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怖い話  作者: 健二
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風鈴の囁き


あの風鈴の音を初めて聞いたのは、高校二年の夏の始まりだった。


転校生の私、佐藤美咲は、父の転勤で東京から島根県の小さな町にやってきた。古い町並みが残る静かな場所で、私たち家族は築八十年という古民家を借りることになった。「歴史ある家だから大切に使ってくださいね」と大家さんは言った。


引っ越し当日、玄関先で不思議なものを見つけた。古びた青い風鈴が、軒先に一つだけ下がっていた。


「これ、前の住人のものかな?」と母が言うと、大家さんは首を横に振った。


「いいえ、この風鈴はこの家のものです。百年以上前から代々受け継がれてきたもので…」少し言いよどんで、「大切にしてください。決して外さないでくださいね」と付け加えた。


その日から、私の奇妙な夏が始まった。


最初の晩、風もないのに風鈴が鳴った。「チリンチリン」という澄んだ音色が、静かな夜に響く。窓を開けて外を見たが、風は全く吹いていない。それでも風鈴は鳴り続けていた。


「気のせいよ」と母は言った。「古い家だから、建物が少し揺れているのかもしれないわ」


学校が始まると、クラスメイトたちは私に興味津々だった。特に隣の席の由香里は、すぐに私に話しかけてくれた。


「佐藤さんの家って、あの青い屋根の古民家でしょ?」


私が頷くと、由香里は少し表情を曇らせた。


「あそこね、変な噂があるんだ…」


放課後、由香里は私を近くの公園に連れて行き、私の家についての噂を話してくれた。


「あの家には『呼び鈴』があるって言われてるの」


「呼び鈴?」


「うん、死者を呼び寄せる風鈴。前に住んでた家族も、その前の家族も、みんな不幸なことがあって引っ越していったんだって」


私は笑った。「そんな迷信、信じないよ」


由香里は真剣な顔で続けた。「でもね、あの風鈴が鳴ると、亡くなった人が家に戻ってくるって言われてるんだ。特に、お盆の時期に…」


その夜から、風鈴の音が気になり始めた。風がないのに鳴る青い風鈴。その音色は美しいのに、どこか寂しげで、まるで誰かが話しかけているようにも聞こえた。


数日後、夕食の席で父が言った。「最近、変な夢を見るんだ。知らない老人が玄関に立って、中に入れてくれって言うんだよ」


母も頷いた。「私も同じ夢を見たわ。白髪のおじいさんでしょ?」


私は震えた。私も同じ夢を見ていたからだ。


その週末、祖母が東京から遊びに来た。家に着くなり、祖母は玄関の風鈴を見て立ち止まった。


「これは…」


父が「どうしたの、お母さん?」と尋ねると、祖母は何かを思い出すように目を細めた。


「この風鈴、私が子供の頃に見たものと同じだわ。祖父の家にあったの」


夕食後、祖母は古いアルバムを取り出した。そこには祖母の祖父、つまり私のひいひいおじいさんの写真があった。白髪の老人…夢に出てきた人と同じ顔だった。


「この人は海で亡くなったの。行方不明になって、遺体は見つからなかったわ」と祖母は言った。「それから家族は風鈴を大切にするようになったの。『魂の帰り道』だって」


その夜、いつもより強く風鈴が鳴った。私は窓辺に立ち、外を見た。月明かりに照らされた庭に、一人の老人が立っていた。白髪に背広姿、写真で見たひいひいおじいさんそのものだ。


恐怖で声も出ない中、老人はゆっくりと家の方を見上げた。私と目が合った瞬間、老人は微笑んだ。そして、口を動かした。何かを言っているようだったが、聞こえない。


次の瞬間、老人の姿は消え、風鈴が激しく鳴り響いた。


翌朝、夢だと思いたかったが、庭には足跡が残されていた。誰のものでもない、古い革靴の跡。


学校で由香里に昨夜のことを話すと、彼女は青ざめた顔で言った。


「お盆が近いからだよ。風鈴が死者を呼んでるんだ」


帰宅すると、祖母が待っていた。「美咲、ちょっと話があるの」


祖母は昨夜、同じ老人を見たと言う。「あれは祖父よ。きっと何か伝えたいことがあるのね」


私は昨夜見た老人の口の動きを思い出した。「『風鈴』って言ってたのかも」


祖母はハッとした表情になり、玄関の風鈴を見に行った。注意深く風鈴を手に取ると、祖母は底の部分を調べ始めた。そして何かを見つけたように、風鈴の下部をそっと開けた。


中から小さな紙片が出てきた。黄ばんだ和紙に、かすれた筆跡で何かが書かれている。


「これは…祖父の筆跡だわ」


祖母が読み上げると、それは未完の遺言だった。祖父が海で遭難する前に書いたもので、家族への思いと、隠してあった家の財産についての記述があった。しかし途中で終わっていた。


「だから戻ってきたのね。遺言を完成させるために」


その夜、風鈴は特に美しい音色で鳴り続けた。私たち家族は縁側に座り、風鈴の下で祖父の話を聞いた。祖母が昔の思い出話をし、時には「そうだったわね、お父さん」と空に向かって話しかけると、風鈴が優しく応えるように鳴った。


お盆の入りの日、私たちは祖父の遺言に従って、庭の古い桜の木の根元を掘った。そこから錆びた金属の箱が出てきた。中には古い写真と手紙、そして小さな袋があった。


手紙には、祖父が最期に残そうとした言葉が書かれていた。家族への愛と、彼が命を落とした日の真実。祖父は嵐の中、他の漁師を救うために自分の命を犠牲にしたのだった。


小さな袋の中には、青い風鈴のミニチュアがあった。手のひらに乗るサイズの、美しいガラス細工だ。


「これは…」祖母の目に涙が浮かんだ。「結婚記念日に祖父がくれたものの一つ。紛失したと思っていたわ」


その晩、風鈴は穏やかに鳴り、夜明けとともに音は止んだ。


お盆の間、私たちは毎晩、風鈴の下で過ごした。時々、庭に老人の姿が見えることもあったが、もう怖くはなかった。最終日、祖父の姿は庭に立ち、私たちに向かって深々と頭を下げた。そして微笑みながら、姿を消した。


それから風鈴は、普通の風鈴になった。風が吹いた時だけ鳴り、不思議な現象は起きなくなった。


秋になり、大家さんが訪ねてきた。風鈴のことを尋ねると、彼はこう言った。


「実はあの風鈴、『つなぎ風鈴』と呼ばれているんです。この地方では、亡くなった人の魂が家族のもとに戻る道しるべになると信じられていて。特に、言い残したことがある人の魂を導くと…」


彼の説明で、この家が代々、身寄りのない老人の療養場所として使われていたことを知った。多くの人が最期をここで迎え、家族に会えずに亡くなった人も多かったという。


「だから風鈴を残したんです。帰りたい魂のために」


あれから一年が経った。今年のお盆、私たちは再び風鈴の下で過ごした。今度は祖父の姿は見えなかったが、風鈴は静かに、穏やかに鳴り続けた。


ある晩、私は風鈴の音に混じって、かすかな声を聞いた。


「ありがとう…」


誰の声だったのかはわからない。けれど、それは一人ではなかった気がする。この家で最期を迎え、家族に会いたいと願った多くの人々の声だったのかもしれない。


私は今でも、風のない夜に風鈴が鳴ると、窓辺に立つ。そして挨拶をする。


「お帰りなさい」


---


島根県の山間部にある小さな町で、2015年に実際に起きた出来事が、この物語の背景になっています。


この町には「つなぎ風鈴」と呼ばれる風習があり、亡くなった家族の魂を導くために特別な青い風鈴を軒先に吊るす習慣が古くから残っています。地元の古老によれば、この風鈴は「魂の道しるべ」として、特にお盆の時期に重要な役割を果たすといいます。


2015年8月、この町に移住してきた東京の家族が体験した不思議な出来事が地元の新聞で取り上げられました。彼らは古民家を借りた際、軒先に吊るされていた古い風鈴について、風がないのに鳴るという現象を報告しています。


さらに興味深いのは、彼らが風鈴の中から発見した古い手紙です。調査の結果、それは約70年前に海難事故で亡くなった前住人のものと判明しました。手紙には家族への思いと、家の敷地内に何かを隠したという記述があったといいます。


地元の民俗学者が調査したところ、この地域では風鈴を通じて死者と対話できると信じる風習が明治時代から記録されていました。特に、お盆の期間中に風鈴が自然に鳴り出すことを「魂の帰還」の印とし、故人を迎える準備をする習慣があったといいます。


2018年には、島根大学の研究チームがこの「つなぎ風鈴」現象を科学的に調査。風がない状態でも風鈴が振動する現象が確認されましたが、その原因は特定されていません。温度差や建物の微振動では説明できない規則的な動きが記録されたといいます。


今でもこの町では、お盆になると青い風鈴を軒先に吊るす家が多く見られます。そして時々、風のない夜に風鈴の音が聞こえることがあるという。

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