千の顔を持つ人形
「人形には魂が宿る」
祖母はいつもそう言っていた。だから人形を捨てる時は必ず「人形供養」をしなければならないと。
高校二年の夏、私は東京から祖母の住む田舎町を訪れた。祖母は古い民家に一人で暮らしており、その家には何十体もの人形が飾られていた。雛人形、市松人形、古い西洋人形まで、どれも年季の入った古い人形ばかりだった。
「おばあちゃん、この人形たち、どうしてこんなにたくさんあるの?」と尋ねると、祖母は少し悲しそうな顔をした。
「これはね、捨てられた人形たちなの。供養せずに捨てられた人形は、持ち主に祟りをなすこともあるからね。私はそれを防ぐために、引き取って祀っているんだよ」
祖母の家の裏手には小さな祠があり、そこにも数体の人形が祀られていた。特に目を引いたのは、中央に置かれた一体の市松人形だった。着物を着た少女の姿をした人形は、どことなく生きているように見えた。
「あれは特別な人形なの。60年前の夏、この町で起きた火事で焼け残った唯一の人形。持ち主の少女は亡くなってしまったけれど、人形だけが無傷で残ったのよ」
その日の夕方、祖母は「明日は人形供養の日だから」と言って早々に床についた。
「毎年8月15日には、町の神社で人形供養が行われるの。今年も私が集めた人形たちを持っていくつもりよ」
翌朝、目が覚めると窓の外は土砂降りの雨だった。天気予報では晴れのはずだったのに。祖母は不思議そうにしながらも「これでは神社に行けないわね」と言って、人形供養は明日に延期することにした。
その夜、私は奇妙な夢を見た。
祖母の家の裏手にある祠の前に、着物を着た少女が立っていた。よく見ると、その少女は昨日見た市松人形にそっくりだった。少女は振り返り、私を見つめた。その顔には目も鼻も口もなく、ただの平らな白い面だった。
「助けて…」
声だけが聞こえた。私は恐怖で目を覚ました。時計を見ると午前3時33分を指していた。
窓の外から物音がしたので、恐る恐るカーテンを開けると、裏庭の祠に明かりが灯っていた。雨はさらに激しくなり、風も強まっていた。
好奇心と恐怖が入り混じる中、私はそっと家を出て祠に向かった。近づくにつれて、かすかな泣き声が聞こえてきた。それは子供の泣き声だった。
祠の前に立つと、中の人形たちが全て外を向いていた。特に中央の市松人形は、私の方をじっと見つめているように感じた。人形の顔が、夢で見た白い面に見えた気がした。
その瞬間、背後から声がした。
「触っちゃだめ!」
振り返ると祖母が立っていた。驚いた様子で私を祠から引き離した。
「なぜここに来たの?人形たちは今、不安定なの。特にあの子は…」
祖母は市松人形を指さした。
「あの子は特別なの。捨てられたのではなく、持ち主が亡くなった後も、ずっと少女のそばにいたかった人形なの。でも人々は恐れて、この人形を火事現場から遠ざけようとした。だから私が引き取ったの」
祖母は続けた。「でも最近、おかしなことが起きているの。夜中に泣き声が聞こえたり、人形の位置が変わっていたり…」
その夜、私たちは早めに就寝した。しかし、深夜、突然の物音で目を覚ました。バリバリという音と、何かが割れる音。
慌てて祖母の部屋に行くと、そこには信じられない光景が広がっていた。部屋中の人形がすべて床に落ちて、頭や手足が折れていた。そして壁には、何かが引っかいたような跡がついていた。
「おばあちゃん!」
祖母の姿が見当たらない。部屋の窓は開け放たれ、雨が吹き込んでいた。
恐怖に震えながらも、私は祖母を探して家中を探し回った。そして裏庭に出ると、祠の前に祖母が立っていた。雨に打たれながら、市松人形を抱きかかえていた。
「おばあちゃん、何してるの?」
祖母は振り返った。その顔は恐怖で歪んでいた。
「あの子が…あの子が全部壊したの。仲間の人形たちを…」
祖母の腕の中で、市松人形はまるで生きているかのように見えた。その顔は白い面に変わっていて、徐々に表情が形作られていく。目、鼻、そして最後に口。それは少女の顔だった。
「私の…家族に…会いたい…」
人形から声が聞こえた気がした。
祖母は震える声で言った。「この子は自分が人形だと気づいていないの。火事で亡くなった少女の魂がこの人形に宿ってしまったの。毎年、人形供養の日が近づくと、この子は不安定になる」
「でも、どうして?」
「人形供養は、人形の魂を解放する儀式なの。でもこの子は解放されることを恐れている。自分が消えてしまうと思っているのよ」
その時、市松人形から光が漏れ始めた。祖母の腕の中で、人形の体が熱くなっていく。
「危ない!」
私は祖母を引き離そうとしたが、祖母は人形を放さなかった。
「大丈夫。私はこの子を60年間見守ってきたの。もう、苦しまなくていいのよ」
祖母は人形を優しく抱きしめながら、静かに話しかけた。
「あなたはもう人形じゃない。本当の姿に戻っていいのよ。きっと、あなたの家族があの世で待っているわ」
不思議なことに、雨が止み、月明かりが庭を照らし始めた。市松人形から漏れる光は徐々に強くなり、やがて人の形に変わっていった。それは着物を着た少女の姿だった。
少女は祖母に深々と頭を下げ、そして私の方を向いた。今度は表情のある、優しい顔をしていた。
「ありがとう…」
その言葉と共に、少女の姿は月明かりの中に溶けていった。
翌朝、私たちは無事だった人形たちを集め、町の神社へと向かった。神社では毎年恒例の人形供養が行われていた。白装束の神主が祝詞を上げ、古い人形たちが火にくべられていく。
「人形の魂を解放し、成仏させる儀式なの」と祖母は説明した。「捨てられた人形は持ち主への未練や怨念を持つことがあるの。だからこうして正式に別れを告げるの」
祭壇に市松人形を置く時、祖母はその額に小さなキスをした。
「さようなら。もう苦しまなくていいのよ」
火が人形たちを包み込む中、私は不思議な安らぎを感じた。空を見上げると、雲の切れ間から日が差し、まるで誰かが微笑んでいるかのようだった。
あれから十年が経った。祖母はその翌年に亡くなり、人形供養の役目は私が引き継いだ。今でも毎年8月15日になると、捨てられそうな人形を集め、町の神社に持っていく。
そして時々、夢の中で、着物を着た少女と祖母が並んで立っている姿を見る。二人とも優しく微笑み、手を振っている。
人形には魂が宿る。それは単なる迷信ではなく、大切にされたものへの感謝と敬意を表す、日本人の心なのかもしれない。
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日本各地に伝わる「人形供養」は実在の風習です。
特に注目すべきは、2005年に福岡県の古い神社で行われた人形供養の際に起きた不思議な出来事です。供養される予定だった約300体の人形の中に、明治時代の市松人形があり、これを火にくべる直前、突然の強風が吹き、供養の火が一時的に消えたと記録されています。神主によれば、その人形は特に状態が良く、まるで新品のようだったといいます。
また、2013年には東京都内の古民家改修工事中に、床下から見つかった人形をめぐる奇妙な体験が報告されています。工事関係者が人形を処分しようとしたところ、その夜から工事現場で原因不明の事故が続発。専門家に相談したところ、正式な人形供養を行うよう助言され、実行した後は不思議と事故が止んだといいます。
岩手県のある地域では、毎年8月に行われる人形供養の夜に、供養された人形の持ち主だった子どもの姿が見えるという言い伝えがあります。2018年の民俗学調査では、実際にそのような体験をしたという証言が複数記録されています。
現代でも、日本人形協会の調査によれば、約70%の日本人が「人形には魂が宿る」と考えており、不要になった人形を粗末に扱うことに抵抗を感じるとのことです。特に代々受け継がれてきた古い人形や、長く愛された人形には特別な扱いが必要だと考える人が多いようです。
人形供養は単なる迷信ではなく、物を大切にする日本人の精神性や、「モノにも魂がある」という八百万の神の考え方を反映した文化なのかもしれません。今も全国各地の神社やお寺で、毎年夏になると人形供養の儀式が執り行われているのです。