し、その下を埃が雪のように舞う。

 私はフラッシュを焚き、シャッター越しに車道を撮ろうとカメラを構えた。ところが──


 「ピン……」


 耳障りな電子音。レジの開閉ブザーが、電源の抜けた筈の台から鳴った。

 レンズ越しに覗くと、暗闇で液晶が橙色に光り、「00:00」と数字が瞬いたあと、勝手に売上げ集計票が吐き出された。

 紙片の下端には、油性ペンで「23:05 もうすぐ」と走り書きがある。事件で撃たれた高校二年生の最期のメモと同じ筆跡――警察資料に載っていた、あの震える文字だった。


 背後の青果コーナーでパックの割れる乾いた音がし、私は振り向く。

 そこに、生温い霧のような影が立っていた。肩を寄せ合う三つの影。長い髪が二人、短い後ろ髪が一人。輪郭は曖昧なのに、制服のリボン色だけが妙に鮮明で、堅く結ばれた赤い結び目が私の網膜に焼き付いた。


 私は逃げ場を探して商品搬入口の方へ走った。折れた冷凍ケースの上で足を滑らせ、膝を強打。カメラが滑り落ちる。

 そのとき頭上で、天井板が「コン」と叩かれた。

 事件の犯人は庫裏の天井裏から降り、金庫を破って女性たちを撃ち、また天井へ消えたらしい。……もし、あれが人ならば。


 仰向けの私を覆うように、音がもう一度「コン」。ネズミの足か、靴の爪先か。

 私は震えながらカメラを拾い、フラッシュを真上へ向けシャッターを切った。


 閃光。

 ファインダーには、天井板の穴から覗く黒い目だけが写った。白目がなく、濡れた石炭のような暗さ。血管も瞳孔も判別できないほど、ただ“黒”がこちらを見下ろしていた。


 とっさに走り出して事務所の扉を押し開けると、蛍光灯が一瞬だけ灯り、すぐ消えた。

 現場保存のため机も壁も当時の位置のまま残され、床には硬質パネルで囲われた弾痕が二つ。私はその真上に立っていた。

 息を呑む。パネルの縁から黒い液体が滲み、足元を囲うように広がった。

 鉄の匂いが鼻腔に刺さると同時に、背後でレジスターがまた鳴いた。「ピン……ピン……」規則正しく、まるで弾丸のカウントダウンのように。


 時計を見ると午前一時五十八分。事件当夜、最後のレジ締めが行われたのが一時五十七分と記録にある。その一分後、犯人の銃声が響いたという。

 音は「2」「1」と続き、ぴたりと止まる。


 暗闇の事務所で、私は肩口に冷たい指先を感じた。

 振り向けば誰もいない。しかし耳のすぐ横で、若い女の息が消える。

 「おわりだよ」

 確かにささやいた。それは銃声の前、金庫の前で呟かれたとされる最後の言葉だった。


 私は叫び声とともに扉を蹴り開け、売り場へ戻った。非常灯は今度こそ完全に落ち、代わりにレジの液晶だけが点滅を続ける。

 「23:06」

 数字は事件の時刻へ逆戻りしている。秒が進むたび、フロアに散った破片が真夜中の蛍のように青白く光る。


 床から這い上がる霧の人影――三人が再び揃い、背中合わせになって私を囲んだ。

 レジの最終ブザーが鳴る。「0」

 同時に、天井裏から降る砂塵と共に“黒い目”が射撃の構えをとった。銃口は、霧ではなく、生身の私に向けられている。


 逃げなければ撃たれる。だが足が動かない。

 その時、霧の一人が首を振って私の前に立ちはだかった。制服の胸ポケットには名札。「いがらし」。被弾して倒れた最初の被害者の名前だ。

 彼女は肩越しに私へ微笑むと、霧ごと銃口の前へ進んだ。乾いた破裂音。

 弾丸が彼女を貫いた瞬間、店内の全照明が同時に点灯し、真昼のような白光が広がる。


 目を焼かれた私は、気づけば屋外に転がり出ていた。シャッターは固く閉まり、金属面に自分の蒼白い顔が映る。

 遠くでパトカーのサイレンがこだました。事件当夜に通報された時刻とまったく同じ二時十五分。

 私は胃液を吐きながら立ち上がり、背後の建物を振り返った。

 するとレジ前のガラスに、制服姿の三人が並んでこちらを見送り、最後に一斉に頭を下げた。

 次の瞬間、館内照明がばちんと落ち、全ての窓が漆黒に閉ざされた。


 翌朝、解体業者が来てみると、内部の事務所だけが何故か真新しく水洗いされたように濡れ、薬莢の保存パネルが外れていたという。

 私のカメラに残った最後の写真には、天井裏から半身を覗かせる影と、レジ横に立つ三人の背中が映っていた。

 そして液晶には「23:05 もうすぐ」の走り書きが、今度は赤いインクで二重線に塗り潰されている――まるで「もう終わったから」と言うかのように。


 被害者の霊が守ったのか、犯人の影が時を繰り返すのか。

 ただ一つ確かなのは、私の耳にはいまもレジのブザーが鳴っている。夜が更け、時計の針が23:05に近づくたびに。


【引用元】

 警視庁公式サイト「未解決事件 八王子市スーパー店員3人射殺事件」

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