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怖い話  作者: 健二
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風鈴の囁き


夏休みの初日、僕は東京から電車を乗り継いで、母方の祖母が住む九州の古い町へとやって来た。高校二年になる僕にとって、田舎での夏休みは久しぶりのことだった。


「大樹、随分大きくなったねぇ」


玄関先で出迎えた祖母は、僕の顔を見上げながらそう言った。小柄な祖母は、僕が小学生の頃と変わらない優しい笑顔を向けてくれた。


祖母の家は築百年を超える古い日本家屋で、町の中でも有数の古民家として知られていた。縁側から見える庭には大きな松の木があり、風が吹くたびに木陰が揺れる。


「風鈴、飾ってあるね」


縁側に吊るされた青い風鈴は、微風に揺られてチリンチリンと涼しげな音を響かせていた。祖母は嬉しそうに微笑んだ。


「あれはね、あなたのお母さんが子供の頃に買ったものよ。毎年夏になると飾るの。音色がきれいでしょう?」


確かに、その風鈴の音色は透き通るような美しさがあった。でも何か懐かしいような、少し悲しいような、不思議な感覚も覚えた。


「風鈴の音は、あの世とこの世を繋ぐ音と言われてるのよ」祖母は真面目な顔でそう言った。「だから昔の人は、お盆の時期に風鈴を飾って、亡くなった人の声を聞こうとしたんだって」


僕は少し背筋が寒くなったが、そんな迷信を信じる気にはなれなかった。


その夜、僕は二階の客間に布団を敷いてもらった。窓を開けると、風鈴の音が聞こえてくる。カーテンが風に揺れ、月明かりが部屋を照らしていた。


「おやすみ、大樹くん」祖母は部屋を出ていった。


僕はスマホでSNSをチェックしてから、電気を消して横になった。都会の喧騒に慣れた耳には、田舎の夜の静けさが逆に落ち着かない。虫の声と風鈴の音だけが、静寂を破っていた。


チリン、チリン。


風鈴の音を聞きながら、僕は次第に眠りに落ちていった。


「大樹…」


誰かが僕の名前を呼ぶ声で目が覚めた。時計を見ると午前2時。まだ真夜中だ。


「大樹…こっちよ…」


かすかな声が聞こえる。風鈴の音に混ざって、女性の声がする。最初は祖母かと思ったが、若い女性の声だった。


好奇心に駆られて、僕はベッドから起き上がり、廊下に出た。声は一階から聞こえてくる。階段を降りると、月明かりの中、縁側に誰かの影が見えた。


「誰…?」


声をかけると、その影はゆっくりと振り返った。そこには若い女性が立っていた。白い浴衣を着て、長い黒髪を背中に垂らしている。どこか懐かしい顔立ちだ。


「大樹、会いたかったよ」女性は微笑んだ。


「あなたは…?」


「わからない?私よ、理沙」


理沙。その名前に、僕は息を呑んだ。理沙は母の妹、つまり僕の叔母の名前だった。でも、その叔母は僕が生まれる前に亡くなったはずだ。


「嘘だ…叔母さんは…」


「ええ、もうこの世にいないわ」彼女はさらりと言った。「でも、毎年この時期になると、風鈴の音に乗せて声をかけることができるの」


僕は恐怖で体が凍りついた。目の前にいるのは幽霊なのか?それとも夢を見ているのか?


「怖がらないで」理沙は優しく言った。「あなたに会いたくて来たの。お母さんの子供がどんな風に育ったか、ずっと見てみたかったから」


風鈴がチリンと鳴り、その音色が理沙の姿を透き通らせた。彼女は確かにそこにいるのに、どこか実体がないように見えた。


「なんで…僕に?」


「あなたが生まれた日、私は死んだの」理沙は静かに言った。「あなたがこの世に来る時、私はあの世に行った。だから特別な繋がりがあるのよ」


その言葉に、僕は震えた。母からは詳しく聞いたことがなかったが、叔母の理沙が亡くなったのは、確かに僕の誕生日と同じ日だと聞いていた。


「風鈴の音が聞こえる間だけ、こうして話せるの」理沙は縁側に座り、僕を隣に座るよう促した。恐る恐る、僕も腰を下ろした。


「お母さんは元気?」理沙は尋ねた。


「うん…元気だよ」


「そう、良かった」彼女は安心したように微笑んだ。「あなたが元気に育っていることも、嬉しいわ」


風が吹くたびに、風鈴が揺れて音を立てる。そして理沙の姿も、風鈴の音に合わせて揺らめいた。


「叔母さん…どうして亡くなったの?」


理沙は少し悲しそうな顔をした。「自分で選んだことだから、後悔はしていないわ。でも…」


彼女は言葉を切り、風鈴を見上げた。


「この風鈴は私が買ったの。あの日、橋の上で…」


その時、風が止み、風鈴の音も途切れた。理沙の姿がぼやけ始める。


「また来年、会いましょう」理沙の声が遠くなっていく。「でも、気をつけて…あなたも同じ運命を辿らないように…」


そう言い残して、理沙の姿は消えた。僕は一人、月明かりの縁側に取り残された。


翌朝、僕は祖母に尋ねた。


「おばあちゃん、叔母さんはどうして亡くなったの?」


祖母は手を止め、驚いた表情で僕を見た。


「どうして急にそんなことを…」


「昨夜、夢を見たんだ。叔母さんが出てきて、風鈴の音と一緒に話しかけてきた」


祖母の顔から血の気が引いた。「あの子が…?」


祖母は長い間黙っていたが、やがて重い口を開いた。


「理沙は…自ら命を絶ったのよ。あなたが生まれる日、川に身を投げたの」


僕は息を呑んだ。


「理沙はね、あなたのお母さんと同じ人を愛していたの。つまり、あなたのお父さんよ」祖母は静かに続けた。「妹の幸せを祝福できず、でも邪魔もできず…苦しんだ末の選択だった」


「そんな…」


「最後に理沙が買ったのが、あの風鈴。『綺麗な音色で妹の幸せを祝福したい』って言っていたわ」


その日、僕は町の図書館で古い新聞記事を探した。そこには確かに、20年前の僕の誕生日に、若い女性が川で身を投げたという記事があった。


夜、僕は再び風鈴の下に座った。風が吹くたびに鳴る澄んだ音色。その中に、かすかな囁きが聞こえるような気がした。


「叔母さん…」


風鈴は優しく鳴り続けた。


翌日、母に電話で叔母のことを尋ねると、長い沈黙の後、母は泣き始めた。


「理沙は私の命の恩人なの」母は震える声で言った。「あなたが生まれる時、私は難産だった。大量出血で、医者はあなたか私、どちらかしか助からないかもしれないと言ったの」


「え…?」


「でも理沙が、自分の血を提供してくれたの。私と同じ珍しい血液型だったから。おかげで私もあなたも助かった。でも、理沙は献血の後、体調を崩して…」


母の話は、祖母や理沙自身が語ったものとは違っていた。


「川に身を投げたんじゃないの?」


「何を言ってるの?」母は驚いた様子だった。「理沙は病院で亡くなったのよ。意識が朦朧とする中、病院の屋上から落ちてしまったの。事故だと言われているけど…」


真相は闇の中だった。


夏休みの最終日、僕は風鈴の前に座り、理沙に話しかけた。


「叔母さん、本当はどうだったの?」


風が吹き、風鈴が鳴った。しかし、理沙の姿は現れなかった。代わりに、風鈴の紙に何かが浮かび上がるのを見た。


そこには、筆で書かれたような文字で一行だけ。

「あなたを守るために」


その夏以来、僕は毎年祖母の家を訪れ、風鈴の下で理沙を待つようになった。しかし、彼女が再び姿を現すことはなかった。


ただ、風が吹くたびに鳴る風鈴の音色の中に、かすかな女性の声が混ざっているような気がする。それは警告なのか、それとも祝福なのか。


風鈴の音は、この世とあの世の境界を揺らめかせ、時に死者の声を運んでくる。そしてその声は、時に真実を明かし、時に真実を隠す。


今年の夏も、あの青い風鈴は祖母の家の縁側で、静かに揺れている。


---


日本各地には風鈴にまつわる不思議な言い伝えが実在します。


2009年、宮城県の沿岸部で興味深い調査が行われました。この地域では昔から「風鈴の音は死者の声を運ぶ」という言い伝えがあり、特にお盆の時期に風鈴を飾る習慣があったのです。地元の古老によれば、風鈴の音色が特に美しく聞こえる家は「死者が訪れている」とされていました。


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