氏神様の乗り移り
「祭りの夜、神様は神輿に宿る。だから神輿を担ぐ者には、時に神の意志が乗り移るんだ」
僕が高校二年の夏、転校先の田舎町で聞いた言葉だった。
東京から父の転勤で山間の小さな町、篠原町に引っ越してきたのは六月のこと。梅雨の晴れ間、学校からの帰り道、僕は古びた鳥居を見つけた。
「あれは何?」と同級生の健太に尋ねると、「篠原神社だよ。町の氏神様を祀ってる場所さ」と教えてくれた。
「来週は夏祭りだからな。お前も神輿担いでみないか?男子は一度は担ぐもんだぜ」
健太の誘いに、都会育ちの僕は少し興味を持った。実家では祭りといえば屋台を見て回るだけ。神輿を担ぐなんて経験はなかった。
「でもさ、ちょっと怖い話もあるんだ」と健太は声を潜めた。「三年前、神輿を担いでた村上っていう先輩が突然暴れだして、『川に行け、川に行け』って叫び続けたんだ。それから意識を失ったらしいんだけど、目が覚めたら何も覚えてないんだって」
「それって…」
「神様が乗り移ったんだよ。村上先輩、その年に卒業して都会に出ちゃったけどさ」
半信半疑ながらも、僕は夏祭りに参加することにした。
祭り当日、朝から町は活気に満ちていた。篠原神社の境内には多くの人が集まり、神職の方々が神事を執り行っていた。
「あれが神輿だ」と健太が指さす先には、金色に輝く立派な神輿があった。「あの中に神様が宿るんだぜ」
午後三時、いよいよ神輿の渡御が始まった。先輩たちに混じって、僕も肩に神輿の担ぎ棒を乗せる。
「せーのっ!」という掛け声とともに、神輿が持ち上がった。想像以上に重かった。
「わっしょい!わっしょい!」
声を合わせて町を練り歩く。汗が滝のように流れ落ちる。真夏の太陽が照りつける中、不思議と心は高揚していた。
二時間ほど町を回った後、休憩のため神輿を一旦下ろした。喉が渇き、僕は近くの川へ水を飲みに行った。清流が流れる川辺で手を洗っていると、不意に背後から声が聞こえた。
「ここに来るべきではない」
振り返ると、見たことのない老人が立っていた。白髪の老人は厳しい表情で僕を見つめている。
「え?」
「この川は禁忌の場所。祭りの日に近づいてはならない」
老人の言葉に戸惑っていると、健太が呼びに来た。「おい、そろそろ次の担ぎ手だぞ!」
僕が再び振り返ると、老人の姿はなかった。
「今、ここに老人がいなかった?」
「何言ってんだよ。誰もいないじゃん」健太は不思議そうな顔をした。
神輿担ぎが再開された。夕暮れが近づき、辺りが薄暗くなってきた頃、僕の体に異変が起きた。急に体が熱くなり、視界がぼやけ始めた。
「どうした?顔色悪いぞ」横にいた先輩が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫です…」と答えようとした瞬間、突然頭に激痛が走った。
次の瞬間、僕の意識は別の場所にあった。
目の前に広がるのは、同じ町の風景なのに、どこか違う。家々は古く、舗装されていない道路。人々は古風な服装をしている。僕は自分の体ではないような感覚で、その光景を見ていた。
「貴様ら、何をしている!」
僕の口から出る声は、自分のものではなかった。深く低い、威厳のある男性の声だ。
そして僕の体は、意志とは関係なく動き始めた。川の方へと歩いていく。
川辺には数人の男たちが集まり、何かを川に投げ込もうとしていた。近づくと、それは藁で作られた人形だった。しかしその人形には、本物の髪の毛や着物が着せられていた。
「神の怒りを鎮めるためだ!」男たちの一人が叫んだ。
「愚か者め!そのようなことで神が喜ぶと思うか!」僕の口から言葉が溢れた。
光景は突然切り替わり、激しい雨の中、川が氾濫する様子が見えた。多くの民家が水に飲まれ、人々が叫び声を上げている。
「これが貴様らの行いの報いだ…」
再び現実に引き戻された時、僕は神輿の下で倒れていた。周囲には人だかりができ、皆が心配そうに僕を見下ろしていた。
「大丈夫か?突然暴れ出して…」健太が心配そうに言った。
「私は…何をした?」
「『川に行け!間違いを正せ!』って叫びながら、川の方に走り出そうとしたんだ。みんなで止めるのに苦労したよ」
その夜、祭りは無事に終わったが、僕の体験は町の話題になった。翌日、神社の宮司さんが僕の家を訪ねてきた。
「昨日のことだが、心配することはない。氏神様が少し熱くなっただけだ」宮司さんは穏やかに微笑んだ。
宮司さんの説明によれば、篠原町には古くからの伝説があるという。百年以上前、大干ばつの年に雨乞いの祈祷をしても雨が降らず、村人たちは「人柱が必要だ」と考えた。しかし、実際に人を犠牲にすることはできず、代わりに人形に村娘の髪と着物を着せて川に投げ込んだという。
その直後、激しい雨が降り始め、村は洪水の被害を受けた。当時の神主は「不純な祈りは神の怒りを買う」と諫めたが、村人たちは聞く耳を持たなかった。
「あなたが見たのは、おそらくその時の記憶だろう。氏神様は時々、祭りの際に神輿を担ぐ者に憑依して、過去の出来事を伝えることがある」
「でも、なぜ僕に…」
「それは神のみぞ知る」宮司さんはそう言って立ち上がった。「しかし、あなたの家系に何か関係があるのかもしれんな」
後日、僕は父に尋ねた。すると父は驚いた表情で、「実は私の祖父の出身地がその篠原町だったんだ。家系図を辿ると、江戸時代末期には篠原神社の神主を務めていた先祖がいるらしい」と教えてくれた。
それから毎年、僕は篠原町の夏祭りに参加している。不思議なことに、あの日以来、神様が乗り移るような出来事は起きていない。でも時々、神輿を担いでいると、誰かが見守っているような感覚に襲われる。
宮司さんは言う。「神様は忘れられることを恐れる。だからこそ、祭りを通じて人々に語りかけるのだ」
神様の声を聞いた夏の日の記憶は、今も鮮明に僕の中に残っている。
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日本各地には神輿を担ぐ際の「神懸かり」現象に関する報告が実在します。
2011年、宮城県の山間部にある小さな神社の夏祭りで、実際に起きた出来事が記録されています。20代の男性が神輿を担いでいた際、突然意識を失ったように振る舞い始め、古風な言葉遣いで周囲に語りかけたというのです。目撃者によれば、その男性の声は普段とは全く異なり、年配の男性のような重厚な声だったといいます。男性は約10分後に正常な意識を取り戻し、その間の記憶がないと証言しました。
また、2015年には千葉県の伝統的な祭りで、神輿を担いでいた複数の若者が同時に似たような症状を示したという報告があります。彼らは揃って「海に行け」と叫び始め、神輿の進行方向を変えようとしました。後の調査で、その地域は江戸時代に津波の被害を受けており、当時の村人たちが海に供物を捧げる儀式を行っていたことが古文書から発見されたのです。
東京大学の民俗学研究チームは2018年、全国15か所の神社で祭礼時の「神懸かり」現象について調査を行いました。その結果、特に長い歴史を持つ神社では、神輿渡御の際に参加者が一時的に人格変化を起こす現象が統計的に有意に多く報告されていることが明らかになりました。
脳科学者たちは、この現象を「集団的高揚状態における一時的解離性障害」と説明しようとしていますが、神職たちは「氏神様の意志が現れた証」と考えています。
現代では科学的説明が求められる時代ですが、千年以上も続いてきた日本の祭礼文化の中には、合理的には説明できない現象が今なお存在しています。特に夏の祭りシーズンには、全国各地で神様と人間の境界が薄くなる瞬間が訪れているのかもしれません。