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怖い話  作者: 健二
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雷の子守唄


空が光った。その一瞬後、轟音が山々を震わせた。


「五キロ先だな」


僕は窓辺に座りながら、光と音の間隔を数えていた。一秒で音が進む距離はおよそ340メートル。五秒なら約1.7キロ。今のは五秒弱。意外と近い。


高校二年の夏休み、僕は母方の祖母が住む福島県の山村に帰省していた。都会に比べて涼しいとはいえ、日中は蒸し暑い。だが夕方になると、ほぼ毎日のように雷雨がやってくる。


「雷様が怒っとるね」


縁側で冷たい麦茶を飲みながら、祖母が言った。この辺りでは、雷を「雷様」と呼ぶ。ただの自然現象ではなく、神様として崇めているのだ。


「東京じゃ、こんなに雷が鳴らないよ」


「ここは雷の道だからね」


祖母によれば、この山の峰々は「雷の道」と呼ばれていた。古くから雷が多く、雷神を祀る小さな祠も点在しているという。


「明日、雷神様に挨拶に行っておいで」


翌日、僕は祖母から聞いた山道を登り始めた。夏の日差しが強く、Tシャツは汗でじっとりと背中に張り付いていた。道は途中から獣道のようになり、藪をかき分けながら進む。


一時間ほど歩いたところで、ようやく祠を見つけた。木立に囲まれた小さな石の祠。前には朽ちかけた鳥居があり、苔むした石段が三段ほど続いている。


何となく居心地の悪さを感じながらも、僕は祖母に言われた通り、持参した水と塩をお供えした。手を合わせると、周囲が急に静かになったように感じた。蝉の声も、風の音も、全て消えたかのようだ。


「…ありがとう」


背後から、かすかな声が聞こえた気がした。振り返ると、そこには十歳ほどの少年が立っていた。痩せた体に、白い着物。現代の子供の姿ではない。


「君は…?」


少年は笑うと、一瞬で藪の中に消えた。追いかけようとした瞬間、雷鳴が轟き、急に空が暗くなった。


「やばい、帰らないと」


下山を始めたものの、突然の夕立で視界が悪くなり、道を見失ってしまった。雨は激しさを増し、足元は小川のようになっている。雷鳴が次々と鳴り響き、恐怖で体が硬直した。


その時、ふと左手に目をやると、さっきの少年が立っていた。彼は手招きをしている。危険を感じながらも、他に頼るものがなかった僕は、少年の後を追った。


少年は時々振り返り、微笑みながら先導してくれる。不思議なことに、少年のいる場所だけ雨が降っていないように見えた。


やがて見覚えのある道に出た。少年は振り返ると、「気をつけて」と言い、再び姿を消した。


祖母の家に戻ると、祖母は心配そうな顔で出迎えてくれた。


「雷様の祠に行ったのかい?」


事情を話すと、祖母は青ざめた顔になった。


「その子に会ったのかい?」


「知ってるの?」


祖母は古い箪笥から、色あせた写真を取り出した。それは白黒の集合写真で、村の子供たちが写っていた。その中の一人、白い服を着た少年に見覚えがあった。


「八十年前、大雨で川が氾濫したときの話。村の子供たちが遊んでいたところを、急な鉄砲水が襲ったんだよ。五人の子供が流されて…。でも不思議なことに、一人だけ助かった子がいた。その子は『白い着物の少年に高台に導かれた』と言ったんだ」


その時、雷鳴が鳴り響いた。窓の外を見ると、さっきの少年が立っていた。彼は手を振ると、雷光の中に溶けるように消えた。


その夜、僕は奇妙な夢を見た。雷の中を走る少年の姿。彼は雷に打たれ、光の粒子になって空へと昇っていく。そして雷神らしき巨大な姿が、その光を両手で包み込む。


「雷神様の子になったんだね」と夢の中で祖母が言った。


朝になって目を覚ますと、僕の枕元に小さな雷の形をした石が置かれていた。誰が置いたのか、祖母に聞いても知らないという。


その日から、雷の鳴る夜になると、僕は子守唄のような歌声を聞くようになった。それは遠い雷鳴の中から聞こえてくる、少年の歌声だった。


夏休みが終わり、東京に戻る前日。最後にもう一度、雷神様の祠を訪れた。お礼を言うと、空が晴れているにもかかわらず、遠くで雷鳴が聞こえた。それは「さようなら」という挨拶のようだった。


あれから十年が経った。祖母は亡くなり、あの家も売られてしまった。しかし、夏になると僕はいつも窓を開け、雷の音に耳を澄ます。時々、雷鳴の間に、あの子守唄が聞こえてくるような気がするのだ。


---


この物語のモチーフとなった「雷の子」の伝承は、東北地方の山間部で実際に伝えられているものです。


2015年、福島県の山村で起きた出来事が、地元紙に報じられました。雷雨の中、道に迷った登山者が「白い服を着た少年に導かれて」無事に下山したというのです。登山者は「少年のいる場所だけ雨が降っていなかった」と証言しています。


また、2018年には福島県の民俗学者による調査で、この地域に「雷神の子」伝承が存在することが確認されました。それによると、江戸時代末期の洪水で亡くなった子供が雷神に拾われ、雷を操る能力を持つようになったという言い伝えがあるそうです。


さらに興味深いのは、この地域の雷神を祀った祠には今も「子供のための供物」が絶えないことです。飴や小さなおもちゃが供えられ、地元の人々は「雷の子に届くように」と言います。


2019年夏、NHKの民俗調査チームがこの地域で録音した雷鳴には、波形分析で説明できない「歌声に似た周波数」が含まれていたと報告されています。専門家は「自然現象の中に人の声に似た周波数が混じることはある」と説明していますが、地元の人々は「雷の子が歌っている」と信じています。


今も夏の夕立の中、道に迷った人を導く白い服の少年の目撃情報は絶えません。彼は迷い人を助けると、雷光の中に消えるといいます。


もし夏の山道で雷に遭遇し、白い服を着た少年を見かけたら、それは単なる幻ではないかもしれません。彼はあなたを安全な場所へと導こうとしている「雷の子」なのかもしれないのです。

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