神降ろしの夏
「神様は本当に降りてくるのかな」
高校二年の僕がそう呟いたとき、隣にいた加藤じいさんが真顔で頷いた。
「降りてくるとも。この祭りは四百年続いているんだ。毎年、神様は誰かに降りて、村の未来を告げる。今年は誰になるかな」
僕の住む北陸の小さな漁村、鵜飼浦では毎年8月1日に「浦嶋神社大祭」が開催される。海の安全と豊漁を祈る伝統行事で、その中心となるのが「神降ろしの儀」だ。選ばれた若者が神輿を担ぎ、神社から浜辺まで練り歩く間に、神様が誰かに憑依するという。
「去年は佐々木さんだったな。突然、声が変わって、目が据わって…」と、加藤じいさんは遠い目をした。
祭りの準備は7月から始まる。今年は高校生の僕も神輿を担ぐ役に選ばれた。「光栄なことだぞ」と父は言ったが、正直なところ、あまり気が進まなかった。現代っ子の僕には「神様の憑依」なんて迷信にしか思えなかったからだ。
しかし、祭り前夜に神社で行われた「禊の儀」で、僕の考えは少し変わった。
真夜中の神社。松明の灯りだけが境内を照らす中、神主の野村さんが不思議な言葉を唱えながら、僕たち担ぎ手全員に清めの水をかけた。その瞬間、何かが背筋を走るような感覚があった。
「神様は必ず来られる。心を開いて迎えなさい」
野村さんの言葉が、いつもより重く響いた。
祭り当日。朝から蒸し暑く、空には黒い雲が広がっていた。
「今日は嵐になるかもしれん。神様のお怒りかな」と、村の年寄りたちがざわついていた。
午後3時、祭りが始まった。僕を含む12人の若者が神輿を担ぎ、神社を出発する。途中、村の各所で神輿を揺らし、「わっしょい、わっしょい」と掛け声をかける。汗が滝のように流れる中、僕たちは黙々と進んだ。
空は次第に暗くなり、風も強くなってきた。浜辺に着くころには、あたりはすっかり暗く、波も高くなっていた。それでも祭りは続く。浜辺に神輿を置き、神主が祝詞を上げ始めた。
突然、激しい雷鳴が轟いた。空から大粒の雨が降り始め、人々は慌てふためいた。
「神様のお怒りじゃ!誰か、何か悪いことをしたんじゃ!」
年寄りたちがそう叫ぶ中、不思議なことが起きた。神輿の前で祝詞を上げていた野村さんの体が突然硬直したのだ。
「あっ…」
野村さんは奇妙な声を出すと、ガクガクと体を震わせ始めた。そして、普段の温厚な表情とは打って変わって、恐ろしいほど厳しい顔つきになった。
「我は浦嶋の神なり。今年も来たぞよ」
野村さんの声ではなかった。低く、古めかしい言葉遣いの声だった。
村人たちは一斉に地面に頭を付けた。僕も思わず同じようにした。
「村に災いが近づいておる。海の底が怒っておる」
その声は続いた。「古き掟を破りし者がおる。嘘をつき、禊を怠りし者よ」
不思議なことに、雨脚が強まる中でも、その声ははっきりと聞こえた。
「その者、前に出でよ」
一瞬、静寂が訪れた。誰も動かない。
「隠れても無駄じゃ。神の目は全てを見通す」
そのとき、僕の隣で神輿を担いでいた同級生の河野が、震える足で前に歩み出た。
「す、すみません…」
河野の声は震えていた。
「お前、禊の儀の後、何をした」
野村さんの口から出る「神様の声」が河野を問い詰めた。
「わ、私は…帰り道に、古い井戸に…唾を吐きました」
村人たちからどよめきが起こった。村の井戸は神聖なものとされ、穢すことは最大の禁忌だったのだ。
「知っていたのか、その井戸の意味を」
「い、いえ…ただのいたずらのつもりで…」
「井戸の底には、昔、身代わりとなった娘が眠っておる。彼女の魂を穢すとは」
野村さんの目が怒りに燃えていた。
「罰として、お前も身代わりとなれ」
その言葉と同時に、河野の体が硬直した。そして、突然、彼は海に向かって走り出した。
「河野!」
僕は反射的に彼の後を追った。荒れた海に飛び込もうとする河野を、僕は間一髪で捕まえた。
「放せ!放せ!わしは海に帰らねばならぬ!」
河野の口から出る声も、彼のものではなかった。女性の声だった。
必死に河野を抑える僕の耳元で、「助けて…」という河野本来の弱々しい声が聞こえた。
「野村さん!どうすればいいんですか!」
僕は叫んだ。しかし野村さんも神懸かり状態で、僕の声は届かない。
その時、加藤じいさんが駆け寄ってきた。
「井戸に謝れ!井戸の前で土下座して謝れ!それしかない!」
僕たちは河野を抱えるようにして村に戻り、問題の井戸まで連れて行った。雨の中、河野は井戸の前にひれ伏した。
「ごめんなさい…本当にごめんなさい…」
河野が何度も謝る中、不思議なことに雨と風が弱まってきた。そして、河野の体から力が抜けるように、彼はその場に倒れた。
翌朝、河野は高熱を出して寝込んだ。村では「身代わりの娘の祟りじゃ」と噂になった。僕は見舞いに行ったが、河野は前日のことをほとんど覚えていなかった。ただ、「夢の中で、着物を着た女の子が『助けてくれてありがとう』と言っていた」と、ぼんやりと話した。
その後、村の長老から「身代わりの娘」の話を聞いた。江戸時代、大干ばつの年、雨乞いのために若い娘が身代わりとなって井戸に身を投げたという。その後、大雨が降って村は救われたが、それ以来、その井戸は神聖なものとして祀られていたのだ。
「神様は時に厳しいが、守ってくれる存在でもある」と加藤じいさんは言った。「祭りは単なる伝統じゃない。神と人との約束なんだよ」
あれから一年が経った。今年も祭りの季節がやってきた。僕は今でも神様の存在を完全に信じられるわけではない。でも、あの日見たものが単なる偶然や思い込みではなかったことは確かだと思う。
河野は今では神社でのボランティア活動に熱心に取り組んでいる。「命を助けてもらったから、恩返しをしたいんだ」と彼は言う。
そして今年の「神降ろしの儀」では、僕自身が神輿の先頭に立つことになった。心のどこかで、あの日のような不思議な体験が再び起きるのではないかと、恐れと期待が入り混じる気持ちでいる。
神様は本当にいるのだろうか。
もしいるのなら、僕たちに何を伝えようとしているのだろうか。
夏の夕暮れ、古い井戸の前に立つと、時々水面がざわめくような気がする。そこに映る顔は、僕のものなのか、それとも…。
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日本各地の神社祭礼における「神懸かり」現象は実際に報告されています。
2005年、富山県の小さな漁村で行われた夏祭りで興味深い出来事が記録されました。神輿渡御の最中、突然天候が急変し、晴れていた空から激しい雷雨が降り出したそうです。その直後、神輿を担いでいた50代の男性が突然声を変え、古めかしい言葉で「海の底が荒れている」と語り始めたといいます。男性は普段は温厚な漁師でしたが、その日は別人のように振る舞い、目撃者によれば「目の色まで変わっていた」とのことです。
また、2013年には宮城県の神社で行われた例祭で、神楽を奉納していた10代の少女が突然踊りの途中で硬直し、普段の声とは全く異なる低い声で周囲の人々に語りかけるという出来事がありました。少女は後にこの出来事を全く覚えていなかったといいます。神社の記録によれば、この神社では約200年前から同様の現象が報告されているそうです。
さらに興味深いのは、2018年に民俗学者のグループが行った調査です。全国の伝統的な祭りを持つ115の地域を調査したところ、37の地域で現在も「神懸かり」または類似した現象が報告されていることがわかりました。特に東北地方と北陸地方に多く、これらの地域では現代でも「憑依」を神聖なものとして捉える傾向が強いそうです。
科学的な観点からは、これらの現象は集団的な暗示や一種の解離性障害として説明されることもありますが、当事者や目撃者にとっては非常にリアルで神聖な体験であることに変わりはありません。
現代の忙しい生活の中で、私たちは古来からの神様との繋がりを忘れがちですが、夏の祭りの熱気の中で、時に神様は私たちに語りかけているのかもしれません。特に神輿や太鼓の音、松明の灯りの中で、古来からの記憶が呼び覚まされるとき、私たちの魂は一時的に別の次元へと運ばれるのかもしれないのです。