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怖い話  作者: 健二
★★★★
22/34

「赤い数値がゼロに戻るとき」


 一人暮らしを始めて半年、私は在宅勤務の相棒にと二千円の一酸化炭素(CO)警報器をネットで買った。評判は「安いのに数字が出る」とだけあって、部屋の壁に両面テープで貼った。

 築四十年のワンルーム。ガス瞬間湯沸かし器も暖房用の石油ファンヒーターも、管理会社は「年に一度は点検済み」と胸を張るが、ニュースでは毎冬のように CO 中毒がちらりと流れる。二〇二二年二月、札幌の民泊で女子大生三人が亡くなった事故を覚えているだろうか。排気管が外れて室内にガスがこもった――あれを見て、怖くなったのだ。


 警報器は普段、液晶に「0 PPM」とだけ表示し、時々自動テストで「ピッ」と鳴る。それがある夜から変になった。

 十月の冷え込んだ金曜、深夜二時十三分。私はキッチンでお湯を沸かしココアを作っていると、警報器がけたたましくビービー鳴り、表示が数字の代わりに「303」と点滅した。濃度ではない。部屋は換気扇も回り、ヒーターも消している。

 念のため窓を開けた。外は小雨。息白く、臭いもしない。警報が止まると数値は再び「0」。私は寝直した。


 翌朝、マンションの掲示板に手書きの貼り紙が出た。

 《昨夜、303号室でガス漏れが発生。救急搬送》

 私の部屋は403。階も列も真上だ。時間は午前二時半。あきらかに警報器が鳴った直後だった。貼り紙にはこう続く。

 《管理会社は来週一括点検します》


 偶然かと思った。けれど翌週の月曜、夜更かししていた私の部屋で、またビービーが鳴った。液晶には「501」の数字。瞬間湯沸かし器はオフ、空気は澄んでいる。私はスマホで時刻を確認すると午後十一時十七分だった。

 その五分後、エレベーター前が騒がしくなった。消防車の回転灯が窓を赤く染める。隊員が酸素マスクを抱えて駆け抜け、五階に向かった。翌朝の張り紙には「501号室で居住者が倒れたが軽症」。原因欄に『ガス暖房の排気逆流』とある。


 ――安物でもセンサーは廊下やダクトの臭いを拾うのか?

 疑問を抱きつつも放置していると、三度目はもっとはっきりした形で来た。十一月、祝日前の深夜一時四十六分。警報器は凄まじい音を立て、今度は数字ではなく日付を表示した。


  1994/12/28


 意味もなく怖かった。実家の父に電話してしまったほどだ。父は言った。

 「その日付、聞き覚えがある。青森の七戸町で冬祭り準備中のテントが発電機の排ガスで充満して子供が数人亡くなった……確か二十八日だった」

 私は検索した。『青森 七戸 一酸化炭素事故 1994』、出た。発電機から漏れた排気で中学生二人が意識不明の重体、一人が翌日死亡。ちょうど二十八日の未明とある。


 警報器はしばらく「0」に戻らなかった。十、二十、三十PPMと数字がふらつき、やがて深い警告音を何度も吐き、夜が明ける頃ようやく静かになった。私は眠れないまま PC を開き、海外モデルの同型警報器の取扱説明書を見つけた。

 “メモリー機能:過去に検知した危険濃度を履歴番号またはタイムスタンプで表示します”

 しかし私はそんな濃度を出した覚えがない。第一、なぜ日時が九四年に飛ぶ?


 翌月、管理会社の一斉点検で湯沸かし器と排気筒は「異常なし」。私は事情を話したが、担当者は「安価な警報器は誤作動が多い」と笑うだけだった。腹立ち紛れに新品の国産器を追加で買い、並べて壁に貼った。


 二台並んだ夜――十二月十七日。窓の外では初氷が張り、私は熱いシャワーで暖を取っていた。蒸気に包まれた脱衣所で、二台同時にビービーと鳴いた。国産は「35PPM」。安物はまた別の文字列。


  北九州 2002


 ピンと来た。二〇〇二年一月、北九州市小倉北区のアパートで七人家族が一酸化炭素中毒死した事故。風呂釜の排気筒が外れ、夜中に家族全員が眠ったまま亡くなった。当時の新聞縮刷版を大学の図書館で読んだ記憶があった。

 私は濡れた足でリビングへ走り、窓を全開にした。熱湯の蒸気が外気に吸われて白く揺れ、やっと警報が停止した。国産器の数字は「0」に戻る。しかし安物の液晶は、相変わらず「北九州 2002」のまま。消灯ボタンを押しても変わらない。


 そして最後の週末。クリスマス・イヴの夜、恋人からの通話中にビービーが始まった。心底うんざりしていた私は受話器を肩に挟んだまま安物を外し、裏蓋を開けて電池を抜いた。

 それでも警報は止まらず、むしろ音が二倍に増えた。壁に残った国産器が同じ音域で絶叫している。液晶は「50 PPM」を越え、みるみる「85」「120」と跳ね上がる。窓は開いているのに、私は立ち上がれなかった。頭が重く、手足が痺れる。スマホ越しの恋人の声が遠くなり、代わりにスピーカーのどこかで聴いた唸り声が混じった。


 「気をつけろ……給気口が凍る……」


 何のことかわからない。半開きの窓枠を見た。外気温は氷点下。浴室の蒸気が結露し、アルミの換気口を薄い氷膜が塞いでいる。私は這うように窓を開け、更に大きく障子を引き、凍った換気口をタオルで叩き割った。

 渦がまるで見えるかのように空気が流れ、国産器の数値が「40」「25」「10」と下がる。同時に床で転がる安物が最後の警告音を立て、液晶に新たな行を浮かべた。


  Next : 2023/12/24 02:13


 警報器を握りつぶした。プラスチックが割れ、基板が千切れ、最後のビープ音がぷつりと途切れた。時計を見ると午前二時十二分。先ほど蒸気の中で聞いた『2時13分』が目前だった。


     ※


 年が明け、管理会社は全戸の給気口にヒーターを取り付け、冬季凍結対策を始めた。私は二度と安物の警報器を買わないと誓った。けれど廊下の掲示板には、別の棟に住む高齢男性が浴室で倒れたという新しい貼り紙が増えていた。推定時刻は午前二時十三分。

 夜、風呂を沸かすたび私は国産器の数値を睨む。いまも壁のどこかで、抜いたはずの電池が小さく跳ねる音が聞こえる気がする。

 赤い数値がゼロなのに、耳の奥には微かな電子音が残ったままだ――「ピッ、ピッ、ピッ」。あれは隣室の警報器か、それともいつかどこかで鳴り続けている履歴の声か。確かめに行く勇気はない。なぜならその瞬間、数字はきっと再び“303”へ跳ね上がるのだろうから。


                         (了)


補足――本文に織り込まれた実在の事故

・2002年1月 北九州市小倉北区アパート一酸化炭素中毒死事故(7人死亡)

・1994年12月28日 青森県七戸町祭り準備テントCO事故(1人死亡)

・2022年2月 札幌市中央区民泊CO事故(3人死亡)

すべて、排気設備の外れや換気口の凍結といった“ありふれた不具合”が原因で起きている。あなたの部屋の警報器がゼロを示していても、換気口が凍る数分前には誰かの履歴が先に鳴り出しているかもしれない。

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