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怖い話  作者: 健二
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見えない屋台


夏祭りの時期になると、どこからともなく幼い頃の記憶が蘇ってくる。祭囃子の音、金魚すくいの水面に映る自分の顔、そして、あの夜の出来事。十年経った今でも、私はお祭りの屋台を見ると、背筋に冷たいものが走る。


私が高校一年生だった夏のことだ。田舎の実家に帰省していた私は、久しぶりに地元の夏祭りに行くことにした。母の実家がある山形県の小さな町では、毎年八月十五日に氏神様の祭りが行われる。祖母は「今年は行かない方がいい」と言ったが、私は友人と約束をしていたので聞き入れなかった。


祖母の言葉の意味を理解したのは、その夜になってからだった。


「沙耶、気をつけなさいよ。今年は丑の年だから」


祖母はそれ以上何も言わなかった。当時の私は「迷信ね」と思っただけだった。


祭りの日、私は浴衣に着替え、友人の美咲と待ち合わせた。夕方になり、神社の境内は徐々に人で賑わい始めていた。提灯の灯りが辺りを柔らかく照らし、懐かしい屋台の匂いが鼻をくすぐる。


「やっぱり地元のお祭りっていいね」と美咲が言った。


境内には十数軒の屋台が立ち並び、子供たちが走り回っている。私たちはまず、りんご飴を買ってから、射的やヨーヨー釣りを楽しんだ。夏の夜風が心地よく、神社の大きな樹木がさわさわと音を立てていた。


午後八時を過ぎた頃、私は不思議なことに気がついた。人の流れが、ある一点を避けるように動いているのだ。


「あそこ、なんだか変じゃない?」


境内の隅、大きな楠の木の下に空間があった。人が通り過ぎるとき、みんな無意識に弧を描くように迂回している。


「気のせいじゃない?」と美咲は言ったが、私の目にはその空間が妙に暗く見えた。


好奇心に駆られた私は、その場所に近づいてみることにした。


「ちょっと、沙耶!」


美咲の声を背に、私はその空間へと足を踏み入れた。するとふいに、冷たい風が吹き抜けた。夏の夜とは思えない冷気に、私は思わず腕を抱いた。


そこにあったのは、一軒の屋台だった。


しかし、他の屋台とは明らかに違っていた。提灯の灯りが届かないその場所に、ぼんやりと浮かび上がる屋台。赤と白の幕は色あせて、看板には「縁日」とだけ書かれている。


店主らしき老人が、私を見て微笑んだ。


「いらっしゃい、何にする?」


老人の声は風のように軽く、どこか懐かしい響きがあった。屋台には様々な品物が並んでいる。風車、面、飴玉。どれも古めかしいデザインだ。


私は何か買わなければならない気がして、「飴をください」と言った。


老人は白い紙に包まれた飴玉を私に渡した。


「百円だよ」


財布から小銭を取り出そうとしたとき、美咲が私の腕を強く掴んだ。


「何してるの? 早く行こうよ!」


美咲の声に我に返り、周囲を見回すと、屋台も老人も消えていた。そこにあるのは、ただの空き地だった。


「誰と話してたの?」と美咲が震える声で聞いてきた。


「え? 今、ここに屋台があったよ? お爺さんが…」


美咲は首を横に振った。


「ここには何もなかったよ。あなた、一人で立ち止まって、空中に向かって話しかけてた」


混乱した私は、手の中の飴玉を見た。確かに白い紙に包まれた飴がある。幻ではなかった。


「これ、見えない?」


美咲は再び首を横に振った。その表情には恐怖が浮かんでいた。


その夜、家に帰ると祖母が玄関で待っていた。私の手の中の飴玉を見るなり、祖母は顔色を変えた。


「どこでそれを手に入れたの?」


事情を話すと、祖母は慌てて飴を取り上げ、神棚に供えた。


「沙耶、あなた見えちゃったのね…」


祖母の説明によると、この町では古くから伝わる言い伝えがあるという。丑の年の八月十五日、神社の境内に「見えない屋台」が現れるというのだ。それは普通の人には見えない。


「見える人は、あの世とこの世の境目が見える人。死期が近い人か、霊感の強い人だけが見えるの」


私は震える声で聞いた。


「あの飴は…?」


「食べちゃダメ。あれは『死者の飴』。食べたら、この世に戻れなくなる」


次の日、私は高熱を出して寝込んだ。三日三晩、うなされ続けた。夢の中で、あの老人が何度も現れた。


「次は何を買う? 次は何を買う?」


祖母は私のために祈祷をしてもらい、神社にもお参りに行った。熱が下がったのは四日目の朝だった。


しかし、それで終わりではなかった。


夏祭りから一週間後、美咲から電話があった。彼女は興奮した声で話した。


「沙耶、写真を現像したんだけど、ちょっと見て欲しいものがあるの」


その日の午後、美咲が持ってきた写真を見て、私は言葉を失った。


祭りの夜、美咲が撮った写真の中に、私がひとりぽつんと立っている一枚があった。そして私の目の前には、かすかに写り込んだ屋台と、白い着物を着た老人の姿があった。


「カメラには写ったんだ…」


その写真を見た祖母は、さらに衝撃的な話をしてくれた。


「あの屋台は、五十年前にこの神社であった火事で焼け死んだ露店商のもの。丑の年にだけ、魂が戻ってくるんだよ」


それから私は、毎年の夏祭りに行くのをやめた。しかし、丑の年が再び巡ってきた今年、なぜか私は神社に足を運びたいという強い衝動に駆られている。


あの飴玉は、いまだに神棚に供えられたままだ。時々、夜中にかすかな甘い香りが漂ってくることがある。そして私は思う。


あの時、飴を食べていたら、どうなっていたのだろうか。


---


山形県の山間部にある小さな神社では、今でも「見えない屋台」の言い伝えが残っている。地元の古老によれば、1973年の丑の年、実際にこの神社で火事があり、一人の露店商が亡くなったという記録が残されている。


2009年、この神社の夏祭りを訪れた女子高生が、友人たちには見えない屋台から飴を買ったという出来事があった。彼女は数日後に原因不明の高熱で入院し、一時は意識不明の重体となった。回復後、彼女は「老人に導かれる夢を見た」と証言している。


さらに興味深いのは、2021年に行われた心霊写真研究家による調査だ。この神社で撮影された写真には、人々が無意識に避けて通る空間に、かすかな屋台の輪郭が写り込んでいたという。専門家による分析でも、画像の加工や偽造の痕跡は見つからなかった。


また、地元の方々の間では、丑の年の夏祭りには「甘い匂いがする場所がある」という証言が複数残されている。そしてその場所の近くでは、携帯電話の電波が途切れるという現象も報告されている。


今年も丑の年。この夏、あの神社の境内には、私たちの目には見えない何かが、静かに客を待っているのかもしれない。

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