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怖い話  作者: 健二
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鳴かざる蝉


髪が逆立つような熱気の中、蝉の声だけが存在感を放っていた。マンションの庭に植えられたケヤキの木に、何十匹もの蝉が群がっている。その光景を五階の窓から眺めながら、僕は不思議な違和感を覚えていた。


「真琴、荷物はもう片付けたの?」


母の声に振り返ると、段ボール箱がまだ数個、部屋の中央に残されていた。


「あと少しだよ」


高校二年の夏休み、僕たち家族は東京から福島県の小さな町へと引っ越してきた。父の転勤が理由だったが、本当のところ、僕の「問題」が大きかったのかもしれない。


東京の前の学校では、僕はいじめに遭っていた。理由は単純だ。僕には人には言えない特殊な能力があった。死者の声が聞こえることがある。特に夏、蝉が鳴く季節になると顕著になる。


最初に気づいたのは小学校五年生の時だった。校庭の木に群がる蝉の鳴き声の中に、クラスメイトの名前を呼ぶ声が混じっていた。その日の放課後、そのクラスメイトは交通事故で亡くなった。それ以来、僕は蝉の声に恐怖を感じるようになった。


「ミンミンミンミン」


「ツクツクボウシ」


「カナカナカナ」


その鳴き声の中に、時々人の声が混じる。名前を呼ぶ声、助けを求める声、そして時々…警告の声。


新しい町で、新しい学校。誰も僕のことを知らない環境で、普通の高校生として過ごせるはずだった。しかし、この町に来て三日目、僕は不吉な予感を覚えていた。


「真琴、ちょっとコンビニ行ってきてくれない?」


母に頼まれ、僕は不本意ながら外に出た。外は灼熱地獄だったが、それよりも蝉の声が怖かった。


アパートの庭を抜け、小さな神社の横を通り過ぎようとした時だった。


「助けて…」


蝉の声に混じって、かすかに聞こえた。僕は立ち止まった。周囲を見回しても、人の姿はない。


「気のせいだ」


そう自分に言い聞かせて歩き出した時、再び声が聞こえた。


「見つけて…」


声は神社の方から聞こえてきた。小さな祠が立つだけの、地元の人でさえほとんど訪れないような古びた神社だ。


理性は「関わるな」と警告していたが、好奇心が勝った。神社の境内に足を踏み入れると、不思議なことに蝉の声が一斉に止んだ。突然の静寂に、背筋が凍るような恐怖を感じた。


祠の前に立つと、誰かが見ているような気配を感じた。振り返ると、大きな樹の根元に白い何かがある。近づいてみると、それは蝉の抜け殻だった。しかし普通の抜け殻ではない。数百、いや千を超える抜け殻が、まるで何かの形を作るように積み重なっていた。


「なんだこれ…」


恐る恐る近づくと、抜け殻は人の形をしていた。座り込んだ子供の姿に見える。そして…その周りには生きた蝉が何十匹も集まっていた。しかし、一匹も鳴いていない。


その時、携帯電話が鳴った。母からだった。


「真琴、もう戻ってきて。買い物はいいから」


母の声は明らかに動揺していた。


「どうしたの?」


「今すぐ帰ってきて。この町のことで、聞かなきゃいけないことがあるの」


家に戻ると、母は青ざめた顔で僕を待っていた。テーブルの上には古い新聞の切り抜きがあった。


「これ、この町で十年前に起きた事件よ。引っ越してから気になって調べてたの」


記事には「少年失踪事件」という見出しがあった。この町に住む十歳の少年が、夏休み中に忽然と姿を消したという。最後に目撃されたのは、家の近くの神社だった。


「この神社、私たちの家のすぐそばにあるの」


僕は先ほど見たものを話そうとしたが、言葉が出なかった。その代わりに、「蝉の声について」母に尋ねた。


「この町、なんか蝉の鳴き方がおかしくない?」


母は困惑した表情を見せた。


「何言ってるの?この町、蝉があまりいないって不思議に思ってたところよ。引っ越してきてから、ほとんど蝉の声を聞いてないわ」


その言葉に、僕は震え上がった。僕には蝉の声が聞こえる。しかし母には聞こえないという。それは…


「明日、その神社について調べてみる」


その夜、僕は悪夢にうなされた。夢の中で、無数の蝉に覆われた少年が僕に向かって歩いてくる。そして耳元でささやく。


「見つけて…僕の体を…」


翌朝、僕は地元の図書館に向かった。町の歴史や伝説について調べるためだ。司書の老女は、僕の質問に対して奇妙な反応を示した。


「あの神社のことを知りたいの?あそこは…昔は蝉の宮と呼ばれていたのよ」


老女の説明によれば、その神社は元々、農作物を害虫から守る神を祀っていたという。しかし、明治時代に起きた奇妙な事件以降、地元の人々は神社を避けるようになった。


「どんな事件ですか?」


「大量の蝉が発生して、村人が一人行方不明になったの。伝説では、その村人は罰として蝉に変えられたとか…」


さらに衝撃的だったのは、十年前の少年失踪事件について聞いた話だった。


「あの子は神社で遊んでいたのよ。蝉取りが好きだった子で。でも、ある日突然姿を消した。警察は誘拐事件として捜査したけど、何も見つからなかった」


図書館を後にした僕は、再び神社へと足を向けていた。日差しが強く、額から汗が流れ落ちる。神社に近づくにつれ、蝉の声が大きくなる。しかし、通りすがりの老人が「今年は蝉が少ないねぇ」と言っているのを聞き、僕だけに聞こえる声だと確信した。


神社に着くと、昨日見た蝉の抜け殻の山はなくなっていた。代わりに、祠の前に一つの抜け殻が置かれていた。それは他の抜け殻より大きく、まるで人形のように見える。


「触れて…」


声が聞こえた瞬間、僕は思わずその抜け殻に手を伸ばした。触れた途端、目の前が真っ暗になり、別の景色が見えた。


そこは同じ神社だが、夏の日差しがまだ新しい木々に降り注いでいる。祠の前で一人の少年が遊んでいる。蝉取り網を持った少年は、樹上の蝉を捕まえようとしていた。しかし足を滑らせ、祠に頭をぶつけた。


少年は気を失い、そのまま倒れ込んだ。すると、祠の中から黒い霧のようなものが出てきて、少年を包み込んだ。次の瞬間、少年の体から無数の蝉が飛び立った。


「これが…十年前の出来事?」


幻影が消え、僕は再び現実に戻った。抜け殻を握りしめた手が震えている。


「助けて…」


声は祠の中から聞こえてきた。恐る恐る祠を覗き込むと、中には古びた石の像があった。虫の姿をした奇妙な神像だ。そして像の台座には小さな穴があり、そこから黒い何かが滲み出ていた。


「探して…僕の体を…」


その時、僕は理解した。十年前に失踪した少年は死んでいない。彼の魂は蝉たちの中に分散され、毎年夏になると蝉として鳴き、自分の体を探しているのだ。


次の日から、僕は放課後になると神社の周辺を掘り始めた。近所の人から奇異の目で見られたが、構わなかった。少年の体がどこかに埋められているはずだ。


一週間が過ぎた頃、神社の裏手、大きな樹の根元を掘っていると、土の中から白い何かが出てきた。それは小さな骨だった。


警察が到着し、発掘調査が始まった。見つかったのは十歳くらいの少年の骨だった。DNA鑑定の結果、それは十年前に失踪した少年のものと確認された。


不思議なことに、骨が発見された日から、僕には蝉の声が聞こえなくなった。通常の「ミンミン」「カナカナ」という鳴き声だけになった。


少年の遺体が見つかり、正式に葬儀が行われた日、僕は神社を訪れた。祠の前に立つと、一匹の蝉が僕の肩に止まった。


「ありがとう…」


かすかな声がして、蝉は飛び去った。それが最後だった。


その夏が終わり、蝉の声が聞こえなくなった頃、僕は母に言った。


「東京に戻りたくない。ここで暮らしたい」


母は意外そうな顔をしたが、僕の決意を受け入れてくれた。


あれから数年が経った。僕は今でもこの町に住み、毎年夏になると神社を訪れる。そして蝉の声に耳を傾ける。もう人の声は混じらないが、時々、一匹だけ他とは違う鳴き方をする蝉がいる気がする。


---


福島県の山間部にある小さな町で、2004年に実際に起きた出来事を元にしています。この町では、夏になると特定の神社周辺で「人の声のように聞こえる蝉の鳴き声」が聞こえるという報告が複数ありました。


地元の民俗学者が調査したところ、この神社は江戸時代から「蝉塚」と呼ばれ、農作物を害虫から守る神を祀っていたことが分かりました。また、明治初期の記録には「大量の蝉が発生し、村人一人が行方不明になった」という記述が残されています。


2006年、この神社の周辺で小学生が遊んでいた際、偶然地中から人骨が発見されました。調査の結果、それは1987年に失踪した10歳の少年のものと判明。事件は19年の時を経て解決しました。


さらに興味深いのは、少年の遺体が発見された後、神社周辺で「人の声のような蝉の鳴き声」の報告が激減したことです。地元の古老は「少年の魂が蝉に宿っていたのではないか」と語っています。


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