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怖い話  作者: 健二
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山神の黄昏


高校二年の僕、三上歩は、夏休みの特別課題「地域の民話収集」という何とも気の進まない宿題を抱えていた。担当となった渋谷山周辺の伝説を調べるため、田舎の祖父母が住む長野県の小さな村「渋谷集落」を訪れることになった。


「祖父さん、渋谷山について何か昔話とか知らない?」


祖父の家に着いた初日の夕食後、僕は遠慮がちに尋ねた。


「渋谷山の話か…」


箸を置いた祖父の表情が急に硬くなった。祖母は皿を洗うのを一瞬止め、祖父を振り返った。


「あの山には近づかん方がいい」


祖父は低い声でそう言うと、縁側に出て行った。僕は困惑して祖母を見た。


「渋谷山は特別な山なのよ。山神様が住んでいると言われているの」


祖母は静かに説明した。渋谷山は標高1200メートルほどの山で、村人たちは昔から山を神聖視し、むやみに入ることを避けていたという。特に夏至から七日間は、「山神様が下界を歩く」とされ、山に入ることは厳禁だった。


「でも、今は夏至から十日も過ぎてるよ」


「そうね…でも、できれば他の山の話にしたら?」


祖母の言葉には不安が滲んでいた。


しかし僕は歴史部に所属する高校生。好奇心を抑えることはできなかった。翌朝、祖父母に「友達と町に出かける」と嘘をつき、一人で渋谷山へ向かった。


山の入口には古い鳥居があり、朽ちかけた警告の立て札が立っていた。「山神の領域 無断侵入禁止」。文字は風雨で薄れ、ほとんど読めなくなっていた。


「民話集めるだけだし…」


そう自分に言い聞かせて、僕は山道を登り始めた。


初夏の山は緑豊かで、木漏れ日が心地よく感じられた。しかし登るにつれ、不思議な静けさが広がっていった。鳥の声も、虫の音も聞こえない。まるで山全体が息を潜めているかのようだった。


僕はスマートフォンで周囲の写真を撮りながら、メモを取っていた。「渋谷山は不思議な静けさに包まれている。山神伝説の影響で、地元民は恐れているようだ…」


約一時間登ったところで、小さな祠を見つけた。苔むした石でできた祠には、「山神様」と刻まれていた。祠の前には新しい供物—おにぎりと日本酒が置かれていた。


「最近、誰かが来たんだ…」


祠の写真を撮ろうとスマートフォンを構えた瞬間、バッテリーが突然ゼロになった。


「あれ?さっきまで80%あったのに…」


不思議に思いながらもさらに登っていくと、森が開けて小さな平地に出た。そこには巨大な杉の木があり、周囲には七色の布が結ばれていた。


「これは…」


伝統的な注連縄の形をした布。明らかに神聖な場所を示していた。


「ここが山神様を祀る場所なのかな」


僕が近づこうとした時、背後で枝が折れる音がした。振り返ると、一人の老人が立っていた。山伏のような装束を身にまとい、手には杖を持っている。


「若いの、何しに来た?」


老人の声は穏やかだったが、目は鋭く僕を見つめていた。


「あの、地元の民話を集めていて…」


「山神様の話か」老人はうなずいた。「だが、今日は帰りなさい。黄昏時が近い」


「黄昏時?」


「山神様が姿を現す時間だ。見てはならぬ」


老人は杉の木を見上げた。「この木は千年杉。山神様の依り代だ。毎年夏至には、村の代表がここに供物を持ってくる。今年は私の番だった」


僕は興味を引かれ、さらに質問しようとした。「山神様って、どんな姿なんですか?」


老人は答えず、僕の腕をつかんだ。その手は予想以上に冷たく、力強かった。


「帰りなさい。すぐに」


老人の目には恐怖が浮かんでいた。


「でも…」


「山を敬わぬ者には、山神様の怒りが下る」


老人はそう言うと、杉の木に向かって深々と一礼し、来た道を戻っていった。


僕は少し迷ったが、老人の言葉を無視してさらに奥へと進んだ。杉の木を過ぎると、道は急に険しくなり、周囲の景色も変わっていった。木々は不自然にねじれ、地面からは霧のようなものが立ち上っていた。


「なんだろう、この感じ…」


体が徐々に重くなる感覚。そして頭に響く低いうなり声。まるで山全体が生きているかのような不思議な感覚だった。


さらに進むと、小さな滝があった。水は緑がかっていて、岩には奇妙な模様が刻まれていた。その模様は、どこか人の顔のように見えた。


「山神様の姿…?」


僕がその岩に触れようとした瞬間、突然空が暗くなった。見上げると、雲一つない青空が、まるで誰かが電気を消したかのように暗くなっていた。


時計を見ると、午後6時。黄昏時だ。


その時、滝の向こうから人影が現れた。しかしそれは人ではなかった。身長は2メートルはあろうかという大柄な姿。頭には枝角のようなものが生え、全身は木の皮のような質感で覆われていた。顔は能面のように表情がなく、ただ二つの穴が目のように光っていた。


山神—その言葉が頭に浮かんだ。


恐怖で体が凍りついた僕は、声も出せずにその場に立ち尽くした。山神は静かに滝を渡り、僕の方へと近づいてきた。その足跡には小さな草花が生えてくる。


「お、おじいさん!誰か!」


やっと声が出た僕は、助けを求めて叫んだ。しかし返ってくるのは山びこだけ。


山神はさらに近づき、今や僕の目の前に立っていた。恐怖で足がすくみ、逃げることすらできない。


山神は僕を見下ろし、ゆっくりと手を伸ばした。その手には木の葉のような模様があり、指先は鋭く尖っていた。


「や、やめて…」


目を閉じた瞬間、肩に冷たい感触。


「若いの、大丈夫か?」


声に驚いて目を開けると、そこには先ほどの老人が立っていた。山神の姿はどこにもない。


「山神様が…ここに…」


「見たのか」老人の表情が曇った。「山神様の姿を見た者は、いずれ山に呼ばれる」


「呼ばれる?」


「山の一部になる。だが今日は私が間に合ったようだ」


老人は僕を引き起こし、山を下りるよう促した。「早く村に戻りなさい。そして二度とこの山には来ないように」


僕は震える足で老人について山を下りた。途中、振り返ると、滝の近くに山神らしき影が立っているように見えた。


村に戻ると、老人は僕を自分の家に連れて行った。そこで彼は山神の物語を語ってくれた。


「渋谷山の山神様は、この土地を守る存在。しかし神の姿を見た人間は、七日以内に山に戻らねばならない。戻らなければ、災いが起こる」


僕は恐怖で顔が青ざめた。「じゃあ、僕は…」


「私が身代わりになろう」老人は穏やかに言った。「私はもう長くない。最後に山神様にお仕えするのも悪くない」


その夜、祖父母の家に戻った僕は、すべてを打ち明けた。祖父は深いため息をつき、「彼は村の最後の山伏だった」と教えてくれた。


「山伏?」


「山と人を繋ぐ者だ。彼は一生、渋谷山の山神様に仕えてきた」


七日後、老人は姿を消した。村人たちは彼が山に入ったまま戻らなかったと言う。捜索隊が出たが、老人の姿は見つからなかった。


しかし不思議なことに、その日から渋谷山はさらに豊かな緑に包まれるようになった。特に千年杉は、かつてないほど生き生きとした葉を茂らせたという。


夏休みが終わり、東京に戻る日。僕は村を出る前に、山の入口にある鳥居に向かって深々と頭を下げた。


風が吹き、木々がざわめいた。どこか遠くから、老人の声が聞こえたような気がした。


「山を敬い、山と共に生きよ…」


それから一年後、僕は再び渋谷集落を訪れた。山の入口には新しい鳥居が立ち、警告の立て札も新調されていた。そして千年杉の近くには、新たな祠が建てられていた。


村人たちは言う。夏の黄昏時、渋谷山の頂上付近で、老人と山神が並んで歩く姿が時々見えるのだと。


僕は今でも時々、あの山神の姿を夢に見る。そして目覚めると、部屋に置いた小さな山の石から、かすかに木の香りがするのだ。


---


2012年8月、長野県北部の人口わずか200人ほどの山村で起きた不可解な現象は、今も民俗学者たちの間で議論の的となっています。


当時、東京から夏休みに訪れていた高校生が地元の伝説を調査中、山中で遭難。約6時間後、村の古老によって無事保護されました。高校生は「人間離れした巨大な姿」を目撃したと主張。興味深いことに、彼のスマートフォンには説明のつかない画像が残されていました。霧に包まれた森の中に、樹木のような質感を持つ直立した人影が写っていたのです。


この画像は後に専門家によって分析されましたが、加工や合成の形跡は見つからず、「自然現象か光の反射による錯覚」と結論づけられました。


しかし、さらに奇妙なことに、高校生を救助した古老は、その一週間後に失踪。広範囲の捜索にもかかわらず発見されることはありませんでした。地元住民は「山神の使いとなった」と信じています。

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