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怖い話  作者: 健二
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海からの帰還者


夏休み初日、東京から故郷の漁村に帰省した僕は、昔のように海を眺めていた。


「五年ぶりか…」


父の転勤で上京してから、この港町に帰ってくるのは初めてだった。小学生だった頃の記憶が、潮風と共に蘇ってくる。特に、あの不思議な出来事のことを。


「龍介、久しぶり!」


振り返ると、幼なじみの由香が駆け寄ってきた。小学校時代の友人は皆、地元の高校に進学していた。彼女は相変わらず元気な様子で、僕を見るなり満面の笑みを浮かべた。


「おかえり!もう帰ってこないかと思ってた」


「ただいま。夏休みだけだけど」


しばらく世間話をしていると、由香は急に声を潜めた。


「ねえ、覚えてる?あのこと」


僕は黙って頷いた。あの夏のことは、今でも鮮明に覚えている。あれは小学六年生の夏。僕たちが浜辺で見つけた、あの存在のことだ。


「あれから毎年、その日には…」由香は言葉を濁した。「また今年も、あと三日後だね」


僕は静かに頷いた。あの日から五年。毎年、同じ日に同じことが起きていると由香は言う。


「今年は龍介も一緒に見に行こう」


その晩、祖母の家で夕食を取りながら、何気なく尋ねてみた。


「おばあちゃん、この村に『海からの帰還者』って伝説があるって本当?」


箸を持つ祖母の手が、一瞬止まった。


「誰から聞いたの?」


「由香から。小学生の頃、浜辺で見た記憶があるんだ」


祖母は深いため息をついた。


「話すべきではないことだけど…あなたがもう高校生になったなら」


祖母の話によれば、この村には古くから伝わる伝説があるという。毎年夏至の三日後、海から帰ってくる「彼ら」のことだ。


「昔、この村では海の神様を祀る祭りがあったの。でも百年前、大きな嵐で漁師たちが大勢亡くなってから、その祭りは途絶えてしまった」


祖母によれば、その後、毎年同じ日に海から姿を現す存在がいるという。人の姿をしているが、その正体は波間に消えた漁師たちの魂だと言われている。


「村人たちは『海からの帰還者』と呼んで、恐れているわ。彼らが現れると、その年は海難事故が増えるとも言われている」


「でも、小学生の時に見たのは…」


「あなたが見たのは本当のことよ。だからこそ、今年はその日に海に近づかないで」


祖母の言葉に不安を覚えつつも、約束した由香との待ち合わせには行くことにした。


夏至から三日後の夕暮れ時、僕は由香と共に、かつて「彼ら」を見た浜辺に向かった。日が沈み始め、海は次第に藍色から漆黒へと変わっていく。


「来るかな…」由香の声が震えていた。


「本当に毎年来てるの?」


「うん、でも去年は一人だけだった。最初に会った時は三人いたのに」


浜辺には誰もいない。ただ波の音だけが響いている。


夜の八時を過ぎた頃、海面に変化が現れた。まるで光を放つような、青白い波紋が広がり始めたのだ。


「来た…」由香が息を飲む。


波間から一つの影が現れた。人の形をしているが、どこか違和感がある。その姿は半透明で、月明かりを通すようだった。


「あれが『海からの帰還者』…」


浜辺に上がってきたそれは、遠目には普通の漁師のように見えた。しかし近づくにつれ、その姿の異様さが明らかになる。肌は青白く、目は深い海のように暗く、髪から絶えず水が滴り落ちていた。


「由香…僕たちが子供の頃に会ったのと同じ人だ」


由香は震える声で答えた。「うん、でも前はもっと大勢いたよね」


「海からの帰還者」は静かに浜辺を歩き始めた。まるで何かを探しているかのように。


好奇心に駆られた僕は、石の陰から出て、その存在に近づこうとした。


「やめて!」由香が僕の腕を掴んだ。「近づいちゃダメ!」


しかし遅かった。「海からの帰還者」は僕たちの方を向き、じっと見つめていた。その目には深い悲しみと、何かを訴えるような色が宿っていた。


そして、それは口を開いた。


「助けて…」


かすれた声だったが、確かにそう聞こえた。


「私たちを…解放して…」


震える足で、僕はその存在に一歩近づいた。


「どうすれば…」


「祭りを…再開して…」


その瞬間、遠くで誰かが叫ぶ声がした。


「そこの若いの!離れなさい!」


振り返ると、村の年配の漁師たちが松明を持って走ってきていた。彼らが近づくと、「海からの帰還者」は悲しそうな表情を浮かべ、再び海へと消えていった。


「危ないところだった」漁師の一人、田中さんが僕の肩を掴んだ。「あいつらに近づいてはいけない。連れていかれるぞ」


僕と由香は村の公民館に連れていかれた。そこには村の年配者たちが集まっており、「海からの帰還者」について話し合っていた。


「毎年減っていくねえ」


「このままじゃ、また災いが…」


田中さんが説明してくれた。この村では百年前、海の神を祀る祭りがあったが、大きな嵐の後に途絶えてしまったという。その嵐で亡くなった漁師たちの魂が「海からの帰還者」となり、毎年現れるのだという。


「最初は十二人いたんだが、年々減っていく。今年は一人だけだ」


「減っていくとどうなるんですか?」僕は尋ねた。


田中さんは暗い表情で答えた。「伝説では、最後の一人がいなくなったとき、この村に大きな災いが訪れるという」


その夜、家に帰った僕は祖母に全てを話した。


「やっぱりそうだったのね」祖母は悲しそうに言った。「実は、百年前の嵐で亡くなった漁師の中に、あなたのご先祖様もいるのよ」


「え?」


「あなたのひいひいおじいさんは、その祭りの神主だったの。だから、『海からの帰還者』はあなたを見つけたのかもしれない」


次の日、由香と僕は村の古文書を調べ始めた。図書館の奥深くに保管されていた古い記録によれば、かつての祭りは「海神祭」と呼ばれ、村の安全と豊漁を祈願するものだったという。


「龍介、これを見て」由香が一枚の古い写真を指さした。そこには祭りの様子が写っており、中央には僕によく似た男性が神主の装束で立っていた。


「これが僕のひいひいおじいさん…」


写真の裏には日付と共に、「最後の海神祭」と書かれていた。


僕は決心した。「祭りを復活させよう」


村の年配者たちの協力を得て、僕たちは急ピッチで準備を進めた。古文書を基に祭壇を作り、由香は地元の子供たちに踊りを教えた。祖母は神主の装束を用意してくれた。


そして一週間後、満月の夜。僕たちは浜辺に集まった。僕は神主の装束を身に纏い、祖母から教わった祝詞を唱えた。子供たちは輪になって踊り、漁師たちは松明を掲げた。


夜が更けるにつれ、海が光り始めた。そして波間から、十二の影が現れた。「海からの帰還者」たちだ。以前見たのとは違い、今夜は十二人全員が姿を現した。


彼らは浜辺に立ち、僕たちの祭りを見つめていた。その表情には、もはや悲しみはなく、安堵の色が浮かんでいた。


祭りが終わりに近づくと、「海からの帰還者」たちは一斉に頭を下げ、静かに海へと戻っていった。最後の一人が波間に消える前、振り返って微笑んだように見えた。


それ以来、毎年夏至の三日後には「海神祭」が行われるようになった。そして不思議なことに、「海からの帰還者」の姿は見られなくなった。


「解放されたんだね」由香が言った。


僕は頷いた。「うん、彼らは僕たちに祭りの大切さを教えてくれたんだ」


あれから三年。僕は毎年夏になると故郷に帰り、祭りの神主を務めている。海は時に厳しく、時に優しい。僕たちはその両方を受け入れ、海と共に生きる術を、先祖から学んだのだ。


そして時々、満月の夜、海を眺めていると、波間に十二の影が踊るのを見るような気がする。彼らはもう悲しんでいない。祭りと共に、永遠に村を見守っているのだ。


---


日本各地の沿岸部には「海霊」や「水死者の帰還」にまつわる伝承が数多く存在します。


2009年、和歌山県の小さな漁村で行われた民俗学調査では、「海からの帰り人」と呼ばれる現象が記録されています。地元の古老たちによれば、かつて大きな津波で多くの犠牲者が出た後、毎年その津波が来た日の夜に、海から帰ってくる「影のような人々」を目撃するという証言が複数あったそうです。


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