荒ぶる神輿
「どの神様が来るかは、その年の神輿が決める」
祖父の言葉を思い出したのは、あの夏祭りの日だった。高校二年の夏休み、地元に帰省した僕は十年ぶりに氏神様の夏祭りに参加することになった。
僕の故郷は、日本海に面した小さな漁村だ。「鵜住居」という、人口千人ほどの集落で、夏になると三日間の例大祭が行われる。最終日には重さ百キロを超える神輿が海に入る「海中渡御」が行われ、その年の豊漁と安全を祈願する。
「昔から、神輿の動きで村の運勢がわかるんだ」と祖父は言っていた。「神輿が軽く感じる年は豊作。重く感じる年は凶作。そして…神輿が暴れる年は、誰かが海に召される」
子供心に怖かったその言葉を、都会で育った僕は迷信だと思っていた。しかし、あの夏の出来事は、僕の考えを根底から覆すことになる。
祭りの準備は例年通り進んでいた。神社の境内には露店が並び、子供たちは金魚すくいに夢中になっていた。僕は友人の誘いで、神輿の担ぎ手に加わることになった。
「いいのか?お前、都会育ちだろ」と地元の同級生、健太が心配そうに言った。
「大丈夫だよ。昔、じいちゃんと一緒に担いだことあるし」と僕は笑った。
祭りの前日、氏神様を神輿に移す「御霊入れ」の儀式に参加した。白装束の神主が、厳かに祝詞を奏上する中、突然境内の灯りが全て消えた。一瞬の停電だったが、再び灯りがついた時、神輿の前に立っていた神主の表情が変わっていた。
「今年は…気をつけなければ」
神主の言葉に、参列者たちの間で不安な空気が流れた。
「どういうことですか?」と僕が尋ねると、神主は困ったように首を振った。
「神様のご機嫌が…良くないようだ」
祭り当日、夏の強い日差しの下、神輿は町内を練り歩いた。最初は何事もなく進んでいたが、海岸に近づくにつれ、神輿が徐々に重くなっていくのを感じた。
「なんだ、この重さは…」担ぎ手たちが呟きあう。
「神様が機嫌悪いんじゃないか」
そして海に入る直前、異変が起きた。突然、神輿が担ぎ手の意思に反して動き始めたのだ。通常の海中渡御のコースから外れ、神輿は深い方へと進もうとした。
「止めろ!深みに入るぞ!」
先輩たちの叫び声が響いたが、神輿は止まらない。まるで何者かに引っ張られるように、海の方へと進んでいく。
「わっ!」隣にいた健太が足を取られ、神輿の下に倒れこんだ。
咄嗟に僕は健太の腕を掴み、引き上げようとしたが、神輿の重みで動けない。その時、僕の耳元で不思議な声が聞こえた。
「一人よこせ」
誰の声か分からなかった。周りを見回しても、その声の主は見当たらない。
「一人、海に返せ」
その瞬間、神輿がさらに重くなり、担ぎ手たちが悲鳴を上げた。僕の足元の砂が崩れ、バランスを崩した。そのまま海中に転がり落ちた僕は、塩水を飲み込みながら必死で手をばたつかせた。
「たすけ…」
声にならない叫びを上げる中、僕の足が何かに絡まれる感覚があった。海藻だろうか、それとも網だろうか。いや、それは人の手のようだった。冷たく、しわくちゃな手が、僕の足首を掴み、深みへと引きずり込もうとしていた。
「放せ!」
もがく僕の意識が遠のいていく中、突然、誰かが僕の腕を掴んだ。それは祖父だった。いつの間にか海に入ってきた祖父が、必死に僕を引き上げようとしている。
「じいちゃん…」
「離せ!彼はまだ若い!代わりに私を連れて行け!」
祖父が海に向かって叫ぶ。その瞬間、僕の足を引っ張っていた力が緩んだ。祖父に助けられ、僕は海岸にたどり着いた。
しかし、振り返ると祖父の姿がない。
「じいちゃん!」
必死に叫ぶ僕の声に、祭りの喧騒が止まった。海を探す人々。救助隊のサイレン。全てが夢のように感じられた。
祖父の遺体が見つかったのは、三日後のことだった。「事故」として処理されたが、僕には分かっていた。あの日、神輿が求めた「一人」を、祖父が身代わりになってささげたのだと。
祭りの後、神社の宮司から衝撃的な話を聞いた。
「昔から、この村の神輿には『荒御魂』が宿ることがある」と宮司は語った。「十年に一度、海の神様が怒り、犠牲を求める。最後に起きたのは、ちょうど十年前だった」
十年前—。その年、僕の父が漁の最中に行方不明になったのだ。遺体は見つからず、村を出た母と共に僕は都会へ引っ越した。
「お前のお祖父さんは知っていたはずだ」と宮司は続けた。「海の神は、同じ家から犠牲を求める。お前の父親の代わりに、今度はお前が選ばれたのだろう」
震える手で祖父の遺品を整理していると、古い日記が見つかった。そこには十年前の出来事が克明に記されていた。
「息子が海に消えた。次は孫が狙われる。十年後、必ず守ってみせる」
涙で滲む文字を追いながら、僕は決意した。十年後、次の「荒ぶる神輿」の時には、この因縁を断ち切ってみせると。
それから三年後、僕は地元の海洋民俗学を研究する大学に進学した。神輿に宿る「荒御魂」の正体を突き止めるため、全国の海の祭りを調査している。
そして来年、あの祭りはちょうど十三年目を迎える。神輿はまた海を目指し、僕は再び担ぎ手として参加する予定だ。今度は、誰も海に奪われないよう、古い因習を解き明かすために。
祖父の日記の最後のページには、こう書かれていた。
「神輿が選ぶのではない。神輿を担ぐ我々の心が、神様を荒ぶらせるのだ」
その意味を知るために、僕の挑戦はまだ続いている。
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日本各地には神輿にまつわる不思議な言い伝えや実際の事故が数多く記録されています。
2003年、静岡県のある漁村で行われた海中渡御の際、突然の暴風で神輿が制御不能になり、担ぎ手6人が海に流されるという事故が発生しました。地元の古老によれば、この村では約15年周期で同様の事故が起きており、「海の神の怒り」と関連づける言い伝えがあるそうです。
また、2011年の東日本大震災後、宮城県の小さな漁村では興味深い現象が報告されています。津波で流された神輿が、3キロ離れた海岸に無傷で漂着していたのです。この神輿を祀る神社は全壊していましたが、この奇跡的な出来事を機に、村人たちは復興への希望を見出したといいます。
2016年には、和歌山県の民俗学者が「神輿の重さの変化」について調査を行いました。同じ神輿でも、年によって担ぎ手が感じる重さが大きく異なるという証言を集め、気象条件や担ぎ手の心理状態との関連を研究したのです。興味深いことに、神輿が「特に重く感じられた」と報告された年は、その地域で漁業関連の事故や不漁が多い傾向が見られたといいます。
さらに、2019年には九州の離島で行われた神輿の渡御中に、突然神輿が止まり、どんなに力を入れても動かなくなるという現象が起きました。その場所を調査したところ、かつて海難事故で多くの命が失われた場所だったことが判明。地元では「海で亡くなった人々の魂が、神輿を通じて現代の人々に語りかけている」と考える人も少なくありません。
日本の祭りと神輿は、単なる伝統行事ではなく、自然と人間、この世とあの世を繋ぐ神聖な儀式なのかもしれません。科学では説明できない不思議な現象が、今なお各地の夏祭りで報告され続けているのです。