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怖い話  作者: 健二
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海の盆踊り


僕が高校二年の夏、祖母の住む漁村で体験した出来事は、今でも鮮明に記憶に残っている。東京からバスと電車を乗り継いで約五時間、太平洋に面した小さな漁村に到着したのは、八月十三日の夕方だった。


「太一、久しぶり。大きくなったね」


玄関に立つ祖母の笑顔は変わらなかったが、一年前に祖父を亡くして以来、その背はさらに小さく見えた。


「おばあちゃん、元気だった?」


この村を最後に訪れたのは、祖父の葬式の時だった。母は仕事の都合で来られなかったので、今回は僕一人の帰省だった。


「明日は海の盆踊りがあるのよ。今年は特別なんだ」


食事の席で祖母が言った言葉に、僕は首を傾げた。


「海の盆踊り?」


「そうよ。七年に一度の特別な盆踊り。海で亡くなった人たちの魂を鎮めるためのお祭りなの」


祖母の説明によると、この村では古くから特殊な盆踊りの伝統があるという。通常の盆踊りは十五日だが、「海の盆踊り」は十四日の夜に行われる。浜辺に松明を立て、波打ち際で踊るというその盆踊りは、海難事故で亡くなった村人の魂を慰めるためのものだと言う。


「太一のお祖父さんも、昔は漁師だったからね。明日は一緒に行きましょう」


その夜、窓の外から聞こえる波の音を聞きながら、僕は不思議な気持ちで眠りについた。


翌日、僕は村を散策した。人口減少で若者はほとんどおらず、シャッターが閉まった商店が目立つ。唯一賑わっていたのは、港近くの魚市場だけだった。


浜辺で少し時間を潰した後、夕方に祖母の家に戻ると、祖母は既に浴衣に着替えていた。


「太一も着替えなさい。昔、お父さんが着ていた浴衣があるわ」


僕も浴衣に着替え、祖母と共に浜辺へと向かった。日が沈み始め、空は茜色に染まっていた。浜辺には既に大勢の村人が集まっていた。老人が多いが、意外にも若い家族連れも見られる。


「みんな、この日のために帰ってくるのよ」と祖母が言った。


浜辺には数十本の松明が立てられ、その炎が夕闇の中でゆらめいていた。波打ち際には小さな灯篭が並べられ、沖に向かって光の道を作っている。中央には太鼓が据えられ、踊り手たちが輪になって待機していた。


「七年前も来たの?」と僕が尋ねると、祖母は首を横に振った。


「七年前は…お祖父さんが具合悪くてね」


その時、太鼓の音が鳴り響き、盆踊りが始まった。村人たちは波打ち際に輪を作り、ゆっくりとした調子で踊り始めた。祖母も輪の中に加わり、僕も誘われるままに踊りの輪に入った。


簡単な振り付けはすぐに覚えた。ただ、その歌詞が少し不気味だった。


「海の底から 帰る魂よ

今宵一夜の 踊りの輪に

恨みを捨てて 安らかに

波の彼方へ 還りなさい」


踊りが進むにつれ、何か様子がおかしいことに気がついた。踊りの輪が少しずつ増えているのだ。最初は気のせいかと思ったが、確実に人が増えている。


「おばあちゃん、あの人たちは…?」


祖母の隣で踊っていた見知らぬ老人に目をやると、祖母はただ微笑んだ。


「みんな、海の盆踊りに参加する人たちよ」


しかし、その「人たち」の様子がどこか違っていた。皆、同じ白い浴衣を着ており、顔は波間に映る月明かりで青白く見える。そして何より、彼らの足元が…波の上にあるのだ。


恐怖で立ち止まりそうになったが、祖母が僕の手をしっかりと握った。


「大丈夫。怖がらなくていいの。ただ踊り続けなさい」


夜が更けるにつれ、踊りの輪は海へと少しずつ延びていった。足元は既に波に浸かっている。しかし不思議なことに、浴衣は濡れなかった。


僕の隣で踊る若い女性が微笑みかけてきた。「久しぶりね」と彼女は言ったが、僕は彼女を知らなかった。


「初めまして…」と答えると、彼女は少し悲しそうな顔をした。


「あなたはまだ小さかったから覚えていないのね。私、あなたのお母さんのクラスメイトだったの。那奈子よ」


その名前に、僕は息を飲んだ。母からよく聞いた名前だった。高校時代の親友で、修学旅行で海水浴中に溺れて亡くなったという…


「あなたが太一くんね。美咲さんの息子さん」那奈子さんは続けた。「あなたのお祖父さんもここにいるわ」


振り返ると、そこには祖父の姿があった。生前と変わらぬ姿で、優しく微笑んでいる。


「太一、大きくなったな」


祖父の声を聞いた瞬間、涙があふれた。祖父は僕の頭をなでた。その手は冷たかったが、確かにそこにあった。


踊りの輪は更に沖へと延びていった。気がつけば、僕たちは足が海底につかないほどの深さまで来ていた。しかし、誰もが水面を歩くように踊り続けている。


太鼓の音が高鳴り、歌声が夜空に響く。その時、那奈子さんが言った。


「もうすぐお別れの時間ね」


僕は混乱した。「どういうこと?」


「海の盆踊りは、生者と死者が一緒に踊れる特別な夜。でも、夜明けが近づくと、私たちはまた海に戻らなければならないの」


その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが凍りついた。もしかして自分も…このまま海の底へ?


恐怖で動けなくなった僕を、祖父が優しく肩に手を置いて安心させた。


「心配するな。お前はまだこっちの世界の人間じゃない。祖母さんと一緒に、浜辺まで戻りなさい」


祖父は僕の手を取ると、祖母の手に渡した。


「タケシ…」祖母の目に涙が光った。


「幸子、元気でな。また会おう」


祖父は祖母の頬に触れると、再び踊りの輪に戻っていった。那奈子さんも手を振って別れを告げた。


「太一くん、お母さんによろしく伝えてね。私、いつも見守っているって」


僕と祖母は、踊りの調子に合わせて少しずつ浜辺の方へと戻っていった。振り返ると、沖へ向かう踊りの輪が見える。月明かりの下、白い浴衣が波間に揺れていた。


浜辺に戻った時、東の空がわずかに明るくなり始めていた。太鼓の音が止み、歌声も消えた。沖を見ると、踊りの輪も松明の明かりも、すべて消えていた。


「おばあちゃん、あれは…」


祖母は静かに頷いた。


「あれが海の盆踊り。七年に一度、海で亡くなった人たちが、この世に戻ってくるの」


帰り道、祖母は続けた。「この村には、海で命を落とした人が多いんだよ。漁の事故、津波、泳いでいて溺れた人…。だから昔から、彼らの魂を鎮めるために、この盆踊りをしてきたの」


「でも僕、那奈子さんのこと知らないのに…」


「海の死者は不思議なもので、縁のある生きた人を見分けられるんだよ。那奈子さんは、あなたのお母さんの大切な友達だったからね」


翌朝、僕は海岸へ行ってみた。昨夜の出来事が夢だったのかと思ったが、浜辺には踊りの足跡が残っていた。そして驚いたことに、波打ち際には見覚えのある物が落ちていた。


母の高校時代のアルバムで見たことがある、那奈子さんの髪飾り。


東京に戻った僕は、この体験を母に話した。最初は信じてもらえなかったが、那奈子さんの髪飾りを見せると、母は言葉を失った。


「これ…那奈子が身につけていたまま、海に沈んだものよ」


それから七年が経った今、僕は再び祖母の村を訪れようとしている。今度は母も一緒だ。祖母は去年亡くなった。


海の盆踊りの日が近づいている。今年も、波の上で踊る人々に会えるのだろうか。そして今回は、祖母の姿もその中にあるのだろうか。


---


この「海の盆踊り」に類似した風習は、実際に日本各地の沿岸部に残されています。特に三重県の某漁村では「海の精霊祭」と呼ばれる行事が今も続いており、七年に一度、夜通し波打ち際で踊るという特殊な盆踊りが行われています。


2009年、この祭りを研究していた民俗学者が興味深い証言を記録しています。地元の古老によれば、踊りの最中に「見知らぬ踊り手」が紛れ込むことがあるという。写真に写ることもなく、地元の人間でもない、白い浴衣を着た人々が現れるというのです。


さらに2016年には、この祭りに参加した大学生のグループが不思議な体験をしています。彼らが撮影した動画には、踊りの輪の中に、足元が波に浸かっているにも関わらず浴衣が濡れていない人々の姿が映っていました。専門家による分析でも、映像の加工や編集の痕跡は見つからなかったそうです。


また、この祭りの後に浜辺で見つかる不思議な遺品の報告も複数あります。数十年前に海難事故で亡くなった人の持ち物と思われるアクセサリーや小物が、新品同様の状態で波打ち際に打ち上げられるというのです。


2021年には防災研究の一環で設置された海岸の監視カメラが、祭りの夜に異常な映像を捉えました。公式には「機器の不具合」とされていますが、波の上に無数の人影が映り込んでいたと報告されています。


次の「海の盆踊り」は2023年に予定されています。民俗学者たちは既に調査の準備を進めていますが、地元の人々は「あまり詮索しない方がいい」と警告するそうです。


「海の死者は生者を招く」という言い伝えは、単なる迷信ではないかもしれません。

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