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怖い話  作者: 健二
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紅い金魚


「この屋台だけは、夜九時以降に一人で守ってはいけない」


そう言われたのは、夏祭りのアルバイトを始めた初日のことだった。


俺、佐藤陸は高校二年生。夏休みの小遣い稼ぎに、地元の氏神様である八坂神社の夏祭りで、金魚すくいの屋台を手伝うことになった。このバイトは親戚の紹介で決まったもので、屋台の主である田中さんは、祭りの常連だという。


「なんでですか?」と聞くと、田中さんは少し困ったような表情をした後、「まあ、迷信みたいなもんだよ。でも、守った方がいいルールなんだ」と言うだけだった。


祭りは三日間。初日は何事もなく終わった。金魚すくいは子供たちに人気で、屋台は常に賑わっていた。特に目を引いたのは、水槽の隅にいる一匹の大きな金魚だった。普通の金魚より二回りほど大きく、深い紅色をした美しい魚だ。


「あの金魚はすくわせないんだ。『守り金魚』だからね」と田中さんは言った。


二日目の夕方、突然の夕立で祭りは一時中断。客足も途絶えた。田中さんは少し離れた場所にある本部テントに呼ばれ、「陸くん、ちょっと留守番を頼む。すぐ戻るから」と言って出て行った。


雨の音だけが聞こえる静かな屋台で、俺は暇つぶしに金魚たちを眺めていた。特に「守り金魚」と呼ばれる大きな金魚が気になった。近づいて見ると、その金魚はまるで俺を見つめ返しているようだった。


「おまえ、本当に普通の金魚か?」


冗談のつもりで話しかけると、不思議なことに金魚はゆっくりと頭を動かし、まるで頷いているように見えた。驚いて目を凝らすと、その瞳は人間のように知性を宿しているように思えた。


そのとき、屋台の外から声がした。

「すみません、まだやってますか?」


見上げると、年配の女性が一人、雨の中立っていた。白い浴衣を着た彼女は、雨に濡れているにもかかわらず、どこか乾いているように見えた。


「あ、はい。でも今は休憩中で…」


「一つだけ、金魚をすくわせてもらえませんか?」女性は微笑んだ。「あの赤い大きな金魚が欲しいの」


守り金魚を指差す女性に、俺は困惑した。「すみません、あの金魚はすくえないんです」


女性の表情が変わった。笑顔が消え、目が暗く沈んだ。「でも、私はあの金魚が欲しいの。昔から、ずっと…」


その言葉に不安を感じた俺は、「店主が戻ったら聞いてみます」と言って話をはぐらかそうとした。


女性はため息をついた。「わかったわ。また来るね」

そう言って、彼女は雨の中に消えていった。


数分後、田中さんが戻ってきた。俺は先ほどの女性のことを話した。


「白い浴衣の女性?」田中さんの顔色が変わった。「どんな顔をしていた?」


「年配の方で、優しそうな顔でした。でも、あの守り金魚を欲しがって…」


田中さんは言葉を遮った。「もし彼女がまた来たら、絶対に応じてはダメだ。特に夜九時以降は、一人でこの屋台にいないこと」


田中さんの真剣な表情に、冗談ではないことを悟った。


祭り三日目。最終日は例年以上の賑わいだった。夜八時を過ぎると、徐々に客足は減ってきた。田中さんが「ちょっとトイレに行ってくる」と言い残して立ち去った頃、ちょうど時計は八時四十五分を指していた。


しばらくすると、また彼女が現れた。白い浴衣の女性は、昨日と同じ場所に立っていた。


「こんばんは。また来たわ」女性は微笑んだ。「今日はあの金魚、すくわせてくれる?」


「すみません、やっぱりダメなんです。店主からも言われていて…」


女性の表情が歪んだ。「なぜ?私はただあの金魚が欲しいだけなのに」


彼女の声が変わった。若い女性の声から、かすれた老婆の声へ。そして次の瞬間、彼女の姿も変わった。白い浴衣は所々焦げた黒い布へ、優しかった顔は怒りに満ちた形相へと変わっていった。


「あの金魚は私のもの!」


恐怖で足が竦み、動けなくなった。女性—いや、それはもう人間とは言えない何かだった—が屋台に近づいてくる。彼女の手は異様に長く伸び、水槽に向かって伸びていた。


その瞬間、水槽の守り金魚が跳ねた。水面から高く飛び上がると、空中で光を放ち、人の形に変わっていった。それは赤い着物を着た若い女性の姿だった。


「もう十分です。あなたがこの祭りに現れるのはこれで最後にしてください」


赤い着物の女性の声は、風鈴のように澄んでいた。白い浴衣の化け物は悲鳴を上げ、後ずさりした。


「私はただ…あの時の祭りに戻りたかっただけ…」


「あなたの時代はもう終わりました。安らかにお眠りください」


赤い着物の女性が手を差し出すと、白い浴衣の化け物は徐々に透明になり、やがて夜風に溶けるように消えていった。


その後、赤い着物の女性は俺の方を向いた。

「怖がらせてごめんなさい。私はこの祭りの守り神よ」


彼女の姿も金魚の姿に戻り、水槽に戻っていった。


しばらくして戻ってきた田中さんに、俺は全てを話した。

田中さんは深刻な顔で頷いた。


「実は五十年前、この祭りで火事があったんだ。屋台から火が出て、お客さんが一人亡くなった。白い浴衣を着たおばあさんだった。それ以来、彼女の霊が祭りの時期になると現れるようになった」


田中さんの話によれば、火事の翌年、彼の祖父が屋台を再開した時、不思議な金魚が現れたという。それが「守り金魚」の始まりだった。


「あの金魚は、この祭りを守る神様なんだ。だから『守り金魚』って呼んでいる。彼女がいる限り、祭りは安全だと言われているんだ」


祭りの最終日、閉店作業を終えた後、田中さんは俺に守り金魚の入った小さな水槽を渡した。


「今年からは君が守ってくれないか?」


その金魚は俺を見上げ、小さく頷いたように見えた。


それから三年が経った今でも、毎年夏になると、俺は田中さんの屋台を手伝いながら、守り金魚を祭りに連れて行く。そして夜、屋台に一人でいる時、時々金魚が人の姿に変わり、祭りの昔話を聞かせてくれる。


彼女の話によれば、日本の祭りには様々な神様や精霊が集まるという。人々の願いや祈りを受け取るために、そして時には迷った魂を正しい場所へ導くために。


「祭りは人と神をつなぐ大切な場所。だから私たちは守っているの」


守り金魚はそう言って、毎年祭りを見守り続けている。


---


日本各地の夏祭りには不思議な伝承や実際の体験談が数多く存在します。


2010年、岐阜県の古い神社の夏祭りで興味深い現象が報告されました。祭りの露店で金魚すくいを運営していた男性が、閉店後に水槽の中の一匹の金魚が異常な動きをしたと証言しています。その金魚は水面に浮かび上がり、周囲に赤い光を放ったというのです。翌日、その神社の境内で小さな火の手が上がりましたが、すぐに消し止められました。地元の古老によれば、かつてその場所で起きた火事を、金魚が警告していたのではないかという噂が広まりました。


また、2015年には福岡県の夏祭りで複数の参加者が同様の体験をしています。祭りの最中、ある金魚すくいの屋台に白い着物を着た老婆が現れ、特定の金魚を欲しがったというのです。しかし、その老婆の姿は突然消え、誰も彼女を見かけなくなりました。後日、地元の歴史を調査したところ、約60年前にその場所で行われた祭りで老婆が亡くなったという記録が見つかりました。


東北地方には「祭りの守り神」という信仰があり、特定の動物や物に神が宿ると考えられています。2018年の民俗学研究では、47の夏祭りを調査したところ、21の祭りに「守り物」と呼ばれる特別な存在があることが分かりました。これらは金魚や鳥、時には単なる石ころであっても、祭りの安全を守る神聖な存在として大切にされています。


現代科学では説明できない現象ですが、祭りという非日常の空間では、普段は見えない世界との境界が薄くなるのかもしれません。特に夏の夜、提灯の明かりが揺れる中で、古来より伝わる神々の姿を垣間見ることがあるのかもしれません。そして、それらの存在は今も私たちの祭りを静かに見守り続けているのです。

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