放課後の呼び声
深緑の木々に囲まれた山間の町、「旧・三ノ宮高校」は十年前に統廃合で閉校となった。赤錆びた校門、草に埋もれた校庭、そして朽ちかけた木造校舎。それでも夏になると、この廃校には毎年決まって人が集まってくる。
「七不思議研究会」の夏合宿だ。
高校二年の僕、島田健太は、都会から引っ越してきたばかりだった。地元の高校に転入して間もなく、この奇妙なサークルに半ば強引に誘われた。部長の三上さんによれば、このサークルは地元の怪奇現象を調査し、記録するのが目的だという。
「島田くん、本当に来てくれたんだね!」
夏休み初日、廃校の前で待っていた三上さんが笑顔で手を振った。彼女は地元出身の三年生で、不思議なものに対する好奇心が人一倍強い。
「はい…来ました」僕は緊張気味に答えた。
他のメンバーも次々と集まり、全部で五人の小さなグループが揃った。みんな地元出身で、この廃校に何かしらの思い出があるようだった。
「じゃあ、今から旧・三ノ宮高校の七不思議調査を始めます!」三上さんが宣言した。「今年は新メンバーの島田くんもいることだし、改めて全部チェックしましょう」
廃校の敷地に足を踏み入れた瞬間、妙な違和感を覚えた。真夏の日差しが照りつける昼間なのに、校舎の中は異様に涼しく、どこか生気が感じられない。
「この学校の七不思議って、具体的にはどんなものなんですか?」僕が尋ねると、メンバーの一人、佐藤くんが答えた。
「いちばん有名なのは『放課後の呼び声』だね。夕方になると、誰もいないはずの音楽室からピアノの音と女の子の歌声が聞こえるんだ」
「次に『動く人体模型』」別のメンバー、田中さんが続けた。「理科室の人体模型が夜になると廊下を歩き回るっていう噂」
三上さんがリストを広げ、残りの不思議を読み上げた。「あとは『永遠に続く階段』『鏡の中の転校生』『消えない黒板の文字』『血を流す水道』そして『七人目の部員』だね」
「七人目の部員?」
「そう、この七不思議研究会には、目に見えない七人目のメンバーがいるって言われてるの。歴代の部長だけが知ってる秘密なんだけど…」三上さんは急に真面目な顔になった。「実は私、見たことがあるの。去年の夏、この廃校で一人調査していた時に」
僕は背筋に冷たいものを感じた。冗談めかして言うには、あまりにも真剣な表情だった。
調査は音楽室から始まった。埃をかぶったグランドピアノが、窓からの光に照らされて不気味に輝いている。
「このピアノ、十年前に閉校になってからも、時々音が鳴るって地元の人が言うんだよね」佐藤くんが説明する。「特に夏の夕方、日が沈み始める頃に」
僕たちは音楽室にボイスレコーダーを設置し、次の場所へと移動した。理科室、階段、鏡のある女子トイレ、そして教室と、順番に七不思議の場所を回り、カメラやレコーダーを設置していった。
調査を終えて校庭に集まった頃には、すでに夕暮れが近づいていた。
「じゃあ、これから肝試しも兼ねて、二人一組で再調査しましょう」三上さんが提案した。「私は島田くんと回るから、他の人たちは…」
ペアが決まり、僕は三上さんと共に再び校舎に向かった。夕日に照らされた廃校は、昼間とは違う不気味な雰囲気を漂わせていた。
「ねえ、島田くん。実は私、あなたに話したいことがあるの」
薄暗い廊下を歩きながら、三上さんが切り出した。
「この学校の七不思議、実は全部繋がってるの。そして…その中心にいるのが『七人目の部員』なんだ」
「どういうことですか?」
三上さんは立ち止まり、僕の目をじっと見つめた。
「この学校が閉校になった本当の理由、知ってる?統廃合じゃないの。十年前、この学校で一人の女子生徒が自殺したんだ。音楽室で…」
僕は息を飲んだ。
「彼女は七不思議研究会の創設メンバーだった。でも、いじめが原因で命を絶ってしまった。それから、この学校では次々と怪奇現象が起き始め、最終的に閉校に追い込まれたんだ」
三上さんの話によれば、その女子生徒の霊は今も学校に残り、七不思議研究会の「七人目の部員」として現れるという。
「彼女は毎年、新しいメンバーを選ぶの。そして…今年は島田くんを選んだみたい」
「え?」
その瞬間、校内に鳴り響く鐘の音。かつての下校時間を告げる鐘だろうか。同時に、どこからともなくピアノの音色が聞こえ始めた。
「音楽室からだ!」
僕たちは急いで音楽室に向かった。ドアを開けると、さっきまで埃をかぶっていたピアノが、まるで誰かが磨いたかのようにピカピカに輝いていた。そして、誰もいないはずなのに、ピアノの鍵盤が一人でに動いている。
「彼女が…来たんだ」三上さんがささやいた。
ピアノの音色に合わせて、かすかな歌声が聞こえ始めた。少女の透き通るような、しかし何処か悲しげな声。
その時、僕の頭に不思議な映像が浮かんだ。制服を着た少女が、この音楽室でピアノを弾いている姿。周りには嘲笑う生徒たち。そして少女の絶望に満ちた表情…
「見えたの?」三上さんが尋ねた。「彼女の記憶が」
僕はただ頷くことしかできなかった。
「彼女は自分の物語を誰かに知ってほしいの。そして、真実を伝えてほしいの」
ピアノの音が急に止み、音楽室の温度が一気に下がった。窓際に、うっすらと人影が見える。制服を着た少女だ。
「ちょっと、待っててね」三上さんが僕に言い、その人影に近づいていった。二人は何やら話し始めたが、僕にはその声は聞こえない。
しばらくして三上さんが戻ってきた。彼女の表情は晴れやかだった。
「島田くん、彼女があなたに会いたいって」
恐怖と好奇心が入り混じる中、僕は窓際に近づいた。少女の姿はぼんやりとしか見えないが、確かにそこにいる。
「私の話を…聞いてくれますか?」
かすかな声が僕の耳に届いた。
その夜、僕は七不思議研究会の本当の目的を知った。それは単なる怪奇現象の調査ではなく、十年前に自殺した少女の真実を明らかにし、彼女の魂を慰めることだったのだ。
少女の名は佐々木美咲。七不思議研究会を創設した生徒だった。彼女は音楽の才能に恵まれていたが、妬みから同級生にいじめられ、最終的に音楽室で命を絶った。しかし彼女の死の真相は闇に葬られ、いじめの事実は隠蔽されたという。
「私が望むのは、ただ真実が知られること。そして、この学校の七不思議の本当の意味を記録してほしいの」
美咲の願いを聞いた僕たちは、夜通し校内を調査した。そして驚くべきことに、七不思議のそれぞれの場所で、美咲のいじめに関わる証拠を次々と発見した。理科室の人体模型の中に隠されたノート、鏡に刻まれた脅迫文、黒板の裏に残された告発文…
夜明け前、すべての証拠を集めた僕たちは、音楽室に戻った。そこには美咲の姿があり、彼女は穏やかな表情で僕たちを見つめていた。
「ありがとう。これで私も安心して旅立てます」
美咲の姿が朝日と共に薄れていく中、僕は約束した。彼女の物語を記録し、真実を伝えていくことを。
翌日、僕たちは集めた証拠を持って地元の新聞社を訪れた。十年前の事件が再調査され、いじめの事実が明らかになるのに、それほど時間はかからなかった。
その夏以降、旧・三ノ宮高校の七不思議は次第に報告されなくなったという。しかし七不思議研究会は今も活動を続けている。今度は美咲の名誉を回復させるための活動だ。
そして時々、夏の夕暮れ時、音楽室からはピアノの音色が聞こえてくる。でもそれはもう怖いものではなく、どこか安らかで、美しい調べなのだ。
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日本各地の廃校にまつわる怪奇現象は数多く報告されていますが、2010年に福島県の廃校となった中学校で行われた調査で興味深い事例が記録されました。
地元の高校生たちが夏休みのプロジェクトとして廃校の歴史を調査していた際、音楽室に設置した録音機に、何者かのピアノ演奏と女性の歌声が記録されていたのです。専門家による分析でも、その音源に加工や編集の痕跡は見つからず、自然現象では説明できないと結論づけられました。
さらに驚くべきことに、その録音をきっかけに、30年前にその学校で起きた悲しい出来事が明るみに出ました。当時、音楽に秀でた女子生徒が不慮の事故で亡くなったものの、実は校内でのいじめが原因だったという事実が、古い学校記録と証言から判明したのです。
この調査結果をまとめた高校生たちのレポートは2011年、全国高校生文化研究コンクールで特別賞を受賞。彼らの活動がきっかけとなり、亡くなった生徒の名誉回復が行われ、現在では地元で毎年8月に追悼コンサートが開かれています。