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怖い話  作者: 健二
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案山子の目


真夏の炎天下、私は祖父母の住む田舎町へと向かっていた。都会の喧騒から逃れるはずの夏休み。しかし、その田舎町で目にしたものは、私の人生を永遠に変えることになる。


東京から特急で三時間、さらにローカル線に乗り換えて一時間。窓の外に広がる田園風景が、都会育ちの私には新鮮だった。駅に着くと、祖父が軽トラックで迎えに来ていた。


「久しぶりだな、恵。すっかり大きくなって」


祖父の笑顔は変わらず温かかったが、どこか疲れているように見えた。


私が祖父母の家を訪れるのは三年ぶりだった。中学生の時に来て以来、高校二年生になった今年、再び夏を過ごしに来たのだ。


軽トラックは狭い農道を進んでいく。広大な田んぼの中に、点々と案山子かかしが立っていた。


「なんだか案山子、多くない?」


祖父は運転しながら答えた。


「ああ、最近獣害がひどくてな。それに…」


言葉を濁した祖父の表情に、一瞬、不安が過ぎった。


祖父母の家は、集落から少し離れた場所にある古い農家だった。庭には季節の花が咲き、縁側には風鈴が下がっている。懐かしい光景だ。


祖母は温かく迎えてくれたが、彼女も何か心配事があるように見えた。


「恵ちゃん、田んぼの方には一人で行かないでね」


何気ない会話の中で、祖母はそう言った。


「どうして?」


「最近、変なことが起きてるんだよ」


祖父が代わりに答えた。


「田んぼの案山子が、夜になると動くって噂があってな」


私は思わず笑ってしまった。


「冗談でしょ? 案山子が動くなんて」


しかし、祖父も祖母も笑わなかった。


その夜、私は二階の客間に布団を敷いてもらった。窓からは満月に照らされた田んぼが見える。遠くに立つ案山子の影が、月明かりに浮かび上がっていた。


夜中、突然の物音で目が覚めた。


カサカサ…カサカサ…


藁がこすれる音のようだった。窓の外を見ると、月明かりの中、不思議な光景が広がっていた。


田んぼに立つ案山子が、わずかに首を傾げていたのだ。


「気のせい…」


そう思った矢先、案山子がゆっくりと顔を上げ、まるで私の方を見ているかのように首を回した。


恐怖で息が止まりそうになった。案山子は明らかに動いていた。しかも一体だけではない。田んぼ中の案山子が、少しずつ位置を変えているように見えた。


怖くて眠れなくなった私は、夜が明けるまでじっと布団の中で震えていた。


朝食の時、昨夜見たことを話そうとしたが、祖父母の憔悴した表情を見て言葉を飲み込んだ。代わりに、


「この辺りの案山子って、何か特別なの?」


と尋ねた。


祖父はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。


「この村には昔から『田の神様』を祀る風習があってな。案山子は単なる鳥獣除けじゃない。田の神様の依り代なんだよ」


祖母が続けた。


「でも去年、村の青年が田んぼで案山子を壊して回ったんだ。酔っ払って悪ふざけしたんだけど…」


「それから?」


「その青年は翌日、田んぼで倒れているところを見つかった。意識不明のまま、今も病院にいる」


私の背筋に冷たいものが走った。


「それから村では奇妙なことが続いているんだ」と祖父は言った。「作物が突然枯れたり、夜に田んぼから奇妙な声が聞こえたり…」


「それで案山子を増やしたの?」


祖父は頷いた。


「田の神様の怒りを鎮めるためにな。村の長老が言うには、案山子を立てて供物をすれば、神様は許してくれるかもしれないと」


その日、私は村を散策することにした。昼間の田んぼは平和そのもので、案山子は風に揺られているだけだった。


村の小さな商店で飲み物を買っていると、店主のおばあさんが話しかけてきた。


「あんた、佐藤さんとこの孫かい?」


私が頷くと、おばあさんは周りを見回してから小声で言った。


「夜になったら、外に出ちゃダメだよ。特に新月の夜はね」


「どうしてですか?」


「案山子の目が見えるから」


不思議に思って尋ねると、おばあさんは古い言い伝えを教えてくれた。


この村では昔から、新月の夜に田の神様が案山子に宿ると信じられてきた。神様は作物の様子を見て回り、不作法な人間を罰するという。


「でも、案山子の目を直接見てはいけない。目が合うと、魂を抜かれるって言われてるんだよ」


その話を聞いた私は、なぜか昨夜の案山子を思い出した。あの時、案山子は確かに私の方を見ていた。


「今夜は…新月ですか?」


おばあさんはゆっくりと頷いた。


夕食後、私は再び二階の部屋に戻った。窓の外は新月で、星明かりだけが田んぼを照らしている。


案山子は昼間と同じ位置に立っていた。しかし、私には何か違和感があった。昨日より、案山子が家の方に近づいているように見えたのだ。


「気のせいよ…」


そう自分に言い聞かせながら、私は電気を消して布団に入った。


夜中、またあの音で目が覚めた。


カサカサ…カサカサ…


恐る恐る窓に近づくと、田んぼの中に人影が見えた。月がないため暗くて良く見えない。しかし、その影はどう見ても案山子ではなく、人間のようだった。


誰かが夜中に田んぼにいる?


好奇心と恐怖が入り混じった気持ちで、私はそっと家を出た。祖父母は深く眠っている。


外に出ると、夏の夜風が肌を撫でた。田んぼの方から、再び藁のこすれる音が聞こえる。


懐中電灯を持っていなかったので、スマホの明かりを頼りに、私は田んぼの畦道を歩き始めた。


近づくにつれ、人影はよく見えるようになった。それは確かに人間だった。腰をかがめて何かをしている。


「誰ですか?」


声をかけると、その人影はゆっくりと振り向いた。


スマホの明かりが顔を照らした瞬間、私は悲鳴を上げそうになった。


そこにいたのは人間ではなかった。人の形をしているものの、顔は布で作られ、藁でできた体は所々ほつれていた。案山子だったのだ。しかし、それは明らかに動いていた。


恐怖で足がすくみ、その場から動けなくなった。案山子はゆっくりと私に近づいてきた。


その時、案山子の顔に描かれた目が、急に光ったように見えた。私はとっさに目をそらした。おばあさんの言葉を思い出したからだ。


「目を見てはいけない」


案山子は私の前で立ち止まった。藁の手が伸びてきて、私の肩に触れようとする。


絶体絶命のその時、遠くから声が聞こえた。


「恵! そこにいるのか!」


祖父の声だった。懐中電灯の強い光が田んぼを照らす。


その光を浴びた途端、案山子は急に動きを止めた。そして風に吹かれるように、ゆっくりと田んぼの中に倒れ込んだ。


祖父が駆けつけてきた時には、そこにあるのは普通の案山子だった。倒れて壊れているだけの。


「何をしているんだ、こんな夜中に!」


祖父の怒りの声に、私は涙が出そうになった。


「案山子が…動いてたの」


祖父は黙って私の手を引き、家に連れ戻した。


家に戻ると、祖母が心配そうに待っていた。二人に事情を説明すると、祖父と祖母は顔を見合わせた。


「やはり来てしまったか…」と祖父は呟いた。


祖父によれば、案山子に宿る田の神様は通常、人に危害を加えることはない。しかし、神様を侮辱した場合は別だという。


「あの青年が案山子を壊して以来、村では奇妙なことが続いている。でも、よそ者には危害が及ばないと思っていたんだが…」


「私、何かしたの?」


祖母が答えた。


「あなたが来る前日、この家の前の田んぼの案山子が倒れていたの。風で倒れたと思って、私たちが直したんだけど…」


「もしかして、それが神様の怒りを買ったのかもしれんな」と祖父は言った。


その夜、私たちは家の中で灯りをつけたまま朝を待った。


翌朝、祖父と私は田んぼに行ってみた。昨夜倒れた案山子は元の位置に立っていた。しかし、誰が直したのかは分からない。


祖父は村の長老に相談し、その日の夕方、特別な祈祷が行われることになった。


村の古老たちが集まり、田んぼの中で案山子に向かって祈りを捧げた。神主さんも呼ばれ、神事が執り行われた。


私も参加して、心から謝罪の気持ちを込めて祈った。


その夜は何事もなく過ぎた。案山子は動かず、奇妙な音も聞こえなかった。


しかし、帰京の日、駅へ向かう車の中で、祖父は私に言った。


「恵、東京に帰っても、夜に窓の外を見るときは気をつけなさい」


「どうして?」


「田の神様の目は、一度合ったら、どこまでも追ってくる」


その言葉に、私は思わず背筋が凍りついた。


東京に戻って一週間後のこと。深夜、私は突然の物音で目を覚ました。


カサカサ…カサカサ…


ベッドから起き上がり、窓の外を見ると、マンションの14階にもかかわらず、ベランダに何かがいた。


月明かりに照らされたそれは、藁でできた人の形だった。


---


この物語の背景には、実際の日本の農村地域に伝わる案山子かかしと田の神様に関する伝承があります。


2015年、長野県の山間部の村で実際に起きた出来事として、案山子に関する不可解な現象が報告されています。地元の農家が監視カメラを設置したところ、夜間に案山子の位置が微妙に変わっていることが記録されたのです。防犯カメラの映像には、風がないにもかかわらず、案山子がわずかに動く様子が捉えられていました。

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