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怖い話  作者: 健二
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帰らぬ送り火


夏の終わり、お盆の最終日。僕の住む九州の山間の町では、先祖の霊を送り出す「精霊流し」が今も行われている。川に灯籠を流し、家族の霊を冥土へ送り返す古い風習だ。


「今年はお前が家の灯籠を担当するから」


突然、祖父から言い渡された。高校二年の夏休み、部活と課題に追われていた僕にとって、面倒な役目だった。


「なんで僕なんだよ…」


「お前は長男の長男だからだ。そして今年は特別な年だ」


祖父の表情は普段見せない厳粛さがあった。


「特別?」


「ああ。十三回忌だ。お前のお父さんの」


僕の父は僕が四歳の時、町を流れる川で水難事故にあって亡くなった。記憶はほとんどないが、写真で見る限り、僕とよく似た人だったらしい。


「十三回忌が終われば、お前のお父さんは完全に成仏できる。だからこそ、今年の精霊流しは大切なんだ」


翌日、祖父は僕を連れて町の古い寺に行った。そこで住職から灯籠の作り方と、精霊流しの作法を教わった。


「灯籠を作る時は、故人を思い浮かべながら、心を込めて作るんだよ」


住職はそう言って、僕に白い和紙を渡した。僕は父の写真を見ながら、灯籠を作った。父の顔をはっきりと思い出せないことに、少し罪悪感を覚えた。


お盆の期間中、祖父の家には毎晩、仏壇に明かりが灯された。祖父は「お盆には先祖の霊が家に戻ってくる」と信じていて、迎え火を焚き、お供え物をして、家族の魂を迎えていた。


「気のせいかな…」


僕が仏壇の前に立つと、なぜか背筋が冷たくなった。誰かに見られているような、不思議な感覚があった。


お盆最終日の夕方、町中の人々が川辺に集まり始めた。夕闇が迫る中、各家庭が作った灯籠が次々と川に流された。灯籠の明かりが川面に揺れる光景は幻想的で美しかった。


「さあ、流すんだ」


祖父に促され、僕は慎重に灯籠を水面に置いた。


「お父さん、安らかに眠ってください」


そう心の中で念じながら、灯籠を川の流れに任せた。


しかし、不思議なことが起きた。他の灯籠はすべて流れていくのに、僕の灯籠だけが動かない。まるで何かに引っかかったかのように、同じ場所でゆらゆらと揺れるだけだった。


「おかしいな…」


僕が川に近づこうとすると、祖父が僕の腕を強く掴んだ。


「近づくな!」


祖父の声には恐怖が混じっていた。周囲の人々も不思議そうに見つめている。


「流れない灯籠は…魂が成仏を拒んでいる印だ」


住職が静かな声で言った。


その瞬間、風が強く吹き、灯籠の灯りが消えた。と同時に、川面から白い霧のようなものが立ち上り、人の形に変わっていった。


「あれは…」


霧の中に、ぼんやりと男性の姿が見えた。その姿は写真で見た父にそっくりだった。


「お父さん…?」


僕の言葉に反応するように、霧の人影が僕の方を向いた。その目には深い悲しみが浮かんでいるように見えた。


「息子よ…」かすかな声が聞こえた。「私はまだ…帰れない…」


周囲は静まり返り、その声は僕にだけ届いているようだった。


「どうして?どうして帰れないの?」


「真実を…知らせたかった…」霧の声は弱々しかった。「私の死は…事故ではない…」


その言葉に、僕は凍りついた。


「お前には関係ない!」突然、祖父が叫んだ。「もう十三年だ。今日こそ成仏するんだ!」


祖父は懐から古い札のようなものを取り出し、それを川に投げ込んだ。お札が水面に触れた瞬間、霧の人影は苦しそうに体をよじらせた。


「やめて!お父さんを傷つけないで!」


僕は反射的に川に飛び込み、灯籠を掴んだ。その瞬間、強い電流が走ったような衝撃を感じ、意識が遠のいた。


目が覚めると、僕は自分の部屋にいた。枕元には祖父が座り、心配そうに僕を見つめていた。


「大丈夫か?」


「昨日…あれは何だったの?」


祖父は長い沈黙の後、ため息をついた。


「お前のお父さんの死は…本当は事故ではなかった」


それから祖父が語った話は、僕の知っていた家族の歴史を根底から覆すものだった。父は町の古い因習に反対し、精霊流しの儀式を中止しようとしていた。それが町の長老たちの怒りを買い、ある夜、父は川に連れ出され…。


「まさか…殺されたの?」


祖父は答えなかったが、その表情に答えはあった。


「だから父の霊は成仏できないんだ…」


「ああ…そして今、お前に真実を知らせたかったんだろう」


その夜、僕は一人で川辺に戻った。昨日の場所に立つと、不思議と風が止み、水面が鏡のように静かになった。


「お父さん、ここにいるの?」


水面に映る満月が、ゆっくりと人の顔の形に変わっていった。父の顔だった。


「真実を知ってくれて…ありがとう」父の声が水の中から聞こえた。「もう一つ…頼みがある」


「何でも言って」


「この町の因習を…変えてほしい。もう誰も犠牲にならないように」


「約束する」


その言葉を告げると、水面に映る父の顔は穏やかな笑顔になり、ゆっくりと月の光に溶けていった。


翌朝、僕は決意を胸に、住職に会いに行った。すべてを話し、町の古い因習を変えたいと伝えた。


「待っていたよ」住職は意外な言葉を返した。「あなたのお父さんも、同じことを言いに来た人だった。彼の意志を継ぐなら、私も協力しよう」


それから僕たちは、町の若者たちと共に「新しい精霊流し」の形を考え始めた。生命を奪うのではなく、本当に魂を慰める儀式に変えるために。


今では、僕たちの町の精霊流しは「命の継承」を祝う美しい儀式になった。灯籠には故人への感謝のメッセージを書き、川に流すのではなく、町の広場に飾るようになった。


そして毎年、お盆の最終日の夜。川面には一つだけ、静かに動かない灯籠が浮かぶ。それは父の灯籠だ。もう誰も恐れることなく、その灯りを見守る。その灯りは、闇を照らす希望の光になったのだから。


---


日本各地の精霊流しの風習や、それにまつわる不思議な体験は実際に報告されています。


長崎県では「精霊流し」、京都では「五山送り火」、東北地方では「灯籠流し」など、お盆の最終日に先祖の霊を送る儀式は全国各地で行われています。


2008年、長崎県の小さな漁村で興味深い出来事が記録されています。お盆の最終日、一つの灯籠だけが潮の流れに逆らって動かなかったというのです。その灯籠の持ち主の家では、数日後、床下から明治時代の古文書が発見され、先祖が不慮の事故ではなく、村の争いに巻き込まれて命を落としていたことが明らかになりました。


また、2015年に民俗学者が行った調査では、精霊流しの際に「灯りが消えない灯籠」や「流れに逆らう灯籠」を目撃した人が全国で約120人いることが分かりました。多くの人が「まだ成仏できない霊がいる証拠」と解釈しています。


鹿児島県の山間部では、2018年まで「送り火の火が消えない家は、その年に不幸がある」という言い伝えがあり、特別な祈祷を行う風習があったといいます。


科学的には説明できない現象かもしれませんが、日本人は古来より、目に見えない霊的存在と共に生きる文化を育んできました。特に夏のお盆の時期は、現世と霊界の境目が薄くなると信じられてきた季節です。今も各地で語り継がれる不思議な体験談は、日本人の死生観や霊魂観を色濃く反映しているのでしょう。

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