写りこむ夏
高校二年の夏休み、僕の祖父が亡くなった。東京から離れた田舎町で一人静かに暮らしていた祖父の家に、遺品整理のため家族で向かうことになった。
「寛太、この箱を開けてみて」
埃まみれの蔵の整理を手伝っていた僕に、父が古びた木箱を差し出した。蓋を開けると、中には古いアルバムや写真が無造作に詰め込まれていた。
「祖父さん、写真好きだったんだね」
僕が言うと、父は少し意外そうな顔をした。
「ああ、でも父さんは生前、写真を極端に嫌がっていたんだ。特に家族写真は撮ろうとすると怒り出したくらいでね」
そんな話を聞きながら、僕は一枚の古い写真に目が止まった。それは夏祭りの風景を写したもので、背景には鳥居と提灯が並ぶ参道が見える。写真の隅には「昭和36年・氏神様夏祭り」と走り書きされていた。
「これって…」
その写真には、若かりし頃の祖父と、見知らぬ女性が並んで写っていた。女性は夏らしい浴衣姿で、美しい笑顔を浮かべている。しかし不思議なことに、その女性の姿だけがぼんやりと霞んでいた。
「誰なんだろう、この人」
写真を父に見せると、彼は眉をひそめた。
「分からないな。母さんじゃないし…父さんの若い頃の彼女かもしれないね」
その日、僕たちは他にも多くの古い写真を見つけた。どれも祖父が若い頃のもので、同じ女性が写っているものがいくつもあった。しかし、どの写真でもその女性の姿はぼんやりとしていて、顔の細部まではっきり見ることができなかった。
夕方、作業に疲れた僕はふと思いついて、見つけた写真をスマホで撮影し、画像処理アプリで鮮明化してみることにした。
「ちょっと見てみよう…」
拡大した画像をじっくり見ていると、僕は息を呑んだ。女性の顔は確かに美しかったが、よく見ると目が…目だけが異様に黒く、まるで空洞のようだった。
「何見てるの?」
背後から声をかけられ、僕は飛び上がりそうになった。振り返ると、母が立っていた。
「あ、ごめん。祖父さんの古い写真を見てたんだ」
母は写真を覗き込み、「懐かしいわね」と言った後、急に表情を変えた。
「この写真…いつ撮ったの?」
「昭和36年って書いてあるよ」
「そう…」母は何か言いたげな表情をしたが、結局何も言わずに部屋を出て行った。
その夜、僕は不思議な夢を見た。夏祭りの賑やかな参道を歩いている夢だ。周りには提灯が揺れ、祭りの音楽が鳴り響いている。そして前方に、浴衣姿の女性の後ろ姿が見えた。
「待って!」
僕は女性に向かって声をかけた。女性はゆっくりと振り返り、僕に微笑みかけた。その顔は写真の女性だった。しかし近づくと、彼女の笑顔は徐々に歪み、目が黒い空洞へと変わっていった。
「私を忘れないで」
その声が聞こえた瞬間、僕は目を覚ました。汗だくになりながら、僕は枕元に置いていたスマホを手に取った。画面を見ると、さっきまで表示していた写真が…変わっていた。
女性の姿がより鮮明になり、今や彼女は写真の中心に立っていた。そして背後には、ぼんやりとした祖父の姿。位置が入れ替わっていたのだ。
「何だよこれ…」
恐怖で身体が震えた。その瞬間、部屋の隅に人影が見えた気がした。
翌朝、朝食時に僕は勇気を出して写真の女性について尋ねてみた。
「お父さん、あの写真の女性って本当に誰か分からないの?」
父は箸を止め、少し考え込むように天井を見上げた。
「実は…噂では聞いたことがある。父さんが若い頃、付き合っていた女性がいたらしい。でも、夏祭りの日に何かあって…」
「何かって?」
「事故だったか何かで、亡くなったという話だ。父さんはその後、写真を撮ることを極端に嫌がるようになった。特に夏祭りの時期はな」
その日、僕は祖父の蔵からもっと情報を探すことにした。箱の底から出てきたのは、古い新聞の切り抜きだった。昭和36年8月15日付け。「氏神様夏祭り、悲劇で幕」という見出しの下に、小さな記事があった。
「祭り最終日、神社裏手で若い女性が転落死。祭りの準備中、誤って崖から落ちたとみられる」
記事の横には小さな写真があり、事故現場の神社が写っていた。僕は背筋が凍るのを感じた。それは今も町にある氏神様の神社だった。
その夜、僕は再び同じ夢を見た。今度は女性が僕に近づいてきて、耳元でこう囁いた。
「私を連れて行って」
目覚めると、スマホの画面に写真が表示されていた。今度は女性だけが写っており、祖父の姿は完全に消えていた。そして画面には、メモアプリが開かれ、「明日、神社へ」という文字が…僕の手で入力したはずのない文字が残されていた。
次の日、僕は一人で神社を訪れた。ちょうど夏祭りの準備が始まっており、参道には提灯が飾られ始めていた。
神社の裏手には、確かに小さな崖があった。柵で囲われてはいるものの、六十年以上前はこのような安全対策はなかっただろう。
「お兄さん、何してるの?」
振り返ると、小さな女の子が僕を見上げていた。
「ああ、ちょっと…」
「あの人のこと?」女の子は崖の方を指さした。
僕が見た方向には、浴衣姿の女性が立っていた。写真と同じ女性だ。彼女はこちらを見て微笑み、手招きしている。
その瞬間、強い眩暈に襲われた僕は、思わず柵に寄りかかった。目を閉じて深呼吸し、再び目を開けると…女性の姿はなく、女の子も消えていた。
その日の夕方、神社の宮司さんを訪ねた僕は、昭和36年の事故について尋ねてみた。
「ああ、あの事件か」宮司は重々しく頷いた。「実は事故ではなかったという噂もあるんだよ。その女性は祭りの巫女さんだったが、祭神を怒らせる禁忌を犯してしまった」
「禁忌?」
「祭りの写真を無断で撮ったんだ。当時はまだ、神事を写真に収めることは神聖なものを穢すと考えられていた。特にうちの神様は、写真に写ることを極端に嫌うと言われていてね」
「それで…」
「彼女は神罰として崖から突き落とされたという話もある。もちろん、今となっては迷信だがね」
宮司はそう言いながら、何か思い出したように付け加えた。
「そういえば、その女性と一緒にいた若い男性がいた。彼も写真を撮っていたらしく、女性の死後、呪われたと言って写真を恐れるようになったという」
僕は震える声で尋ねた。「その男性の名前は?」
宮司が言った名前は、僕の祖父の名前だった。
その夜、僕は決心した。見つけた全ての写真をスマホで撮影し、一つのフォルダにまとめた。そして、新たに見つけた情報と共に、写真の女性の素性を記録したメモを作成した。
「彼女の名前は藤原美咲。祖父の恋人で、夏祭りの巫女さんだった。写真を撮ったことで神罰を受け、崖から落ちて亡くなった…」
作業を終えると、スマホに保存した写真を見直してみた。すると、全ての写真から女性の姿が消えていた。代わりに、若かりし日の祖父が一人寂しく立っている。
その瞬間、背後から冷たい風が吹き抜けた気がした。振り返ると、窓が開いている。確かさっきまで閉めていたはずなのに…
窓の外には、満月が明るく輝いていた。そして月明かりに照らされて、一人の女性が庭に立っていた。浴衣姿の彼女は、こちらを見上げて微笑んでいる。
「ありがとう」
かすかな声が聞こえた気がした。そして女性の姿は、月明かりの中に溶けるように消えていった。
次の日から、僕は不思議な夢を見なくなった。そして祖父の遺品整理も無事に終わり、僕たちは東京に戻った。
しかし、その年の夏祭りの日、町内会から連絡があった。祖父の家の近くにある神社の宮司さんが亡くなったという。原因は崖からの転落事故。神社の裏手で写真を撮っていたところ、誤って足を滑らせたらしい。
そして更に驚いたことに、事故現場で見つかったカメラには、一枚の写真が残されていた。そこには浴衣姿の美しい女性と、その隣に立つ若かりし日の祖父の姿がはっきりと写っていたという。
写真の隅には「昭和36年・氏神様夏祭り」という文字と共に、新たに「魂の解放、永遠の別れ」という文字が書き加えられていた。
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心霊写真や写り込む霊の現象は、日本全国で報告されています。特に注目すべきは2013年に岩手県の古い神社で起きた出来事です。
地元の大学生が卒業研究のために神社の歴史を調査していた際、明治時代の古い写真を発見しました。写真には神社の祭事の様子が写っていましたが、デジタル化して拡大したところ、参拝者の中に現代の服装をした女性が写り込んでいることに気づいたのです。
さらに調査を進めると、その女性は30年前に同じ神社の近くで起きた事故で亡くなった人物に酷似していました。